1985(昭和60)年の3月から9月までの半年間、茨城県下で国際科学技術博覧会、通称つくば万博が開かれた。開催地一帯は今でこそ研究学園都市が広がり、常磐自動車道やつくばエクスプレス(TX)が走る人気の田園住宅都市となっているが、当時は田畑が広がるばかりの純農村であった。

そんなところに日本国内はもとより世界中から人を呼び込もうというのだから大したものである。ホテルなど近くにはなく、せいぜいが土浦でキャパシティも小さい。足となる交通機関は開催直前に常磐自動車道の谷田部ICが開設されたものの、TXはまだ姿かたちもなく、国鉄の最寄駅となる牛久から会場までは10km以上もあった。そんな状況で最終的には2000万人を超える来場者をさばいたのだから、並大抵の努力ではすまなかっただろうことは容易に想像がつく。

定時かつ大量輸送の切り札は昔も今も鉄道だ。国鉄は牛久駅と荒川沖駅の間に万博中央駅という臨時駅を作り(その後紆余曲折を経て現在はひたち野うしく駅となっている)、臨時列車を多数運転しピストン輸送に励んだ。当駅のほか牛久駅、土浦駅、関東鉄道常総線水海道駅などからは会場までシャトルバスが運行された。そして、足りない宿泊施設を補うため、なんと国鉄はホテルの代わりとなる寝台車を連ねた列車を走らせた。これがまたなんとも凄い運行形態だった。夜土浦駅を発車し、ちょこっと移動しただけで構内の電留線で夜を明かし、翌朝再び土浦駅ホームに入線してから万博中央駅に向かうというトンデモ列車だった。それでも時刻表には土浦発21:47、万博中央着08:03と記載されていた。

これらの臨時列車(エキスポライナー、エキスポドリーム)には当時余剰気味であった583系や20系客車、キハ28系、さらには401系初期車、機関車はEF80が動員された。それだけでも大いに食指を動かされるのだが、かてて加えて、万博の機運を盛り上げるために水郡線でC56が運転されたほか、期間中にお召列車が2度にわたり運転された。ちなみにこのときのお召機がEF81 81号機である。そんなこんなで鉄チャンにとってはもう完全なお祭り騒ぎである。僕も関東在住の鉄チャンとしてこの間常磐線に足繁く通ったことは言うまでもない。ついでに言えば万博は訪れていない。

↓つくば万博行幸啓に伴い運転されたお召列車が水戸線を走り抜けた。日章旗が風で乱れてしまったのが残念。(水戸線小田林ー小山)

↑↓583系やキハ28系を使用したエキスポライナー。(上:土浦ー荒川沖、下:取手ー藤代)

↓20系寝台客車を使用したエキスポドリーム号の回送列車。牽引機のEF80は後期車が使用されることが多かった。(取手ー藤代)

↓エキスポライナーには低窓車も動員された。(藤代ー取手)

↓6月のお召列車運転に先立ち行われた旧客7連による訓練運転。右端に見える2本の煙突はキリンビール取手工場のもの(取手ー藤代)

それにしてもこうした国鉄の対応は今ふりかえると特筆に値する。民営化前の公社として、国のプライドを賭けた一大イベントにかくも大々的に協力するとはさすが国鉄、国有鉄道の面目躍如と思う。

 

ところで、(あまり知られていないが)2027年に日本で国際園芸博覧会が開かれることになっている。

 

場所はつくば万博並みとまでは言わないが公共交通便利とはいいがたい横浜市瀬谷区上瀬谷。最寄りとなる駅は相鉄線瀬谷、東急田園都市線南町田グランベリーパーク、JR横浜線十日市場あたりだが、いずれからも近いとはいえない。ホテルも近くにはない。しかし、つくば万博当時の国鉄は既になく、民営化されたJRや私鉄に大きな期待を寄せることは難しそうである。来場者の足としての交通対策が心配だが、それにつけてもつくば万博での交通対策にかけた関係者の熱意は素晴らしいとあらためて思う。