しばらくぶりにお江戸に行ってきました。
昔も今も学問・経済・文化・その他有害・無害諸々の
主たる発信地である東京。
地方都市で若者がたくさんいると感じるのは金曜日の
繁華街くらいですが土曜日の東京駅は若者であふれて
おりました。
若かりし頃18歳の頃に父にギター1本もって東京に行く
と言ったら昔トランペット吹きになると言って東京に行った
知り合いがいたがものにならなかったと一蹴されたことがあり
ました。
夢は実現されないで別な道で生きる糧を得ることに成りました
が若者達を見ていると眩しく見える年齢になりました。
誰もが経験することだと思いますが若い頃の夢は幾つに
なっても昨日のことのように思い出されます。
気恥ずかしさや無謀さを年と共に理解するのですが当時の
純粋な憧れや情念は消えることはありません。
初恋みたいなものかもしれません。
加齢とともに純粋な心に苔が生えて可能性に懸けるという
ことが少なくなればなるほど困難なことに挑戦する姿に
感動を覚えるのが人間なんでしょうか?
人は誰でも自分が出来ないことを出来る人間に憧れをもつ
んでしょう。
世間の常識は自分が出来ないことは他人も出来ないと思って
いる。(真っ赤なウソ)
自分のできないことは他人にも出来ないでいてほしい。
自分はそんなに心は小さくないとおもっている。
(真実はたぶん後者でとても小さな心に縛られている)
成功者ほど他人の成功にエールを送る。
還暦を過ぎてそれは本当だと思うようになりました。
子供の頃勉強しないと取り残されるぞと先生が言っていました。
選ばれし者と選ばれないその他大勢という構図は昔も今も大差
はないと思います。
オリンピックの各種競技の優勝者はだいたい覚えていても3位
4位ましてや5位6位の競技者の名前はお気に入りの人でない限り
覚えていませんね。
努力が報われる環境のもとで師匠に出会い成果を実感することで
また成長するという領域に入り込めた人だけに与えられる賞賛かも
しれません。
オリンピックの領域は一般人には遠い話ですが身近なことで、これ
だけは、周りの人に負けないという力を一つ身につけただけで意外と
仕事も人生も楽しくなるものだと思います。
辛いことがあったらつらい目にあわせた相手を許してあげる。
そうするとその状況から抜け出せる新しい自分が生まれる。
格差・差別だと言って不平不満を言っても何も現実は変わりません。
生まれた時から人間はいろんな意味で違う境遇で生まれて来ていま
すから他人さまと違って当然なんですが、物心ついてからどのよう
にその現実を捉えるかで自分の成長度合いに差が生じてきます。
そんな当たり前のことを心底わかるようになるために生きている
のかもしれません。
歳をかさねるごとに周りの人たちに感謝してそして元気と希望を
共有できる仲間を増やしていけるオヤジを目指して今日も修行中です。
