能登半島地震への対応については、いろいろ困難かつ特殊な状況にあるのだろうと推察する。集落に至る道路が寸断されていて容易には啓開できないとか、海岸が隆起して船が接岸できないとか、これまでに例を見ない難しさがあると思う。それでも、今回の能登半島地震に対する政府対応はどうにかならないのかと思ったのも事実である。ある情報誌によると、今回の政府対応は2日遅れていると指摘する中央官庁中堅幹部もいるという。

僕は2011年の東日本大震災のときはある省で予算編成を担当していた。2016年4月の熊本地震の際は組織全体の災害対応の担当だった。また、同じ年に北海道を襲った五つの台風被害のときは、土木関係の災害復旧を担うポストに異動していた。あの根室本線東鹿越ー新得がやられたときである。

災害対応の要諦は平時の発想からの切り替え、いわゆる災害モードへの転換、それも100%の転換だと思っている。何はさておいても災害対応を最優先するということである。これは理屈ではない。四の五の理屈を言っている場合ではないからだ。

こういうときは自治体の対応に多くは期待できない。そりゃそうだ、この手の災害は滅多に経験していないので右往左往しているのが実態だ。「想定外です」とかなんとかかんとか言ったって、現実は目の前にある。それを前にウロウロしているというのが僕のこれまでの実感である。だから、こういうときは政府の対応がとても重要である。

能登半島地震のような甚大な災害が起こると、政府に全ての府省庁からなる災害対策本部が立ち上がる。今回も立ち上がったのだろう。そこで毎日役所の事務方が総理官邸に詰める内閣官房副長官(事務)のもとに参集して被害状況の報告と今後の対応方針が議論される。議論の中心になる官庁は、内閣府防災、防衛省、警察庁、国土交通省あたりの災害に密接に関係する省庁である。しかし、そのほかの省庁も尻込みしていてはならない。当時の例で言えば、例えば、道路は被災者の救護を優先するために緊急車両以外は通行禁止にすると決まりそうな勢い。しかし、被災地への急行が求められるのは救急車や消防車、自衛隊や警察の車両だけではない。食料を届ける民間車両も通行させるべきである。そういうことを臆せずに政府の災害対策本部で臨機応変に主張できる図太さが必要だ。会議の空気なんぞ読む必要など全くない。考慮すべきは現地(被災者)以外にない。そういう気概をもって災害対応に当たってほしいと思う。被災地への食料支援のもどかしさをみるにつけ、そう思ってしまうのである。

また、それぞれの府省庁の職場内で災害対応だからといって無理を強いると、パワハラとの誹りを受けるかもしれない。そうすると強力な対応をしようにも指示が鈍らないとも限らない。しかし、今無理をしないでいつ無理をするのだと言いたくもなる。それがパワハラなんだと言われれば何をか言わんやである。

ある省では、熊本地震の際に現地に派遣された本省局長(現在は民間人)を顧問として呼び戻したと聞く。OBに頼らずとも現役だけでしっかりと災害対応ができないものかと逆に心配してしまう。

以上述べたことが杞憂であることを祈りたいし、現役国家公務員諸君には「考えられることはなんでもやる」「過去の先例にとらわれず果敢に実行する」というラインで頑張れとエールを送りたい。

↓能登地方へは1990年にC57とC56の重連を撮りに行って以来、とんとご無沙汰をしている。今回の地震では当時訪れた地名を目にすることも多く、胸が痛む。以下はいずれも七尾線にて撮影。下の2点の写真は1989年2月に撮影したもの。沿線に雪はなく、拍子抜けした。

↓下の3点はいずれも1990年2月に撮影したもの。前年に続き、東京からマイカーを運転して出かけた。それだけ若かった。