年末にあたって(所感) | ExcomAdvisorのブログ

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本稿は私・平田幸治の個人の意見・見解等を綴ったものです。

 歳の瀬の今日、私の拙いブログを読んでくれている地元主読紙(岡山市)幹部から君は「経済格差の問題」や「戦争責任の問題」をどう考えているのか明らかにしていない、というご指摘をいただいた。

 確かに、経済格差の問題では、私は経済学的知見は少ないしその意見を開陳することは少しく難しいことではある。だが、例えば、政府が民間企業にその内部留保を賃上げや成長への設備投資を求めることについて、日本経済新聞が方向性を述べている資本主義経済において政府が私企業に強制的な誘導を働きかけることへの疑問は残る。加えてこの自由で民主主義の市場経済体制の中でそのシステムに政治権力が介在することは、私たちの共有する社会制度の価値観の空気を一変させないとも限らないという一抹の懸念はあろう。政府の金ではない。

それよりも、大企業に過剰な内部留保をもたらしたのはアベノミクスの為替差益であり、新製品・新技術の成果というには新成長戦略の行方を見極めなければならない段階だ。ただ、「空白の20年ないし25年」からの脱却は政策的に中央銀行のバランスシートを膨らますことはある意味有効であったろう。つまり、非伝統的な金融政策である。

 だが、このグローバリゼーションが急速に進展した国際社会においてある種の是正措置の漸進的な調整は止むを得まい。金融政策一つをとっても曖昧なドラギECB総裁、補完的緩和の黒田BOJ総裁はよく言われなくなる。やはり政策に頼ることがあるのである。異次元の政策には異次元の出口を探るしかあるまい。この過程の経済格差の是正は国の税財政政策等の伝統的政策に国民的合意を得なければならない。
 
 もとより、浅学の私に提案的所得再分配や格差是正のあり方を具体的に記す能力はないが、「非伝統的政策」と黒田BOJ総裁が繰り返した言葉のように市場経済システムの変貌のうちに求められる「新しい経済学」が生まれるのではなかろうか。市場経済でない中国はデフレ脱却で「日本のようにはならない」とバブル崩壊後の日本のたどった道を見つめている。日本もアメリカの出口戦略を学べる。

 話は変わって、メディア問題だが#tbsニュース23の岸井成格・毎日新聞特別編集委員の政権批判への逆批判が高まりアンカーマン降板も噂されている。私は先の戦争の道を美化した大新聞の旧軍戦争指導部に迎合した姿や傍観したよりは同氏が自らのジャーナリストとしての「良心」に沿っているなら一つのジャーナリズムのあり方だと思う。

 私はこのブログシリーズでも明らかにしているように日米安全保障体制において問題は孕むものの基本的に安倍晋三総理支持である。しかし、「夫婦の愛」「家族の愛」の絆を断ち切る戦争に決して傍観してはならないのである。だから、岸井氏の「傍観できない」その姿勢の重要性を傍観せずここに認めた。岸井氏の傍観する不作為の姿勢を避けたその姿勢を勇気ある人々ととらえるものと考えたい。

 良くも悪くも議会制民主主義とは多数決の原理だ。メディアの沈黙は自由と民主主義の死を意味する。私がよく引くアメリカ合衆国憲法修正第1条は私が合衆国を信頼する所以でもある。

 メディア報道が各種選挙に及ぼす影響力は大きい。年が明ければアメリカ大統領予備選挙が始まる。各陣営は時々刻々とメディアが報じる支持率に一喜一憂の毎日である。だが、政府・政権党がメディアを呼びつけて事の経緯をただした、と聴いたことはない。放送が自ら政府・政権党に自社番組の内容を説明しに出向くというのは、自らが設置した第三者機関「BPO」の存在が視野に無いと映るも同然である。まさに、BPOがどうなるかが今後の国民利益に誠に重要だと言わざるを得ない。

 私がこうしてこのブログを書いているのも、ただこの時代を生きて私の子どもたちの時代の国民生活を傍観者として過すには誰しも同様に苦労して育ててくれた今は亡き父母に申し訳ないことどもをも思うからである。

 幾度か書いたが私は愛読紙「朝日」「毎日」が好きである。二紙に限らず新聞が好きである。この若い新聞記者たちが「良心」を喪失したなら、この日本の自由で民主主義の社会は死ぬ。

 余談だが、自民党が偏らずにこれまで歩んできた道を考えてみてほしい。派閥が党を軌道修正をしてきたのかも知れない。その中で、メディア報道記者が「良心」を喪失したらどうなるか?。

 ここまでで、地元地方紙幹部の問いかけに答えたとはいいがたいが、私の能力を超えたことは語れないのでご寛容を願う次第である。今年多くの方にTWやブログでもお世話になった。お礼を申し上げたい。さきほど、私と妻のもとに息子が東京から帰省してきた。<了>