昭和50年代の若かりし頃、毎年冬になると厳寒の大地を走る列車を撮りに北海道にでかけていた。「最も厳しい時期が最も美しい」と信じる僕は北海道は冬に限ると思っていた。しかし当時の北海道は遠かった。


(↓上野駅で発車を待つ急行八甲田)


北海道へは学生の身分で飛行機に乗るなど考えられず、当然のように国鉄を利用した。都内の自宅からゴム長を履いて(ズボンで隠れるとはいえ)国電に乗るのは気が引けるが上野に向かう。学割で買った20日間有効のワイド周遊券を手に19時過ぎに発車する急行八甲田の自由席(4人がけのボックス席)に乗り込む。この列車、宇都宮あたりまでは通勤客でけっこう混むが、それから先は乗客もまばらになる。北海道での撮影に思いを巡らしつつ眠れたような眠れないような夜が明けると窓の外は一面の雪景色。浅虫のあたりで車掌が乗船名簿を配り始める。連絡船が遭難したときのためと思うと身も心も引き締まる。

青森には11時間かかって6時過ぎに到着07:30出港の便まで時間があるが、青森マラソンに加わらなくてすむのはありがたい。というのも、連絡船は特急との接続がスムーズにいくようにダイヤが組まれていて、特急で青森に着いた人は荷物を抱えながら小走りに連絡船が待つ桟橋へ急ぎ、船内での席を確保しなければならない。こちらはその前に乗船して絨毯敷きのスペースを確保できるというわけだ。連絡船は函館にある青函船舶鉄道管理局の管轄で、船内の自販機の清涼飲料水も容量の大きな北海道サイズだ。

連絡船は函館まで3時間50分を要するが、青森を出てしばらくは津軽半島と下北半島に挟まれた陸奥湾内を進むのであまり揺れない。この間に眠りにつけば荒波の中でも船酔いすることなく函館にたどりつけるのだ。


(↓函館駅で待機する急行ニセコと特急北斗)



函館駅の湾曲したホームには既に釧路行き網走行き稚内行きの3本のディーゼル特急急行がアイドリング音も高らかに待機している。しかし当時周遊券では特急に乗れなかった。そこで選択肢は三つ。

①そのまま稚内行き急行宗谷に乗り継ぐ。

②改札を出て市電に乗り終点の谷地頭にある温泉でひと風呂浴びた後、急行ニセコで札幌に出て(この場合上野から実に25時間!!)、夜行列車で稚内や網走方面に向かう。

③函館に程近い大沼や駒ヶ岳、八雲あたりで撮影し、また函館に戻って夜行鈍行列車で倶知安小樽札幌方面に向かう。

どれを選択するかは天気予報をみつつ決めたものだ。

それが今や新幹線に乗ればわずか4時間で函館北斗に着く。とてつもなく便利になったものだ。でもまだ北海道新幹線には乗っていない。札幌延伸の暁にはぜひ通しで乗りたいと思っている。