しばらく前(昨年11月)に岩波文庫の『アイヌ神遥集』を読んだ。同書が最初に刊行されたのが1923年というから、ちょうど100年前。その著者が知里幸惠という人である。文庫本にある中川裕氏の解説によると、知里幸惠(ちりゆきえ)は1903年6月に北海道幌別郡(現登別市)に生まれ、6歳のときに叔母に預けられ、旭川・近文で暮らすことになった。アイヌの伝承の第一人者である祖母や叔母と暮らす中で、幸惠もアイヌ語とアイヌ文学の造形を深めていったという。15歳のときに金田一京助に見いだされ、最初は心臓に病を抱えていたため上京できずにいたが、意を決して1922年に上京。金田一から与えられたノートに書きつけていたアイヌの伝承を出版すべく準備を進めた。その年の9月18日にようやく校正を終えた彼女は、その日の夜心臓発作を起こし急逝した。享年19。なんという壮絶な人生なのだろうと思う。彼女が長生きしていたら、もっともっとアイヌの物語を読み、知ることができたであろうにと思うと残念の極みである。

↑↓『アイヌ神謡集』は左頁にアルファベット表記のアイヌ語、右頁に日本語訳がある。

いまプラネタリー・バウンダリーということが言われ、生物多様性の回復が地球的課題として浮かび上がってきている。さらには、これからの物事の考え方として、ネイチャー・ベースト・ソリューションズ(Nature-based Solutions)が求められる世の中になっている。自然に範をとった発想である。

そうした中で本書に描かれている様々な神謡(神々が主人公になって自分の体験を語る、比較的短編の叙事詩)では、梟や狐、蛙、カワウソといった動物(自然神というらしい)が出てきて、それぞれ自分の体験を語るという形式をとっている。そこで語られていることは、今を生きる我々にとって示唆に富むもののように思われた。

↑↓国道391号の川湯付近(上)と野上峠付近(下)の光景。通るたびにいつもカムイを感じる。

北海道をレンタカーで旅していると、アイヌの息遣いを感じる風景に遭遇することがしばしばある。例えば、日高地方の国道237号を平取から占冠に向かって走っていて遠くに異様な山塊の山が見えたときなど、カムイの存在を意識する。また、国道391号の野上峠の川湯側から望む山々の景色も神々しく、ハンドルを握りながら思わず居住まいを正してしまう。北海道で見かけるこのような光景には、アイヌの人たちも同じ気持ちで接していたのではないかと思うのである。

知里幸惠の故郷である登別市には、2010年に「知里幸恵 銀のしずく記念館」が開設され、幸惠の弟の孫が館長を務めているという。白老のウポポイと併せて訪れたいと思う。

彼女はいま登別市の富浦墓地に眠っている。ここは一昨年4月に訪れたことがある。もちろん彼女の墓があるとはつゆ知らず、富浦の街を見下ろす高台にある墓地のはずれから室蘭本線を行く列車を撮った。もし再び現地を訪れる機会があれば、今度は彼女の墓前で手を合わせようと思う。

↑↓富浦墓地前の道路脇から富浦駅を見下ろす形でカメラをセットした。天気も良く、函館方面の駒ヶ岳までがくっきりと見えた。(2022年4月撮影)