初めて名鉄の谷汲線・揖斐線を訪れたのは1982年5月だった。前夜、東京駅から大垣夜行(345M)に乗り、豊橋で下車。飯田線豊橋口で旧型国電の撮影をし、愛知御津や西小坂井に運用を離脱して留置されている153系を撮りつつ、13時過ぎに岐阜に着いた。名鉄市内線の忠節で乗り換えて谷汲線赤石で下車した。キネ旬の『蒸気機関車』誌の撮影ガイドで赤石付近に好撮影地が点在することを覚えていたからである。そこで根尾川の対岸を走る赤い電車を数本撮影して、黒野に行ってみることにした。乗車した電車は中央に配置された運転台、木の床、ニスが輝くレトロな車内、タブレット閉塞と被写体として申し分ないものであった。

↓新緑の緑に名鉄レッドが映える。(赤石〜北野畑/1982.5.29(以下同じ))

↓春のどやかな赤石駅に丸窓電車が進入してきた。(赤石)

↓北野畑で対向列車と交換するため、運転士が駅長にタブレットを渡す。(北野畑)

↓車内は走行音も揺れも大きく、話すのもひと苦労。(谷汲線車中にて)

そして、黒野に着いてビックリ。狭い構内に古臭い電車がひしめいているのを見て、時がスリップバックした感がした。特に驚いたのは、戸袋窓が円形の車両がいたことである。モ510形というようだ。当時「丸窓電車」といえば、上田交通のモハ5250形が知られていて、まさか名鉄にも丸窓電車がいるとは不覚にも知らなかった。そのほかにもモ750形という、セクシーな台車を履いた車両もいた。後で調べてみると、この台車は米国ボールドウィン社の台車に範をとった住友製らしい。さすがSミンデン台車の住友と、妙に納得がいった。(その昔「住友のSミンデン台車には成熟したオンナの色気がある」と言った輩がいたとかいなかったとか。ちなみに僕ではない。)

↓黒野のモ510形(黒野)

↓これも渋いモ750形。台車に注目。(黒野)

これはとんでもないところに来てしまったと感じた僕は、もう少しこれらの電車を撮っておきたいと思い、黒野から下方に移動した。下方と政田の間には根尾川に架かる長い橋梁があることを知っていたのである。そこで夕暮れ時の斜光線を浴びながら駆け抜けるオールドタイマーを撮影した。

↓深いキャンバストップがオールドタイマー感を醸し出している。(政田〜下方)

↓谷汲の山々を背に黒野行がやって来た。(相羽〜下方)

↓車内は部活帰りの学生たちで賑やかそうだ。(政田〜下方)

周囲が薄暗くなった頃、下方から揖斐線の終点である本揖斐まで行き、近鉄養老線(現養老鉄道)に乗るため揖斐駅まで歩いた。そして、大垣発20:35の340Mで東京に戻った。

今回の訪問で特に谷汲線の沿線風景が気に入った僕は、その後も時折同線を訪れることになる。しかし、岐阜市近郊というのに利用者が少なかったのか、揖斐線・谷汲線ともに2001年10月に廃止されてしまった。