キハ40(ヨンマル)を撮り込んでいる若い鉄チャンの存在を知ったのは昨年2月に釧網本線を訪れたときだった。DL冬の湿原号や根室本線のキハ283系の撮影の合間にオホーツク海の流氷を見に行った際、車でヨンマルを追いかける若い鉄チャンが少なからずいるのを目撃し、率直にいって驚いた。

キハ40は新製当初から朱色5号(いわゆる首都圏色)というなんとも味気ない塗色で登場し、鉄チャンの失望を買いつつもキハ10系・20系や旧型客車列車を置き換えていった。その割にはとても非力で、発車時のもたつきぶりは鈍臭いという表現がピッタリだった。他方、アコモデーションについては冷房がないことを除けば清潔感に溢れていて好感が持てた。だからキハ40はもっぱら移動の手段であって、それ自体をメインターゲットとして撮影をするということはなく、来ればついでに撮っておくというスタンスだった。そんなわけだから、僕はキハ40になんの思い入れもない。

↓以下にキハ40デビューから比較的間もない頃の写真をお目にかける。ヨンマルの写真はほとんどが北海道で撮ったものだが、内地で撮った写真も少しある。

↑↓磐越東線にて(上・1983年10月、下・1984年3月)

 

↓宮津線にて(1987年5月)。これはキハ47かもしれない。

↓高山本線にて(1984年7月)

しかし、釧網本線でのヨンマル追っかけ鉄を目撃して以来、SNSを見るときなどキハ40の写真、特に北海道で撮られた写真を意識するようになった。そういう北海道でヨンマルを追っかける鉄チャンは石北本線・根室西線の列車番号や配置区である旭川運転所の運用などそらんじているようだし、車番だけで北海道色かタラコかツートンかがわかるようで微笑ましくなった。タラコ2連をタラタラ、タラコとツートンの2連をタラツーというらしく、なるほどよく言うなと感心したりもする。

それで思ったのは、なんのことはない、僕らの時代のEF58(ゴハチ)に相当する存在がヨンマルなのだ。あの頃僕らは8111レとか6347レ、あるいは荷の38レといっただけでどの列車かわかったものだし、ゴハチ172両の1台ごとの違いも熟知していた。それとおんなじなのだ。対象は違えど、まさに歴史は繰り返すということだ。

かつては全国至るところで見ることができたヨンマルだが、めっきり減った。JR東日本や東海には既になく、北海道の石北本線(一部釧網本線北部)と根室本線ほか、西日本・四国・九州に残るのみである。このうち朱色で残るのは北海道と西日本のみという状況だ。

そういうヨンマルを追いかける若い鉄チャンの写真を見るのは楽しい。僕のような老人鉄と違って、大胆なアングルというか思いもつかない構図というか、とにかく若い感性を目一杯発揮して撮影していることに大いに好感が持てる。僕の老いた感性も刺激されようというものだ。ヨンマルの活躍もそう長くはないだろうが、彼らヨンマル追っかけ鉄には是非とも新たな撮影ポイントを開拓してほしいと願うのである。

↓以下に北海道でのヨンマルをお目にかける。

函館本線目名ー上目名にて(1980年12月)

↓宗谷本線蘭留ー塩狩にて(1984年1月)

↓石北本線金華ー常紋(信)にて(1985年5月)

↓函館本線塩谷ー小樽にて(1993年5月)