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わたし達は毎日の生活の中で言葉を使ってお互いに意思表示しています。
そのなかでいつも感じるのは相互のベースの違いによって同じ内容
の事柄について認識の度合いが違うし感情も違うということです。
(ベースというのは性別・年齢・家族構成・学歴・職歴・経歴・出身県
などのことです。)
当然と言えば当然なんですが、自分の認識と違う場合にどうしてなのか
とその都度考えます。(相手を理解してより良い関係を作りたいと思えば)
違う個性を認めて相手の立場に寄り添って話をよく聞くということをしな
いと本当の相手の意図は汲み取れないということでもありますけど理解し
あうというのはお互いの違いを認め合うということでもありますしそれ
ぞれの特性・個性が相互関係の中で魅力にもなりますし嫌らしさにも感じ
られることもあります。素直な憧れの気持ちもあれば疎んじたくなるような
気持ちもともに存在しています。
それは人それぞれ多種多様な環境の中で生きてきた証でもあります。
人間って基本的に自己中ですから、自分の行動パターンや考えや好みに
同調してくれる人を良く思う傾向があります。
真っ向から否定されるよりなんとなく認めてくれてる雰囲気のほうが安心感
があるからかもしれません。
仕事でも逡巡してばかりいて真剣に語り合わなければ見えてこない真実が
あってそこまで踏み込むことにお互い躊躇していることもありますが何年
同じ職場にいてもそれ以上の関係が生まれないのは相手だけが悪いのではなく
自分がその状況を良しとしているからか、或は諦めているからだと思います。
一歩踏み込んだ話をするようにしないと新しい可能性は生まれてこないもの
だとも思います。
はっきりものをいうと嫌われる。これって世間の常識かもしれません。
波風を意図的にたてようとするようなお人は論外ですがより良い関係を築きたいと
思う人間関係ならどしどし本音で語りあい相互啓発して豊かな時間と成果を共有
できる関係に発展していくと思います。
会社の同僚でも友達でも彼氏・彼女でも色々な人間関係の中で元々相手はちがう
環境で育ってきていま会い、そして話しているんだという認識があれば互いの違い
が良い人間関係を育んでいくと思っています。
自分にとっての常識は実は相手にとっては非常識であるかもしれません。
良く相互理解と言いますがまず自分自身の心根が素直で謙虚でなければ相手の
良さは見いだせないと思います。
小生も年は取りましたがだいぶ素直でない生き方をしてきたからこそいまにして
理解できるのですが。
謙虚って言葉は自分の弱さや強さそして嫌らしさを共に持っているということを
素直に認めて相手に接する事かなと最近つくづ思います。
今いる周りの大切な人たちとより良い関係をともに作りだせるようなオヤジで
ありたいと願っています。