日豊本線宮崎•南宮崎間にある大淀川橋梁は僕にとってメモリアルプレイス。自分の意思で初めてフィールドで撮影した場所だ。1974年2月の宮崎ひとり旅二日目。日向沓掛駅や田野駅での撮影の後大淀川のほとりにやってきた。狙いはC57が先頭に立つ1211レ急行“日南3号”。この列車が唯一の蒸機牽引急行であることも意識せず希少価値のわからない僕は、ギラリの光線を期待して宮崎側上流で待ち構えた。簡単に言えば後追いの構図だ。単機回送のDF50に続いてやってきた1211レをとらえた写真は、C57 117号機と荷物車に続く寝台車の出入口がかろうじて写っていることにより急行編成とわかるもの。とても自慢できる代物ではなかった。ついでに言えば、1211レの直前にやってきたはずの寝台特急“富士”を撮っていないのはなんとも解せない。一体この頃の僕はなんだったのかと言いたい。

↓“日南3号”の前にDF50の単機回送がやってきた。

↑西陽を浴びて急行“日南3号”が終着都城を目指す。

次の訪問は同じ年の年末。志布志線のC58と日南線のC11が目的の旅。仲間と共に新幹線•関西ブルトレを乗り継いで宮崎に着くと、駅撮りもほどほどに構内外れの道路橋から入換に励むC55 52号機を撮影。その後大淀川河畔へ移動し、日南線のC11貨物を撮影した。

↓日南線の貨物列車。模型のような編成だ。

日豊本線はこの年の4月に南宮崎まで電化され大半の蒸機が消えたが、宮崎や都城の構内入換用として数両のC57とC55が残された。鹿児島区からの回送は先頭のDF50の次位だったが、その回送を橋梁と並行して走る道路橋(老松橋)から真横の構図で撮影した。

↑↓日南線の下り貨物列車(上)は南宮崎で鹿児島からの蒸機送り込み回送(下)を待避する。

1980年の夏には55.10ダイヤ改正でなくなる列車を記録しておこうと九州へ遠征した。梅雨明けが遅く台風の影響などもあり天気の良くない日が続き、撮影には苦労した。それでもDE10の客レやキハ82系を撮ろうと大淀川の南宮崎側にやってきた。こちら側は後ろのマンションが写り込んでしまうのが難点だと知ったが、老い先短い列車を正向きで撮影することができた。

↑↓南宮崎側で撮影した55.10ダイヤ改正前の列車。キハ82の運転台は暑いのか乗務員ドアは開けっ放し。

それ以来大淀川を訪れることのないまま長い時が過ぎたが、一昨年の10月仕事で宮崎に出かけた際の会場が宮崎観光ホテルだった。大淀川河畔の老舗高級ホテルである。フェニックスの並木が続く河畔の景色は当時と変わらず、良好な撮影地は健在であった。しかし、そこを走る列車が例によってド派手な色使いの車両ばかりで、仕事の合間に関係者の目を盗み寸暇を惜しんででも写真を撮ろうという気にはとてもなれなかった。