福岡は成長都市のまま、政治だけ昭和でいられるのか
福岡はいま、勢いのある地域として語られることが多い。
福岡市は若い都市として成長し、再開発やスタートアップの動きで全国から注目されている。北九州市も、かつての工業都市から次の都市像を探ろうとしている。空港、港湾、アジアとの距離、食文化、観光、人口の集積。福岡には、他の地方都市にはない強みがいくつもある。
だからこそ、今回の福岡県議会をめぐる一連の問題には、強い違和感がある。
表で語られる福岡は、未来に向かう都市である。
ところが、県政の内側から聞こえてくる言葉は、あまりにも古い。
県議会の正副議長ポストをめぐる金銭授受疑惑では、元議長の吉松源昭県議が、就任前に自民党県議団の幹部から現金を要求され、副議長経験者と合わせて計2750万円を支払ったと証言している。しかも、議長就任には1000万円、副議長就任には500万円を渡すのが長年の慣例だったという。一方で、名指しされた幹部側は「事実無根」と全面的に否定し、逆に県議の側から金の話を持ちかけたと主張している。事実関係はまだ対立したままだ。だから、ここで誰かを犯人のように決めつけることはできない。だが、「議長ポストは金で動くのか」という疑念が県民に生まれた時点で、県議会の信用は大きく傷ついている。
さらに、高島宗一郎福岡市長は、2010年の初出馬時に「ある議員」から5000万円を要求され、断ったと会見で認めている。「まずは家を売ってこい」という表現も、本人の著書『福岡市を経営する』に書かれた内容として、会見で事実だと明言されている。これも今回の県議会疑惑そのものとは別件である。しかし、政治に出ようとした人間に対して、まず金を持ってこいという空気があったのなら、それは単なる昔話では済まない。
県職員の部課長会費が、県議会議長や副議長の政治資金パーティー券購入に使われていた問題もある。部課長会は課長級以上の職員でつくる任意団体で、知事の指揮命令が及ばない親睦団体だとされる。県が6月1日にまとめた中間報告は、これを組織全体の慣例であり、議会への忖度や配慮があったと認めた。まず先行して調べられた総務部では、2016年度から2025年度までの10年分でこの慣例が確認され、報告書は10年以上前から続いてきたとみている。明確な法令違反はないとしつつも、外形的には地方公務員法や政治資金規正法に抵触する恐れがある、と指摘した。県はいま、こうした支出を原則禁止とする通達を全庁に出している。
明確な強制があったかどうかはともかく、議会との関係を考えれば、職員が一人の判断で断るのは難しかったはずだ。これは「違法かどうか」だけで片づけられる話ではない。県職員が、政治家との距離感を自分の判断だけで整理できなかった構造があったのではないか。そこが問われている。
海外視察の問題も、同じ線上に見える。FNNの調査によれば、2024年1月から2026年までに、少なくとも18回、約1億5000万円の公費が海外視察に使われた。ハワイ視察では、県議1人あたりの費用が約300万円。1泊11万円を超えるリゾートホテルに泊まり、航空券はビジネスクラス。
だが、金額よりも問うべきは、その中身だ。ハワイで行われたのは、州知事や州議会議長への表敬訪問、姉妹提携の周年式典への出席、県人会との懇談、物産フェアでのトップセールス——要するに友好交流であって、政策の調査ではない。公表された報告書はわずか2件で、しかもそこには訪問先とのやりとりは書かれていても、帰国後にその成果をどう使ったのかは書かれていない。視察という言葉が、友好旅行を覆い隠している。300万円が高いのではない。300万円かけて県民に示せる中身が、見えないのだ。
そもそも、両地域を結んでいたハワイアン航空の福岡ーホノルル直行便は、需要の低迷を理由に、2025年11月に運休した。数十年の友好交流を掲げ、訪問団を送り続けてきたその足元で、二つの土地を実際につないでいた一本の線は、静かに消えていた。交流とは、いったい何を残したのか。
それでいて、「県議会のドン」とも呼ばれる蔵内勇夫議長の姿勢は、反省とは遠い。会見で「海外旅行は続けます。この考えは一切変わらない」と言い切り、途中で「海外活動」と言い直した。中国の報告書については「あれで十分」と強気を崩さず、高額の契約についても「議会にはまったく権限がない」と述べた。改めるのはごく一部で、大枠は変えない。世論とのズレを、隠そうともしない。
報道への向き合い方も、印象を悪くした。県議会は一時、議会棟での撮影や録音に事前承認を求める取材制限を検討し、「県民の知る権利を侵害しかねない」と批判を浴びて撤回した。議長は不信感を与えたことを陳謝している。
ここまで来ると、単発の不祥事とは見えにくい。
金銭要求疑惑。
初出馬時の高額要求証言。
県職員のパーティー券問題。
海外視察の透明性不足。
取材制限をめぐる混乱。
それぞれは別の問題かもしれない。だが、県民から見れば、同じ匂いがする。すなわち、ポストと金、慣例と忖度が絡み合った古い作法が、福岡県政の奥に残っているのではないか、という疑いである。
これは福岡のイメージにとって、かなり痛い。
福岡は、成長都市として外に向けて発信している。副首都構想のような大きな話もある。アジアの玄関口、スタートアップ都市、観光都市、九州の中心。高島市長自身、今回の疑惑について「副首都を目指す大事な時期に、福岡の印象が悪くなるニュースで残念だ」と述べている。成長都市の表の顔を外に売り込んできた当人が、内側から出てくる昭和の政治に、足を引っ張られている。看板を掲げる一方で、内側から古い地方政治のような話が出てくれば、都市のブランドそのものが揺らぐ。
さらに問題なのは、地元企業にまで疑いの目が向きかねないことだ。
もちろん、福岡の企業がすべて政治と癒着しているなどと言うつもりはない。むしろ、真面目に商売をしている企業、政治と距離を置きながら努力している経営者、現場で汗をかいている人たちの方が圧倒的に多いはずだ。
だが、政治が不透明になると、その真面目な人たちまで巻き添えを食う。
行政に近い企業だけが得をしているのではないか。
パーティー券を買っている企業ほど仕事を取りやすいのではないか。
地元政治との距離が、ビジネスの成否を左右しているのではないか。
そういう疑念が生まれてしまう。
実際にそうであるかどうかではない。そう見えてしまうこと自体が、地域経済にとって損失なのである。政治の不透明さは、政治家だけで終わらない。行政への信頼を傷つけ、地元企業の信用を曇らせ、県外から来る人や企業に「ここは見えない付き合いが必要な土地なのか」と思わせてしまう。
だから、この問題の本質は、福岡県民の性質ではないと思う。福岡という土地が悪いわけでもない。福岡の企業や県民を一括りにして語るべきでもない。
本質は、成長する都市の表の顔と、県政の内側に残る古い作法とのズレにある。
福岡市や北九州市は、少なくとも表向きには、新しい都市像を打ち出そうとしている。高島市長や武内市長のように、メディア発信や都市経営の言葉を持つ首長もいる。一方で、県政の中心には、県議会、自民党県議団、県庁組織、地元団体、後援会文化といった、外からは見えにくい人間関係がある。
その見えにくい場所で、もし古い慣習が温存されていたのなら、ここで断ち切らなければならない。
ただし、この古い作法を前にして、県政の反応は割れている。県庁側の服部知事は、疑念を招いたことを謝罪し、職員数百人への聞き取りを進め、10月をめどに第三者による検証結果を出すとしている。金銭授受の報道には「わが耳と目を疑った」とまで述べた。一方、議会側の蔵内議長は「続ける」「十分だ」「権限がない」と、見直しそのものを拒んでいる。同じ膿を前にして、執行部は開けようとし、議会は閉じようとしている。この非対称こそ、いま福岡県政で起きていることの核心だ。
もっとも、知事の側も無傷ではない。その見直しは、部課長会や契約手続きといった県庁の内側に留まっている。吉松県議は「知事も議会も、過去のことは検証しようとしない」と批判している。開けようとしている、とは言っても、どこまで奥まで開けるのかは、まだ分からない。
その意味で、服部知事の責任は重い。
県議会は知事の部下ではない。地方自治は二元代表制であり、知事が県議会に直接命令できるわけではない。そこは制度上、切り分ける必要がある。
しかし、県職員の部課長会費が政治資金パーティー券購入に使われていた問題がある以上、「議会の問題です」だけでは済まない。服部知事自身、6月1日の会見で、県職員の意識の中に忖度や漠然とした不安が「澱」のように沈んでいた、と認めている。県庁の内側に、議会への過剰な配慮が溜まっていたことを、知事は自分の言葉で認めたのだ。ならば、それを掬い出すのは、知事の仕事だ。
やるべきことは、はっきりしている。
県庁側の慣習を洗うことだ。
誰が会費の使い道を決めたのか。
職員は本当に断れる空気にあったのか。
議会対応の名の下に、どこまで過剰な配慮が行われていたのか。
議員への案内、祝賀会、パーティー券、視察の随行。同じ構造が、別の場所にもなかったのか。
ここを調べなければ、県民の不信は消えない。
服部知事は、派手な政治家ではない。高島市長や武内市長のように、前面に出て都市の物語を語るタイプでもない。むしろ、県庁の中で行政を回してきた人である。
だが、今必要なのは派手さではない。逃げないことだ。
行政を知っているなら、どこに問題が埋まっているかも分かるはずだ。どの慣習が危ういのか。どの関係が県民から見て説明しにくいのか。どこを開ければ、何が出てくるのか。
それを知る人間だからこそ、膿を出し切る覚悟が問われている。
この問題を、誰か一人を処分して終わりにしてはいけない。県民が知りたいのは、単なる犯人探しではない。なぜそんな慣習が続いたのか。誰が利益を得て、誰が断れず、誰が見て見ぬふりをしたのか。そこまで見なければ、信頼は戻らない。
福岡に必要なのは、イメージ回復のための言葉ではない。
県民が見えなかった場所に、光を当てることだ。
成長都市を名乗るなら、政治の作法も成長していなければならない。
福岡が本当に次の段階へ進めるかどうかは、この問題をどこまでクリーンに処理できるかにかかっている。ここで曖昧にすれば、「やはり福岡県政は古い」と見られる。逆に、ここで徹底的に膿を出せれば、福岡は単なる成長都市ではなく、古い政治文化を断ち切った地域として、一段上に進めるかもしれない。
今問われているのは、福岡の勢いではない。
その勢いにふさわしい透明性を、福岡県政が持てるかどうかである。