1975年3月、蒸機撮影で北海道を訪れた三日目の朝、名寄本線一ノ橋駅前の旅館で目覚めた僕ら3人組は、09:10発の列車で隣の上興部に向かった。隣といっても塩国と見国を隔てる天北峠の北見国側である。

上興部で下車し、峠に向かって歩き始めた。滅多に車の通らない国道を歩いたが、歩いても歩いてもサミットにならない。峠を下ってくる列車とはいえ時間も迫ってくる。そろそろタイムリミットかという頃、えいやっとばかりに俯瞰撮影のポイントを目指して斜面に取りついた。遮二無二登るも北側の斜面ゆえ雪が凍っていて油断ならない。しかし、ちょっと気を抜いた途端滑って何メートルかずり落ちてしまった。手に持っていた三脚を突き刺し事なきを得た。ほんの何メートルかだったが、僕には何十メートルにも感じられた。兎にも角にもやっとの思いで三脚をセットし、まだ胸の動悸がおさまらないうちに、峠を軽やかに下る東行き列車を撮影した。続いてその列車と上興部で交換して峠を登ってくる本命の蒸機列車を撮影した。SLダイヤ情報誌では重連とのことだったが、荷が軽いのか単機牽引だった。しかもそこは俯瞰して撮りましたというだけの所で、あまり満足感がなかったので、国道に戻り次の作戦を考えようということになった。

↓天北峠を下って上興部を目指す貨1691レ。以下の写真はいずれもマミヤC220で撮影。

↓天北峠を登る貨1690レ。今日は前補機が付かなかった。(再掲)

国道にまで降りてくると、ひとりのおじさん鉄チャンと出会った。どこで撮ったのかとか、君たち何年生かとか聞かれた後、そのおじさんは宇津にいい所があるからそこに行かないかと盛んに勧めてくる。こっちには特にこれといったアイデアもなかったので、おじさんの誘いに乗ることにした。そうと決まるやおじさんはたまたま通りかかった小型幌付トラックを停め、乗せてくれと頼んだ。運転手は二つ返事でOKしてくれた。おじさんは助手席に、僕らは荷台に乗り込んだ。僕にとっては初めてのヒッチハイク、トラックの荷台であった。時間にして30分くらいだったと思うが、トラックが停まると僕らはお礼を言いつつ荷台から降りた。そこは駅でいうと宇津と北興の間だった。北興から一直線に西進してきた線路が右にカーブを切る辺りが撮影ポイントだという。

おじさんに連れてきてもらったのになんだが、僕らには(今風に言うと)ウ〜ン、ちょっとビミョ〜という感じ。でも今更引き返せるわけでもないので、腹を決めてそこで撮ることにした。まずは各停の気動車を撮り、次の西行きのキューロク(9600)を待った。ここは超望遠向きの撮影地だったが、超望遠レンズなど持っていない僕はアングルを工夫した。やがて弱い西日の光線を受けてキューロクがやってきた。まずは手持ちのペンタックスSPFで撮り、すぐさま三脚のマミヤC220をレリーズした。そこそこの満足感が得られた。

そして宇津駅まで歩いて向かう途中、線路を跨ぐ道路橋から暮れなずむ中を煙を吐いて加速する東行きのキューロクを撮影して本日の撮影を終えた。

↓宇津•北興間を行く9600貨物

↓トワイライトのなか宇津を発車して加速する9600貨物

その日僕らは遠軽の旅館に泊まる予定で、夕食も摂ることにしていたのだが、このぶんでは遠軽に着くのが20時過ぎになる。昼飯を食べてなくて腹がぺこぺこだったこともあり、駅前の雑貨店でカップヌードルを買い、お湯を貰って店先のベンチに腰かけて食べた。寒い中で食べるカップヌードルはことのほかうまかった。小腹を満たした僕らは宇津発18:13の列車に乗り込み、遠軽に向かった。