可能性ってやっぱり無限なんだと思う。

個人に与えられた外的要因と思われるもの、
たとえばどの国に生まれて、どんな家庭環境でとか
そういうデフォルトの枠みたいなものがあるとするじゃん。

それってなんていうか、与えられた農地みたいなもんで、
そのフィールドの中で最善を尽くすと、
「あ、もうちょっと農地広げましょうか」って感じで
フィールドが広がる。

つまり可能性の枠が広がる。

まあ、そもそも枠なんてないっていうのが実のところなんだろうけどさ。
それを言ってしまうと話が終わってしまうので。
自分自身、そんな全方位視点を体得できてないし。(なるときは勝手になるし)

今の現状を受け入れるっていうのは、自分の持ち物を調べたり、
持ってるフィールドを確認したりすることに似ていると思う。

それらをフルに使って何ができるか。
どれだけ自分の気に入るものを作り上げられるか。
で、使い切るからこそさらに与えられる。
「もうそのフィールドじゃ狭いでしょ?この装備も使いこなせるよね?」って。
何かが増える。

もっというと、この増えた分というのは、ないところに出現したわけじゃなくて
もともと持っていたもの。
あったんだけど、最初から使えるフィールドを使い切らないから、
次のフィールドの鍵がしまっていて、使い切ったからカチャっと鍵が開いたの。

よく「身の丈にあった…」なんて言われると、
ついつい「じゃあ、この枠からはみ出ないように、謙虚に、つつましく」なんつって
「与えられたものに感謝して、この枠超えちゃダメよ!」とか言っちゃって
自分の領地だと思ってるところから出ないのが良き事なんて思ってしまったりする。

そうすると「あ、そのくらいでいいのね。それ以上は要らないのね。」ってことで、
いつまでたってもフィールドは広がらない。

それどころか、デフォルトのフィールドの端っこまで行ってみもしないで
狭い範囲で収めておこうとするもんだから
「あれ?広すぎた?じゃあ、使ってないこの辺は要らないよね~」と
枠を狭めてしまったりする。

それで、「人生こんなもん」とか言って、人生そんなもんにしてしまう。

胃袋だって、食べなきゃ縮むし、いっぱい食べてたら広がるのにさー。

あ、それでもってこの例えからいくと、
「望んでも望んでも叶わない」っていうのは多分、
今のフィールドをろくに使ってもいないのに、
「あっちのフィールドも寄こせ」って言ってる感じなのではないかと。
そして「できない。手に入らない。」オーラ全開で、
その通りになっていっちゃうんだろうなー。

まあ、全部なんでもやってみたらいいんじゃん。
可能性の枠を広げなくちゃいけないわけでも無いし。
如何にキュウキュウに狭くできるかもやってみたらいいし。

「やばーい!広ーい!すごーい!」って飛び回るのも
「まじ超せまいw身動きとれないんですけどww」って笑うのも
どっちも面白いと思いますよ。

私は広い、つーか無限の方が好きですけど。
迷える子羊ちゃんは必要である。

完全にわかっている人と、全然わかりませーんな人の間にいる、そこそこわかっている人。

わかっている側が「わかっている視点」のまま何を言っても、
わかんない側からしたらチンプンカンプン、
「何言ってんのー?この人」ってなもんである。

技術者や開発者が書いた説明書みたいなもんだ。
わかっている者同士なら話は通じる。
しかし、全くわからない者を相手にしたら全然話が通じない。

わからない側の視点が無ければ、わからない者に伝えられないのだ。

そこで必要なのが、「間にいる人」なのである。
わかっている側の言うこともある程度理解できる、わからない側がどう感じるのかもある程度わかる。
なんとなく理解できるけど腑に落ちない、もうちょっとでそちらの視点にいけそうなのにそうならない、
と、苦しみもがいている迷える子羊ちゃんたち。

ある意味、わかっているよりもグローバルな視点とも言えよう。(ものは言い様)

よくわかんなくてジタバタしてるのも、必要な役割なのだ。
だから理解しきれないことも決して悪いことではないのだ。

そして、どこら辺を「わかっている」に設定するのか、
その線引きしだいで「わかっている人」も「間にいる人」になるのだ。

完全にわかっている者がいるとしたら、それは造った本人だけだろう。
そして、その創造主の側からしたら

「わからないって、どーゆーこと?」


わからないってどーゆーことだか、みんなでやってみよう!
っていうのが、この世界なんじゃないかとすら思う。

だから、わからないことは素直にわかりません、でいいのだ。
悪いことでも、恥ずかしいことでもない。
拗ねる必要も、怖がる必要も無い。

わかったときに「わーい!こういうことかー♪」って喜んだらいい。
喜んで、楽しんで、ただそれだけ。

わかったからといって、わからない者を見下げたり、貶めたりする必要もない。
だって、その人は昨日のあなたであり、これからわかる誰かのための必要なメッセンジャーなのだ。

迷える子羊ちゃんであるところの私は、迷っているからこそ伝えられるものを持っているのだ。
「神は自分に似せて人を作られた」

っていうのあるでしょう?
聖書に書いてあるんだと思うけど。

キリスト教徒ではないし、あらゆる宗教にまったく明るくないので、うろ覚えだけど。

あれってやっぱり、単なる本当のことだと思うんだよね。

人の体って実によくできていると思う。

神=全体意識=体
という風に置き換えられると思う。

体=人生 でも成り立つと思う。

体ってパーツ一個一個にばらしちゃったら成立しない。
全部でひとつ。

孤立して単独で存在してるものって実は無い。
世界はひとつとか、ごく当たり前の普通の事だよね。

道端で寝てたって地べたと関わってる。あとダンボールとか。
まあ、こういうのは今そういう生活してないから言えるんであって、実際にその状況で孤独を感じない方が難しいと思う。

つまりアレだ、ワンネスっていうのは普通の事だね。
自分がどう感じるかとか、世間的にどうかなんてことは関係なく、そもそもひとつでしか無いわけだ。

世界がひとつなら何で紛争地域が在るのか、何故みんなが幸せじゃないんだとか言われそうだけど、そもそもそういう問題じゃない。
平和も幸せも関係ない。

ひとつ=みんなが私と同じ思想
とか無いから。

ただもう前提条件としてひとつなんであって、各々がどう感じるかは自由。
自由をどう解釈するかも自由。
もうこれは、ほとんど屁理屈のような気もしてきた(笑)

こんな理屈は生きていくのに特に必要ないので、どうでもいい事なのかもしれない。

『趣味の屁理屈』ですよ。
さっきふと気がついた。

「私はスピリチュアルなつもり全然無いな」

気に入って読んでるブログは、所謂スピブログにカテゴライズされるけど、そこに何かの思惑があって読んでるわけじゃないんだなーと思った。
ただ単に面白いと思うから。
推理小説とか芸能ニュースとか、そういうのと同じレベル。
単なる楽しみ。

前はあったと記憶してる。
人間的に向上・成長するためとか、何かにすがりたい気持ちとか。
自分を変えなきゃ、どうにかしなきゃっていう気持ち。

でもねー、今現在どうやらそういうこと思ってなかったみたい。
思ってないことって気がつきにくいもんだね。

こうやって何かを書き残しておくときは、自分が調子いいなーと思ってる時のほうがいいよね。
自分の書いたことに救われる時あるもん。
まあ、自分のために書いてるし。

私は何かを啓蒙したいわけでも、商売したいわけでもなんでもなく、自分で読み返すための記録として書いてるから。
でもって、なんかのついでに読んだ人の役にたまたま立ったりしたらいいな、って思ってる。
非公開にしないのは、ちょっとだけ見られたい気持ちがあるから(笑)

脱線した。

「スピリチュアル」目指しちゃってたことあったなー。
「自分探し」してたことあったなー。
って、今はそういう気持ち。

何かになろうとしなくても既に自分だし、探さなくてもずっとここにいるし、自分。

今は、「楽屋にいる」気持ち。そういう時期。
人生のてんやわんやにどっぷり飲まれて、NOW ON 渦中!っていうのから離れて、「いやー右往左往したなあ、あはは」とか思っている時期。
平和。

生々しく喜怒哀楽をやりたくてわざわざ生きてるんだから、嵌るときはガチで嵌っといたらいいのよ、多分。
人生劇場に嵌りすぎて抜け出せなくなっちゃうと苦しかったりするけど、実は戻ろうと思ったらいつでも戻れるんだよね、楽屋に。
常に「非常口」ランプは点いてるんだけど、それもわからなくなっちゃう時もある。
でも、そんなときでも大丈夫!
ちゃんと目覚ましが仕込まれていたりする。
事故だったり、新しい恋だったり、いろいろだけど。
まあ、そんなのも後で意味づけしたにすぎないけどさ。
自分で判ればいいのよ。自分の人生、自分の世界なんだから。

常識がー、経験がー、先人の知恵がー、友人のアドバイスがー、ってそんなのどうでもいいからね。
そういうのに従うのも自分、無視するのも自分、結局決めてるの自分だから。
それで、やってみてどうなるか経験するのは結局自分。

だから、みんなもう好きにすればいいのに(笑)

自己責任とか、自分原因説とか、いちいち考えなくていいんだよ。
考えなくても、もうそなってるんだから。
変にいろいろ考えて、自分以外のせいにしようとするからややこしくなるだけで、それをやりたいが為に、理由付けをしたいが為に「他者」が必要になってくる。

今そのまま、あるがまま、なんだけどね。
よくある表現だけど、これって感覚だから言葉で表すと多分これが一番近い表現になっちゃうんだと思う。

あーそれにしてもニューゲームやりたいなー。
みんながみんな、好きなこと、やりたいこと、得意なことだけやってたら、なんか楽しく役割分担できちゃったー♪わーい♪みたいなやつ。
それでも色々あると思うんだよー葛藤とか試行錯誤とか失恋とかw
喜怒哀楽も紆余曲折もあるんだけど、恐怖ベースじゃないやつ。喜びベースのやつ。

あ、でもやってる人もいるのか。
傍からみてると大変そうだけど、本人は喜びでいっぱいみたいなの。

でも、みんなでやりたいんだよなー。

あれ?もしかして、私が参加してないだけだったりして?
立ち読みしてたら欲しくなって、最近買った本。

10日くらい続けてるけど、効果あるよ~(私にはね)
3日くらいで「効果あるな」と思って以来、サボらないようにしてる音譜



本に書いてあること全部を試してるんじゃないけど、フェイスラインもすっきりしてきたし、バストに張りが出てちょっと見た目大きくなってる。
ちなみに始める前にサイズを測ってなかったので、サイズが変わってるかどうかは不明。

リンパ流すのって大事ー!!!

こういうのは20代のうちから習慣づけて置くといいんだなーって思った。
たるみとか、ほうれい線とかできてからなくす努力をするよりも、予防するほうが確実だと思うもん。

お風呂で顔洗ったり体洗ったりする動作としてできるから、慣れてしまえば特に意識しなくてもできるようになるし、何より「リンパが滞ってる感じ」がわかるようになる。

たまにサロンでトリートメントしてっていうのも良いけれど、きれいな状態を維持するには、毎日のセルフトリートメントが断然重要!

この本は漫画だからわかりやすいし、筋肉と骨の図が載ってるところが気に入ってる。
別にこの本のやり方じゃなくても、リンパの流し方知ってる人はぜひ習慣にして欲しい。

リンパドレナージュがいまいち効果が感じられない人は、この本のやりかた試してみると良いかも。
リンパに沿って流すだけじゃなく、頭蓋骨を持ち上げて「脳脊髄液」の流れも良くしましょう、という方法なので、違いがあるかもしれません。