1983(昭和58)年11月、久しぶりに関西方面に撮影旅行に出かけた。関西訪問は前年4月の山陰旅行以来だから、1年半ぶりということになる。今回は五泊六日という比較的長丁場であった。その三日目、それまでまだ訪れたことのない兵庫県西部の別府(べふ)鉄道に行ってみようと思った。国鉄の次期ダイヤ改正(59.2改正)に連動して路線廃止がアナウンスされていたこともあり、この機会を逃すわけにはいかなかった。

前日は宮津線や小浜線で撮影した後に豊岡からいったん鳥取に向かい、出雲市からやってくる寝台車付きの普通列車“さんいん”に乗車した。3時前に福知山で降り、駅待合室で小一時間ほど待機し、福知山線の一番列車である732レに乗って武田尾に向かった。武田尾では朝の通勤通学輸送で次々にやってくるDD51牽引の旧型客車列車を道場側と生瀬側それぞれで何本か撮影し、昼前に大阪に出た。それから西明石・加古川を経て13時半頃に加古川線野口に着いた。

別府鉄道は拠点である別府港駅からV字型に二つの路線があった。野口に至る野口線(3.7km)と山陽本線土山に至る土山線(4.1km)であるが、初訪問に当たりなぜ野口線の方を選んだのかは今となってはわからない。復路に土山線に乗るつもりだったのかとも思うが、実際は野口線に乗って帰っている。野口線が1日9往復もあったのに対し、土山線は4往復しかなかった。

さて、野口についた僕はロケハンを兼ねて別府港駅まで歩こうと思った。藤原製作所前・円長寺・坂井・別府口の各駅に立ち寄っては駅の風景を写真に収めつつ別府港駅に着いた。沿線ではこれといった撮影ポイントを見つけられず欲求不満のまま別府港駅に来てしまったわけだが、着いた途端僕は激しいタイムスリップ感に襲われた。そこはまるで時が止まってしまったかのような情景が広がっていた。

↓別府鉄道野口線の各駅。左上から時計回りに、藤原製作所前・円長寺・坂井・別府口。各駅といいながら、野口駅を撮り忘れているのが情けない。

さっそく駅職員に構内での撮影許可をもらい、撮影を始めた。小型のL型ディーゼル機関車(2軸駆動のDB201と3軸駆動のDC302)はブルーの好ましい塗色であった。この2両が貨車や客車の入換で構内を忙しげに行き来していた。野口線の旅客輸送は正面4枚窓・2扉車のキハ101が担っていたようだ。これだって元をただせばキハ41000形なわけで、十分に古い車両だ。そして何より驚いたのがハフ7というオープンデッキ・2軸・二重屋根の客車であった。これが明治の雰囲気を大いに醸し出していたのである。こちらは土山線に当てられていたようだった。今の僕なら何をさておいても乗車すると思うが、当時は車両の記録(撮影)を優先して、乗るという発想はなかったらしい。何を考えていたのかわからないが、なんとも残念なことだ。

↓野口線の主力キハ101

↓DC302。前面ラジエーター前のカバーが強風でめくれている。

↓別府港駅で発車を待つDB201とハフ7

当日は強風が吹いていたが、そんなことはお構いなしに僕は滅多に見ることのできない情景を良好な光線状態で撮り続けることができた。あまりの強風のために一時的に切符が販売停止になる騒ぎもあった。そして、日が暮れ始めた頃、僕は後ろ髪をひかれつつ現場を後にして、北海道で知り合った鉄友の住む京都の下宿に転がりこんだのであった。

↓土山線の列車。乗客はゼロ。腕木式信号機の柱が異様に高い。