吉村昭の書いた『羆嵐』を読んだ。言わずと知れた巨大なヒグマが村人を襲った事件のドキュメントである。大正初期の出来事なのに、丹念な取材により当時の状況が生々しい筆致で描かれていて、一気に読み進めてしまった。事件の舞台となった三毛別(さんけべつ)には当時の現場を復元した場所があるようだが、そんなところに行く人がいるのだろうか。僕なんぞ怖くてとてもじゃないが行ってみようという気にはならない。事件から100年以上経っているが、ヒグマの特性•習性がその後劇的に変化しているとは思えないので、この本に書かれていることは今でも当てはまるのではないだろうか。

↓事件があった三毛別の位置図(同書より)

↓三毛別羆事件復元地(苫前町)(Google Map ストリートビューより)

北海道の知床にはヒグマが多数生息し、横断道路ではヒグマを見かけることも多いと聞く。車を停めて見物するだけでなく食べ物を与える観光客もいるというが、一体なにを考えているのだろう。僕はどちらかというと北方系の系譜だと根拠なく思っていて、ヒグマへの畏怖はDNAとして持っているつもりだが、先に記した観光客は南方系のDNAなのかなと思ってしまう。

↑昨年10月に止別の丘で撮影したハマナス編成。糞があったのはこの丘。

近年の鉄チャンではヒグマはもとより熊への警戒を怠ったことはなく、というより、ビクビクしながら行動している。去年の10月に釧網本線の止別の丘を訪れたとき、途中の道(浜小清水側からのアプローチ)や丘の上に動物の糞が落ちていた。真新しい感じではなかったが、さりとてカチンカチンでもなかった。糞を見ただけでなんの動物かわかるほどの知識を持ち合わせていないので、ヒグマだったらどうしようと気が気でなかった。あの丘のあたりにヒグマが生息しているとは思えないが、知床から近いといえばいえなくもない。幸いすぐに同業者が何人かやってきたので、不安な気持ちは吹き飛んだが、一瞬とはいえ冷や汗をかいた。しかし、これには後日談があって、1か月後に只見線で出会った同業者と話した際に、同じ頃止別ストレート付近でヒグマを目撃したという。止別ストレートと止別の丘は数キロしか離れていない。あのとき僕が見た糞はそのヒグマのものだったのかもしれないと思うと鳥肌が立った。

それともう一つ、聞き捨てならないことを聞いた。近年はエゾシカが増えているので、冬の餌に事欠かなくなって冬眠しないヒグマが増えているという。これは恐ろしいことだ。積雪期に石北本線146キロポストへ歩いて辿り着いてヒグマに出会ったりしようものなら洒落にならない。車は1km以上手前の踏切に置いて行くのだから、逃げ込むところがないではないか。冬の鉄チャンはヒグマに遭遇しないから大丈夫だと思っていたが、認識を改める必要がありそうだ。

昨年9月にこのブログでOSO18という巨大ヒグマのことを書いた。標茶町オソツベツで見つかった前足跡の横幅18cmのヒグマというのが名前の由来らしい。いまだ駆除されたという話を聞かないどころか、この8月には厚岸町の牧場で乳牛が襲われたようだ。活動するのは標茶町から厚岸町にかけて、ハンターが銃を撃てない夜間とのこと。これまで60頭以上の乳牛を襲い、中には襲われて死んだ後連れ去られた乳牛もいるという。ヒグマは普通は食べ残しをその場に穴を掘って埋め、後日また食べにやって来るといわれているが、OSO18は体重200kg級の乳牛を引きずって移動し、居場所を人間に悟られないようにするらしい。よほど(悪)賢い個体だ。なので駆除しようにもハンターが見つけることができないでいる。来月釧路から網走方面にかけて旅行する計画があり、標茶あたりで1泊しようとしているだけに気が気でない。それまでになんとか駆除されてほしいと願うばかりだ。