初めて冬の北海道を訪れたのは1975年3月、僕はまだ中学生だった。仲間二人との三人旅だったが、それぞれの親にしてみれば中学生が冬の北海道に行くなんて自分たちも経験したことのない未知の世界。よくぞ許してくれたと今なら思う。そんなわけだから、あらかじめ予定を定め、泊まる場所も確保しなければならなかった。なんという面倒臭さだろうと思われるかもしれないが、僕らは冬の北海道で蒸気機関車に会える喜びの方が大きく、親の命じるままに事前の手配をした。

初日の宿は函館発の夜行急行すずらんの寝台車。二日目は名寄駅近くの旅館だったと思うが、メモも記憶もなく全く覚えていない。そして三日目に名寄本線の天北峠を訪れた。なぜ名寄本線を選んだのか、今となっては忘れてしまったが、たぶんキューロク(9600)の重連を見ることができるということが大きかったのではないかと思う。それと僕にとっては当時愛読していたキネマ旬報社の『蒸気機関車』誌に掲載された写真がずっと脳裏に刻まれていた。それは1974年7月号(No.32)の「9600特集」だった。羊蹄山の麓を走る胆振線のカラー写真から始まり、唐津線・ガイド記事・宗谷本線のキューロクに続く記事は名寄本線。そこにあった一ノ橋を発車して峠に向かうキューロクを後追いで捉えた写真に目が釘付けになった。後方に長くたなびく煙がとても印象的で、自分もこういうところで撮りたいと強く思った。

↑↓『蒸気機関車』に掲載されていた名寄本線のキューロクの写真

その日は好天に恵まれた。名寄から乗り込んだ気動車を一ノ橋で降り、天北峠に向かう貨物列車を撮って駅に引き返した。峠を越えて駅に到着したキューロクの貨物列車の先頭にはDE10が連結されていて、大いにショックを受けた。しかし、考えてみれば峠で待ち構えていればショックはもっと大きかったわけで、運が良いのか悪いのかわからない。

↑↓上興部から峠を越えて一ノ橋に到着した1690レ。前補機にDE10が!

午後もだいぶ過ぎた頃、峠に挑む貨物列車をあの『蒸気機関車』誌の写真のように捉えるべく駅をあとにした。そして、この辺かなというところで線路北側の斜面に取り付いた。しかし、いくら登っても低木が邪魔をしてスッキリした構図が撮れない。そうこうしているうちに発車時刻が迫ってきてしまい、万事休す。不本意な立ち位置で撮らざるを得なかった。

↑↓まずはペンタックスSPFでモノクロを撮り、続いて三脚に据えたマミヤC220で。

↑一ノ橋でのバルブで唯一まともなカット

この日の予定を終了し、駅前旅館に投宿した。この旅館では初めて目にするオガタンストーブがあったことは以前このブログに書いたとおりである。早い夕食をすませると、再び駅に繰り出して、貨物列車の先頭に立つキューロクのバルブ撮影を楽しんだ。撮影結果は散々であったが、覚悟していたほど寒くはなく、寒さに弱いと言われていたペンタックスSPFがきちんと作動したのは何よりであった。それでも宿に戻ると「ちゃっぷい、ちゃっぷい」と言いつつオガタンストーブを囲みながら一ノ橋の夜は更けていくのであった。

↓思い出の一ノ橋駅だが、1975年3月の訪問では駅の写真はもちろん撮っていない。記憶もほとんどなくなりかけた頃、例によってo_pen_yt氏が撮っていると言う。氏のご了解のもと、ありし日の一ノ橋駅の情景をお目にかける。1986年8月の撮影の由。本当によくぞ撮っておいてくれたと感謝の言葉以外ない。