銀塩フィルムが写真の記録媒体であった頃、プロでない僕らアマチュアはなんでもかんでも撮るということはなく、撮影する被写体は選んでいた。というより、そうせざるを得なかった。当時のフィルムの価格はリバーサルフィルム(カラー)が最も高く、ネガカラー、モノクロフィルムの順であった。相対的に安価なモノクロフィルムでさえ、バシバシと撮るということはなかった。フィルムは貴重という意識があったのである。だから、本命の被写体しか撮らないということも普通だった。例えば蒸機現役時代には、両数が多く全国どこでも見られたD51や9600などはシャッターを押さないという人もいたと聞く。僕のちょっと上の世代だと、東北本線などでEF56やEF57は撮っても共通運用のEF58が来るとスルーするという人が結構いたという。僕も1975年3月に北海道に出かけた際にはDCやDL、駅の写真などは全くといってよいほど撮っていない。夜間時間帯の蒸機ですら撮っていない。

それがデジタルカメラの時代になり、あまり記録媒体の価格というか単価を気にすることなく写真を撮ることができるようになると、露出確認のための試し撮りはもとより連写が当たり前になった。また、目的の被写体に限らず、ちょっと気になった風景を撮っておいたり、旅の最中の行動をメモ的に撮ることが一般的になった。

↑今回の記事に添える写真を探して大学時代の写真を漁ってみた。衝撃の結論を申し上げれば、駅本屋全景を正面側(線路やホームがない側)から撮った写真は1枚もなかった。かろうじてそれらしい写真が大社線大社駅であった。これとて全景が画面におさまっているわけではない。(1981.4撮影)

そういう視点から言うと、蒸機現役時代から1990年代にかけて、つまりフィルム時代に撮られた駅舎の写真というものはとても貴重である。僕など数十年前を振り返りたいと思っても、自分では駅舎をはじめ駅構内の写真などは全くといってよいほど撮っていないので、今になってとても悔いている。

それが最近になってとある出版社から1980年代の駅の写真を集めた本が出版されたことを知り、驚愕した。あの時代、よくも駅舎の写真を撮ってくれていたと感動した。

↑駅のホーム側から撮った写真ならたくさんある。列車の写真を撮った際に背後に駅舎が写るからである。(1982.3撮影)

そんな折、その頃の駅舎の写真を撮っていた仲間の鉄チャンと飲んだ際に、なぜ駅舎の写真を撮っていたのかと聞いたところ、当時の愛機がオリンパスのハーフサイズで走行写真を撮るには適していないので、駅舎の写真を撮るようになったとのことだった。そういう話を一緒に聞いていた別の鉄チャンも、若い頃寝泊まりして思い出深い夕張線紅葉山駅(現 石勝線新夕張駅)の写真が1枚もないと嘆いておられた。

↓ドイツ鉄道(DBAG)のアイゼナハ中央駅の駅本屋。重厚な造りに感動して撮ったのだろう。(1998.2撮影)

写真の面白いところは、撮影した時点では大したものではなくても、時が経つととても懐かしかったり貴重なものになったりすることだ。いわば時(とき)という研磨剤で磨かれて輝くのだ。

だから、若い鉄チャンには車両だけでなく駅をはじめとする構造物など鉄道を取り巻く情景もぜひ記録しておいていただきたいし、なによりこの鉄道写真という趣味を末長く続けてほしいと思う。趣味とは長く続けるものである、と心からそう思うようになったこの頃である。

↑↓近年の旅行では駅舎の写真も撮るようになった。北浜駅では学生時代に貼り付けた名刺を長い時間をかけて探してみたが、見つけることはできなかった。(2018.9撮影)