1980年に大学に入学して最初の夏休み。どこに旅するかは前もって決めていて、6年ぶりに九州に行こうと思っていた。中学高校時代からの相棒に話を持ちかけたところ同意してくれたので、ふたり旅となった。乗りつぶしをしたいという相方の意向もあり、九州に入るまでに各地を経由することとなった。(本文中の列車名・時刻等は日本交通公社刊『時刻表1978年10月号』による。)

 

【一日目(東京から名古屋へ)】

出発は7月16日。九州ワイド周遊券(20日間有効で学割16,200円)を購入し、東京発06:25の湘南電車(831M)で国府津に行き、08:05発の御殿場線631Mで09:32に沼津に着いた(御殿場線完乗)。沼津で昼飯用に駅弁を調達。メモ帳には「駅弁(沼津)¥400」と記されている。いま当時の時刻表で調べると、どうやら鯛めしのようだ。それを小脇に抱えて09:55発の東海道線普通列車(441M)に乗り込んだ。富士でいったん降り、到着したばかりの身延線列車を慌ただしく撮って、甲府発の急行富士川に乗り込み、その車内で鯛めしを食べた。そして、静岡で乗り継いだ11:25発の445Mを掛川で降り、すぐに発車する二俣線の635Dに乗車した。途中の遠江二俣での停車中にキハ20同士の交換シーンを撮影したり、金指での交換で進入してきた貨物列車(DE10重連)を撮影しながら、豊橋に14:44に着いた(二俣線完乗)。14:53発の東海道線快速(3131M)で名古屋に15:54に到着。

当初の計画では、このまま3131Mに乗り続け、相方は美濃赤坂へ乗りつぶし、僕は近江長岡で撮影をする予定でいた。しかし、相方がユースホステル(YH)の会員証を忘れてきたため二人とも名古屋で下車し、今日の宿泊先である愛知県青年会館YHへ直行した。そこで会員証の再発行をしてもらい、ことなきを得た。結局、この日は一日中乗りつぶしということになったが、それなりに楽しく、蒸し暑い中を歩かないですんだので正直いってホッとしたのもたしかである。

↑↓富士に到着し降車客がいなくなった身延線242M(クハ47061ークモハ60804ークハ47057ークモハ60812/いずれの車両も静ヌマ)

↓遠江二俣で並んだ新旧塗装のキハ20

↓二俣線金指に進入する貨物列車。途中に勾配区間があるため、C58当時から貨物は重連で任に当たっていた。前位のDE10がピカピカなのはいいが、編成が短かすぎるのが残念ではある。

 

【二日目(名古屋から新大阪へ)】

二日目の朝は名古屋駅のホーム端にあるスタンドできしめんを食べてから08:10発の関西本線201D急行“かすが1号・平安”に乗車。亀山で普通235Dに乗り換え、加太に09:37に着いた。この日程はいわゆる中在家信号場付近にある加太越えの大築堤で撮影しようと目論んでいた僕の希望である。しかしながら、なぜか駅から関方面に向かってしまい、どこまで歩いても大築堤が現れないなぁと気づいたときは遅く、僕の完全なミスであった。今更引き返すのも時間の無駄で、夏の日差しが照りつける中で汗がひときわ多く流れた。それでも沿線のところどころで撮影をこなした。昼近くになり食料を持参してこなかったことに気がつき、12:15加太発の236Dでいったん亀山に戻って駅弁を調達し、12:40発の241Dに乗車した。メモ帳には「駅弁(亀山)¥550」と書かれていて、それが何だったのか前述の時刻表で調べたが記載はなかった。きっと加太・拓殖間の大築堤を恨めしげに眺めながら駅弁を食べたのだろうと思う。

それでも後学のためにロケハンしながら列車に揺られ、14:30に奈良に着いた。奈良からは奈良線650Dで木津に戻り、そこで15:34始発の片町線939Dに乗って長尾まで。電車に乗り換えて片町に着いたのは17時前だった(片町線完乗)。このへんの路線は東京もんには土地勘がなく迷うところだが、幸い関西在住経験のある相方についていくだけでよいのは心強かった。その後は、片町から京橋→大阪→天王寺→京橋(大阪環状線完乗)→大阪というルートで新大阪に出た。ラッシュ時ゆえマナーが良いのか悪いのかわからない大阪でとんでもない目に遭うのではないかと恐れていたが、拍子抜けするくらい何事もなかった。そして、その日の宿となる18:31発の201レ“阿蘇・くにさき”の自由席(ハザ)を確保した。

↓以下の4点はいずれも関西本線加太ー関にて撮影。

 

【三日目(新大阪から行橋へ)】

新大阪を定時に発車した“阿蘇・くにさき”に揺られながら車窓を見るとはなしに見ていると、加古川あたりで並走する新幹線がパンタグラフからスパークを放ちながら疾走していくさまがとても印象的だった。あのシーンを夜間に流し撮れば相当面白い写真が撮れるのではないかと思った(今に至るまで実践はしていないが…)。

そして、いつの間にか眠りについたようだが、下関の手前で目が覚めた。もう眠るわけにはいかない。下関は05:04着の05:16発。ホームに出て、僕らの列車を追い抜く581系の寝台特急“なは”を撮影した。

そして、関門トンネルを潜り、三日目にして久方ぶりの九州上陸を果たした。そして、最初の目的地である田川線に向かうべく、行橋に降り立ったのは06:07であった。

↓下関に停車中の京都発西鹿児島行33M“なは”