先日Twitterを見ていたら「今日から撮影罪が新設」という書き込みがあり、列車を撮影する際、乗客や乗務員などが映り込んでいると撮影罪になるかもしれないと記されていた。そんなまさか!?と思いつつ、政府のWebサイトを調べてみたところ…

撮影罪を規定した法律の正式名称は「性的な姿態を撮影する行為等の処罰及び押収物に記録された性的な姿態の影像に係る電磁的記録の消去等に関する法律」という。そういう法律を作る理由として、「性的な姿態を撮影する行為、これにより生成された記録を提供する行為等を処罰するとともに、性的な姿態を撮影する行為により生じた物を複写した物等の没収を可能とし、あわせて、押収物に記録された性的な姿態の影像に係る電磁的記録の消去等の措置をすることによって、性的な姿態を撮影する行為等による被害の発生及び拡大を防止する」ことが掲げられている。

噛み砕いて言うと…この種の行為を取り締まる法規としては都道府県の迷惑防止条例がある。しかし、飛行中の航空機内での迷惑撮影などは撮影がどこの都道府県で行われたかの特定が難しいので条例適用が見送られるケースが多いことから、航空会社等からの要請を踏まえ、全国どこでも適用される法律を制定することにしたようだ。

そういうわけで、なぁーんだ、相手の承諾なくエロい写真を撮った者を処罰する法律ではないか、鉄チャンには関係なく一件落着かと思った。僕の素人解釈では「性的な意図」をもって撮影したかどうかが重要なポイントだと理解したのである。

しかし、念のためもっと調べてみることにした。それというのも、この国はこの種の事案に過剰に反応する傾向があり(例えばかつての喫煙や近年のマスク装着を巡る状況が挙げられる)、この種の規制は(法律が規定する以上に行政が厳しく運用することはないにしろ)社会規範としてはより厳しい形で定着する可能性なきにしもあらずと思ったからである。果たして…

↓とある航空会社のポスター

ある航空会社のポスター(上に貼り付けた画像参照)を見ると、上半分は今回の撮影罪に該当する絵が描かれている一方で、下半分には撮影罪には該当しないが遠慮すべきケースとして、CAが勤務している様子を気づかれない位置から無断で撮影している絵(左下)が描かれている。これなど必ずしも「性的な意図」があるとは言えないと思うのだが…

やはりそうか、と思った。撮影罪の啓発ポスターに挙げられているということは、このような、本人の承諾のない写真が社会的に許されなくなる日が近づいていると直感した。これを鉄道写真のケースに当てはめると、駅や車両センターなどの施設で車掌をはじめとするスタッフが働いている風景を無断で撮影するという場合である。では、電車の顔を撮影するときに運転士や車掌などがたまたま映り込むのは許されるのだろうか。スタッフを撮ろうとしたものではないので許されると考えられなくもない。しかし、社会規範の方向としては許されなくなると考えた方が無難だ。女性スタッフの場合など特に注意が必要となりそう。ましてやそれをSNS等に投稿することは難しいと考えた方がよいと思う。

そういうことからすると、駅などで登下校の学生・生徒の乗降シーンを車両と絡めて撮影するという行為は本人の了解を得ていないのであれば限りなくNGに近いと考えるべきだろう。

顔をぼかして投稿する分には差し支えないのではと考える向きもあろう。さはさりながら、そのような写真を撮ったということは明らかなのだから、世間からは決して好意的に見られることはないと思う。

いやはや、なんとも写真を撮りづらい世の中になったものだ。大袈裟かもしれないが、市井の人々の飾らない日常を記録することは今後は不可能になってしまい、スナップという写真の分野が消えるということなのだろうか。街角スナップの巨匠木村伊兵衛のような写真家はもう現れることはないかもしれないと思うと寂しい。

それにしても、「撮影罪」という言い方はなんとかならないものか。法律では「性的姿態等撮影」という用語が用いられているのだから、「性撮罪」とでもするべきではないか。

↓肖像権を意識せざるを得ないと感じた最初の写真。2019年の秋にスペインはバスク州の州都ビルバオでトラムを待ち構えていたら、どうも様子が変。近づいてきたところをよくよく見ると、写真に映らないよう運転士が掌で顔を覆っていた。

↓函館本線森駅でのひとコマ。ほんのわずかな停車中に専務車掌と駅員が語り合う。(1980.12)


↑↓早春の玉川村駅にて。水郡線にC56 160が走った日のひとコマ。こういう風景には添景としての人物は不可欠だと思う。人物が写っていない写真を想像すると味気ないことこの上ない。(1985.4)

↓休日の朝にもかかわらず女満別駅には数人の高校生が下車した。(1985.5)

↓在し日の名鉄八百津線にて。レールバスが中野駅に着くと子供達が降りてきた。背後の空を見ればおわかりのとおり、この後夕立に見舞われた。(1985.7)