とうとう根室本線の富良野・新得間が廃止になった。学生時代から何度も、それこそ数えきれないくらい北海道を訪れてはいるが、仕事でも鉄チャンでもこの区間に足を運んだことはなかった。ところが、2021年の夏休みに連れとの北海道旅行(ほぼ非鉄)で新千歳空港から日高地方を経由して帯広へ向かう途中、かなやま湖に立ち寄った。中富良野町にあるファーム富田のラベンダーは盛りを過ぎたが、かなやま湖は今が盛りだと聞いて訪れたのである。せっかくなのでついでに対岸を走るキハ40を撮影したのが初めてである。さらに幾寅駅と落合駅も訪れてから狩勝峠を越えた。落合駅の佇まいなどを見るにつけ、やはり根室本線は腐っても本線なのだという印象を持った。そして、いつか機会があれば再訪して、ついでではなくじっくりと写真を撮りたいと意識するようになった。

廃止直前の先月末には沿線で様々なイベントが催されたようだ。

↑富良野市/↓南富良野町

その機会は2年後、去年の5月にやってきた。現地はちょうど桜が満開の時期だった。金山ダムサイトで満開の桜を前景に、残雪の芦別岳を背景にしてコンクリート橋を通過する列車を撮影した。撮り終わって富良野方面に向けて車を走らせていると、国道237号から国道38号に入ってほどなく、東大演習林があるあたりの桜並木の向こうに芦別岳がドーンと視界に飛び込んできた。感動の瞬間であった。これはなんという素晴らしいロケーションなのだと身ぶるいしたほどである。

僕は芦別岳をみくびっていた。それからというもの、7月、10月、12月、さらには今年に入って3月と立て続けに訪れた。毎週のように根室西線に出撃したり、天気予報で激山が期待できそうなときにはスクランブル発進も厭わない若い鉄チャンの足元にも及ばない頻度であるが、僕としてはとても珍しい高頻度の訪問である。なぜそこまで足繁く訪れるようになったのか、自分でもよくわからない。なんとなく感じているのは、先にも書いたように廃止予定区間は腐っても本線であるということ。僕は若い頃から盲腸線のようなローカル線にはあまり食指が動かない。味噌汁のような雰囲気はあまり好みではない。それと、若い頃ハマっていた『北の国から』の舞台だったことも影響していると思う。

若い鉄チャンが滝川・新得間を「根室西線」と言っているのは言い得て妙だと思う。その沿線を丹念にロケハンしていると、各駅には交換設備があり、かなりの長編成列車でも交換が可能な有効長を確保している。石勝線開通以前の貨物輸送華やかなりし頃の名残りだろう。また、駅構内の信号柱などまさに本線仕様である。富良野駅はもとより山部駅ですら、線路を跨ぐようにして信号柱が建っている。道床が厚く盛られしっかりとしていることは言うまでもない。まさに自分好みの路線であった。

そんな本線仕様の路線なのであるから、最後の最後くらいは札幌発の特急車両(キハ261系)を東鹿越まで運転してほしかった。それが実現していれば、なにを差し置いても駆けつけようと思っていた。しかし、現実に運転されたフラノラベンダーエクスプレスは富良野止まりであった。いずれにしろ寂しさが募るばかりである。

富良野・東鹿越間には丹念にロケハンすると良好な撮影ポイントが散在していた。中には通称XXX俯瞰のように秘匿されて画像が全く公開されていなかったポイントもあるが、そんなポイントでも一定数の鉄チャンは場所を熟知していたようだ。まさに蛇の道は蛇といったところ。それにしても、秘匿してきた俯瞰撮影ポイントが廃止を待たずして早漏のごとくSNSに出てくるようになったのが面白い。以下に掲げる写真は再掲するものもあるが、ご寛恕を乞う次第。

↓夜が明ける前に東鹿越に向けて送り込み回送が通り過ぎる。(富良野ー布部)

↓ここでは遠くからでも目立つタラコかツートンを撮りたかったが、それは叶わなかった。雪景色に北海道色よりははるかにマシであるが…(富良野ー布部)

↓金山ダムサイトで激山に恵まれたのは、この日が最初で最後だった。(金山ー東鹿越)

↓こんないい撮影ポイントでも空いていて、和気藹々とした雰囲気なのが北海道のいいところ。(山部ー下金山)

↓かなやま湖にはラベンダーが咲き誇っていた。後年、ここで町の嘱託によりラベンダーの手入れをするご老人から苦労話をお聞きしたのも思い出である。(金山ー東鹿越)

↓一日の終わり、夕暮れどきには布部に行くのがなかば恒例となっていた。(布部ー山部)