珍しく家事や用務のない週末、たまには鉄チャンしにどこか行こうと思案した結果、磐越西線に行くことにした。行きがけに只見線に立ち寄るという考えも一瞬よぎったが、それだと金曜日の夜にほとんど寝ないで出かけることになるのでそれはやめた。

このところ磐越西線が話題になることがないので、現場はあまり人出が多くないのではないかと勝手に期待した。実際に現地を訪ねてみるとそんなことはなく、フリークの方々が大勢いた。その方達の話では最近C57 180号機の調子が必ずしも良くはないらしい。同機もいい歳なので、いつ壊れてもおかしくはないだろう。そういえば、別の方面からは、JR東日本はD51 498号機だけを残して他の蒸気機関車を整理するという噂もチラホラ流れてくる。動態保存は運行経費だけでなく、機関車や工場の維持管理費用、スタッフの人件費などなど莫大なコストを要する。それに見合う収入が得られないと、株主から何を言われるかわかったものではない。もちろん会社全体のB/S・P/Lの中での話ではあるが、Covid-19で傷ついた経営立て直しの中での経営陣の苦悩(苦悩してくれていれば頼もしいのだが…)は察するに余りある。D51以外の云々についての真偽のほどはわからない。しかし、今のうちに出撃できるのなら出撃しておくに越したことはないというわけで、久しぶりのC57を一日限りではあるが堪能した。

以下、時系列順に撮影した写真をお目にかける。撮影はいずれも2024.5.25。

↑↓1発目はいつものように北五泉付近にある第二中野踏切近くの農道。天気はマンダーラの様相で、良い光線はあまり期待できない。ここは農繁期でなければセットした三脚のすぐそばに車を停めることができるのがいい。爆煙は全く期待できないが…。久しぶりの撮影ポイントで勘が鈍ったのか列車長の目測を誤り、編成が画面に入りきらなさそうだったので慌ててズームダウンしたが、カツカツになってしまった。(新関ー北五泉にて)

↑↓安田ICから津川ICまで高速を利用して移動したが、橋梁正面狙いの立ち位置は既に満員御礼であった。すかさず後追いで撮れる場所へ転線した。ここで撮るのはハッセルブラッドを使っていた頃以来なので、もしかすると20年ぶりくらいかもしれない。(鹿瀬ー日出谷にて)

↓深戸集落からは一般道を走った。上野尻あたりで飯豊山系が見えていればそこで撮ろうとも思ったが、山の頂は雲に隠れていたのでスルーして先を急いだ。一ノ戸川への現着が早かったので和尚山近くの駐車スペースに車を停めることができた。ここでは望遠ズームに1.4倍のテレコンをかませて橋梁上の車両のアップを狙った。撮り終えた後に画像をチェックすると、乗車率はあまり高いとはいえないようだ。(下4点とも山都ー喜多方にて)

↑↓返しの最初は濁川橋梁を遠望する場所。ここもハッセルブラッド以来。あのときは同じ5月でも新緑が眩しいGWだった。たった半月で緑が濃くなるものだと認識を新たにした。この日は風が強く、三脚の転倒防止のためカメラバッグを重しとして吊るした。列車は4分遅れでやってきた。(喜多方ー山都にて)

↓上の写真には後からやって来た輩が写り込んでいる。距離があるので排除も叶わず、仕方ないと諦めることにした。まぁ、編集の過程で消えてもらおう。

↓往路の追っかけで上野尻の国道オーバークロスあたりから線路が綺麗に見えていた。何年か前に訪れたときは草ぼうぼうで写真にならなかったので、復路に間に合えば撮ろうと思った。喜多方から遵法運転で走ってきたが、余裕をもって現着することができた。到着した時点で背後に闖入してきた輩がいたが、ほどなくしていなくなったのでホッとした。列車の遅れは10分に拡大していた。(野沢ー上野尻にて)

↑↓峠を越えて新潟県側に入ると雲一つない快晴。夕陽に期待がもてる馬下へ急いだ。田植え直後の水が張られた水田を手前に入れて撮影した。線路の反対側でのギラは今シーズンはなかなか撮影適地がないようだ。列車の遅れは若干縮まり、7分遅れだった。(馬下ー猿和田にて)

↓馬下から村松・栃尾経由で小出に着いたのは20時半頃。小出ICそばのラーメン店で遅い夕食を食べ、関越道には入らず国道17号を南下して次なる目的地を目指した。(ラーメンあづまや本店にて)


【お知らせ】

猫実マサヒロ氏(steam_locomotive_nostalgia)と青井岳夫によるYou Tubeチャンネル『機関車ラヂオ』。国鉄時代のあれこれに関し、アラ還前後のいい歳こいたオヤジのダベリと言えなくもありませんが、皆様にご笑覧いただければ幸いです。