雪の朝、愛する父親が自分の目の前で凶弾に倒れる――。壮絶な体験は9歳の少女の胸にかくも深い傷を与えるものか。昨年暮れに89歳で亡くなったノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの生涯を著書や記事でたどってしばし考え込んだ▼陸軍教育総監だった父渡辺錠太郎氏は昭和11(1936)年2月26日、自宅で青ログイン前の続き年将校らの銃弾を浴びた。和子さんは座卓のかげで難を逃れた。怒声、銃声、血の跡が恨みとともに胸の底に刻まれた。長じてカトリックの道に進むが、いくら修養を積んでも恨みは消えない▼意を決して、父をあやめた将校らの法要に参列したのは2・26事件の50年後。「私たちが先にお父上の墓参をすべきでした。あなたが先に参って下さるとは」。将校の弟が涙を流した。彼らも厳しい半世紀を送ったことを初めて知り、心の中で何かが溶けたという▼晩年まで過ごしたのは、岡山市にある学内の修道院。静穏な日々ばかりではなかった。30代で学長という大役を任され、管理職のストレスに悩んだ。50代で過労からうつ症状に陥り、60代では膠原病(こうげんびょう)に苦しんだ▼80代で刊行した随筆『置かれた場所で咲きなさい』が共感を得たのは、父の悲劇を含め自らのたどった暗い谷を率直につづったからだろう▼「つらかったことを肥やしにして花を咲かせます」「でも咲けない日はあります。そんな日は静かに根を下へ下へおろします」。いくつもの輝く言葉を残し、80年前の雪の朝に別れた父のもとへ旅立った。

 

 この『天声人語』は本日の朝日新聞掲載のものであるが、亡くなられた渡辺和子・ノートルダム清心学園理事長は私の妻たちにとってノートルダム清心女子大学学長として「学長さま」とお呼びしご指導をいただいた日々があった。

 私たちが結婚したころ妻の英語・英文学科の恩師である小田朗美教授から「ノートルダムの娘(こ)をもらっててきっとよかったと思うことがあるわよ」と言われたが、渡辺和子先生はじめそういう学風があるようにも思える。大学同窓会長を務められた私の高等学校の先輩の長野育子さんもなかなかチャーミングな人だった。

 確か、私が岡山大学経済学部在学中から公私にご交誼をいただいた故野田孜教授・静岡県立大学教授(大川一司先生門下・元経済企画庁参事官)は渡辺和子先生と従兄妹であったと記憶している。

 

 最後に朝日新聞社には全文貼り付けてしまったがご寛容に願いたい。<了>