“Hasselblad”といえば言わずと知れたスウェーデンのメーカーが作る最高級の6x6cm判スクエアフォーマットのカメラだ。カールツァイスのレンズとセットになったボディは見栄の張れるカメラとして銀塩時代のコマーシャルやファッションの世界ではなくてはならない機材だった。
そんなカメラを世紀の変わり目の頃になぜ鉄道写真で使おうと思ったのか、今となっては覚えていない。ハッセルの導入時期がC57 180号機が磐越西線で復活運転を始めた時期(1999年)と重なっていることから想像するに、遥か遠くの山口線まで出かけることなく大好きなシゴナナと会えるようになるのでしっかりと撮ろうと思ったからではないかと思う。

↓ハッセルブラッド500Cにツァイスのレンズ

鉄道写真には35ミリ判の一眼レフが万能で、中判カメラはあまり向いていないと思われがちだ。たしかに昨今の若者のように列車の正面ドカンを狙うには中判カメラは全く向いていない。しかし僕は中距離からのミドルショットを多用するので、そんなに長い望遠レンズは必要としないこともあり描写力に優れた中判カメラは魅力的だった。でもいざ選ぶとなると選択肢があるようであまりない。若い頃使っていた重く大きいペンタックス67は若者のカメラであって戻る気はなかった。大きさや重さがそれほどでなく、レンズの描写に優れていること、鉄チャンの荒い扱いにも耐える頑丈さ等々を勘案するとハッセルにたどりついた。
ハッセルの500シリーズはレンズシャッター機なのでフォーカルプレーン機より寒さに強いというメリットはあるが、シャッター速度が1/500秒までというのがデメリット。まぁ速度の出ない蒸機しか撮らないのだから大丈夫といえば大丈夫なのだが。
↓磐越西線を走るC57を何点か掲げた。いずれの写真も今でも撮影可能と思われる場所で撮影したもの。
ハッセルの操作には厳格な儀式とでもいうようなものがあって、レンズ交換の際はボディ•レンズ共にチャージされた状態にしなければならないとか、フィルムマガジンを取り外すときは引き蓋を入れなければならない(当たり前だ)とか、それらを怠ると決して操作できないというフェールセーフが徹底していた。よくやらかした失敗は引き蓋を入れたままでレリーズしようとして写真が撮れなかったというもの。焦っているときなどついつい忘れてしまい、幻の写真として涙を飲んだカットも多い。それでも僕にはあのスクエアな画面が性に合っていたように思う。
ハッセルで撮った写真の原板は隅の切り込みに特徴があり、ハッセルで撮影したのが一目でわかるというのもユーザーの密かな楽しみでもあった。
↓矢印で示した部分が本文で記した原板の切り込み
 
ハッセルはニコンD1Xを導入するまで世紀の変わり目の4年間本当によく働いてくれた。僕にとっては愛すべき最後の銀塩カメラだったのである。