写真家•木村伊兵衛の生誕120年を記念して刊行された写真集『木村伊兵衛 写真に生きる』(クレヴィス刊)をネットで購入した。一言で言うと大変素晴らしい内容であった。こんなに中身の濃い写真集にもかかわらず税込で¥2,970と拙著より安い価格には畏れ入ったというか恐縮至極。

↓木村伊兵衛の写真集

スナップ写真や人物写真の大家ゆえどれも素晴らしい作品なのは言うまでもない。それに加えて、良かったのは写真評論家の飯沢耕太郎氏による解説であった。解説を読みながら木村の写真を丁寧に見ていくと、思わず“木村ワールド”に引き込まれていった。

また、飯沢によると、木村が1947年から72歳で亡くなる1974年までに撮影した写真は13万コマだという。大半がライカで撮られたものだろうからモータードライブがないとしても異様に少ないコマ数という気がする。単純平均だと1年に5,000コマ弱、36枚撮りフィルム130本足らずだ。その少ないコマ数の中から、僕のような甘々の選別眼でなくプロとしての妥協のない厳しい選別眼で作品を選ぶのだろうから、歩留は極めて高いということだ。

↓木村伊兵衛の代表作品2点(写真集より)。下の写真は赤瀬川源平氏の著作でも紹介されたことがある。

また、本書には『カメラファン』1950年10月創刊号に載せられた「写す喜び」と題する木村自身の文章が収められている。そこで木村は「一体アマチュアの皆さんはどんな気持ちで写真を写して行ったらいいのでしょう」と問題提起しつつ、「すすきや、野外静物も結構ですが、そのようなものばかりではつまりません。かりにこれから10年、20年経ってから、すすきや野外静物の写真を見たところで、10年、20年後にとった写真と何等えらぶところはありません。しかし、皆さんの日常の生活を主体として記録された場合、それはまるで異なった「意義」つまり「喜び」を持つことになるのです。何故かと云いますと、それは、その時代の、そして貴方の歴史的な姿だからです。勿論、そういう写真の上に先生方の光や影を効果的に生かして行けば大変いいわけです。」と述べている。

たかが写真、何を撮ろうと個人の自由だ。でも、歴史的云々など考えもせず気分のおもむくままに撮った写真が10年後、20年後に自他の琴線に触れたとしたらなんて素晴らしいのだろう。されど写真なのである。そういうことをズバリと言い当てていることに対し、やはり木村伊兵衛はすごい、と思うほかないのである。

↓木村伊兵衛(AmazonのWEBサイトより拝借)