今から丁度50年前の1974年2月中旬、当時通っていた中学校の入試休みを利用して南宮崎電化直前の日豊本線を訪れ、C57などの蒸機を撮影したのが我が鉄チャン人生の始まりである。それ以前にもオリンパスのハーフサイズのカメラを持って、友達と共に近所の中央線を走る列車を撮影したり、家族との旅行の際に駅撮りをすることはあった。でもそれらは前史であって、一眼レフを持ち、意識して鉄道写真を撮って以来半世紀が過ぎたということである。

かつて「受験」「就職」「結婚」という三つのハードルを乗り越えてなお鉄チャンを続けていれば一人前ということが言われていたが、どうしてどうして、この三つをクリアしたくらいではとてもじゃないが一人前とは言えないというのが実感である。X(Twitter)などのSNSを見ていても、うん十年ぶりに鉄道写真を再開したとか、長いブランクの末に鉄チャンに復帰したという人が多い。会社に就職してキャリアを積むとともに仕事が忙しくなる、あるいは育児や介護などで趣味どころではなくなるとか、人生の至るところにハードルがある。

僕も長いこと鉄チャンどころではない多忙な職業人生を送ってきた。10年ほど前には欲求不満のはけ口として鉄道模型(16番)に手を出した。数年前に退職して鉄チャンできる余裕ができてからは、模型の方はご無沙汰になってしまっている。しかし、職業人生での紆余曲折の際に趣味に助けられたことが何度もあった。没頭できる趣味があって本当に良かったという思いである。ともあれ、なんとか今でも鉄チャンができていることに対し、大いに感謝している。これからも線路端で写真を撮り続ける鉄チャンでありたいと思う。

↓1974年2月に降りたった日豊本線宮崎駅。親に買ってもらったばかりのペンタックスSPFを抱え、新幹線ひかり(東京→岡山)・581系寝台特急きりしま(岡山→西鹿児島)・キハ58系ディーゼル急行錦江(西鹿児島→宮崎)と乗り継いで到着。旅立つ前からC57をファーストショットにすると決めていたので、途中でカメラを取り出すことはなかった。そうして万感の思いを込めてシャッターボタンを押した。1点目がそれである。いずれもネガカラーゆえ褪色が著しく見苦しい点はご寛恕を乞う次第。