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父のわがままが限界を越えてきた|介護の朝は突然に・・・【50代】

 

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最近、父のわがままがきつい

最近、父のわがままが特にひどくなってきた。

病状の進行もある。痛みもある。余命のこともある。身体が思うように動かない苛立ちもあるだろう。
さらに追い打ちで認知症の母は同じことを聞き
不満を父に言う。

そこは頭ではわかっている。

わかっているのだが、毎日受ける側の身体は、そう簡単には納得してくれない。

介護担当者が当日に変わる。
訪問の時間が少しずれる。
リハビリの予定が入る。

それだけで、不満が始まる。

「なんで変わるんだ」
「その時間じゃ困る」
「聞いていない」
「やりたくない」

父の顔がむすっと固まり、声が低くなる。こちらとしては、また来たかと思う。介護職の人手不足もある。担当者のシフトもある。訪問の時間がずれることもある。現場を知っている人間なら、そのくらいは理解できる。

私も長いこと、エリアを持って動く仕事をしていた。
元FAX修理CEとして、予定どおりに行かない現場はいくらでも経験している。

前の訪問先が長引く。道路が混む。急な故障が入る。担当を変えざるを得ない。お客さんの都合と会社の都合と現場の限界のあいだで、どうにか一日を回す。

だから、介護職の人が時間を変えたいと言えば、できる限り協力したい。担当者が変わっても、こちらは受け入れたい。今の介護現場が楽ではないことくらい、少し考えればわかる。

けれど、父にはそれが通らない。

自分の都合がずれた。
自分の予定が乱された。
それが真ん中に来る。

そして、ふてくされる。

訪問の人が来ても、最初はむすっとしている。こちらは横で気を使う。
空気を整えようとする。すみませんね、という顔をする。

ところが、少しすると父は饒舌にしゃべり出す。

一体何なんだ、この人は。

正直、そう思う。

ただ、その言葉は飲み込む。飲み込んで、いつものように家の空気をなるべく荒らさない方向へ持っていく。

若い頃から、父はそういう人だった

父は、昔からかなりわがままに生きてきた人だと思う。

細かい経緯は、今となってはわからない。ただ、私が小学生の頃、働いていたところをけんかして突然辞めたことがあった。その後も、ギャンブルで借金を作った。

家庭の中でも、すぐに切れるタイプだった。

子どもだった私は、日々どこかで父の機嫌におびえていた。
玄関の音、声の調子、茶の間の空気。
そういうものを、子どもなりに読んでいた。

今でもはっきり覚えていることがある。

幼稚園くらいの頃だったと思う。
父に投げ飛ばされて、下駄箱の角に頭をぶつけた。

血が出た。

あの時の、ぬるっとした血の手触りを今でも覚えている。頭の痛みより、手についた血の感触のほうが、妙に残っている。子どもの記憶というのは不思議なもので、場面の全部ではなく、そこだけがいつまでも残ることがある。

殴られることも、珍しくなかった。

そんな家だった。

夜は両親共働きで、私は一人でいることも多かった。寂しかったはずなのに、今思えば、その時間のほうが安心できたのかもしれない。誰かの機嫌を読まなくていい。突然怒鳴られない。部屋の空気が急に変わらない。

一人でいることが、子どもにとって安全地帯になっていた。

それは、なかなかきつい話である。

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口を利かなくなった時間

そんな子ども時代があったので、私は次第に父と口を利かなくなった。

親子だから自然に話す、ということが私にはなかった。家族だからわかり合える、という感覚も薄かった。むしろ、話さないほうが安全だった。近づかないほうが、余計な火種を拾わずに済んだ。

距離を取ることで、自分を守っていたのだと思う。

その関係が少し変わったのは、私が結婚し、孫ができてからだった。

父も年を取り、私も家庭を持った。孫という存在があいだに入ったことで、少しだけ会話が戻った。完全に近くなったわけではないが、前よりは話せる関係になった。

そして今、介護である。

がんが進行し、身体が弱り、尿バッグを確認し、訪問介護や訪問医療が入る生活になった。皮肉なもので、介護状態になってから、父とはまた少し話すようになった。

けれど、そこで出てくるのが昔からのわがままだ。

病気だから仕方ない部分はある。
痛いのだから機嫌も悪くなる。
不安もあるだろう。

だが、父の短気や身勝手さは、病気になってから急に生まれたものではない。もともとあったものが、老いと病気と不安で、また別の形に濃く出てきている。

母の認知症もそうだが、老いは人をまったく別人にするだけではない。
昔からあった角を、逃げ場のない形で見せてくることがある。

これがしんどい。

介護は、親子の過去まで連れてくる

父を介護していると、今の父だけを見ているわけではないことに気づく。

訪問の時間が変わってふてくされる父を見ていると、昔の父が重なる。急に怒鳴った父、仕事をけんかして辞めた父、家の中で機嫌を支配していた父、子どもの私が息を潜めていたあの空気。

介護の現場に、過去が混ざる。

これは外から見ると、なかなかわかりにくいと思う。

「お父さんも病気なんだから」
「年を取ると仕方ないよ」
「家族なんだから」

そういう言葉が間違っているとは言わない。けれど、介護する側の中に残っている子ども時代の傷までは、その言葉では拭き取れない。

父の身体を気にする。
尿バッグを確認する。
リハビリの予定を見る。
機嫌をうかがう。

そのたびに、昔の自分が少し顔を出す。

下駄箱の角。
ぬるっとした血。
夜の家の静けさ。
父が帰ってくる前の緊張。

そういうものは、古い紙片みたいに奥に残っている。普段は見えない。けれど、今の介護でカバーを開けるたびに、ひょいと出てくる。

FAXの紙詰まりなら、奥に残った紙片を取れば済んだ。
ただ、人間の記憶はそうはいかない。

取れたと思っても、また別のところから出てくる。

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裕福に育った親たちと、何も残らなかったこちら

父も母も、子ども時代は裕福な家庭で育っている。

それが今の性格にどこまで影響しているのか、はっきりとは言えない。ただ、二人を見ていると、どこかで「自分の都合が通る」ことを前提にしているように感じる瞬間がある。

父も母も、自分が中心でないと機嫌が悪くなる。
周囲が合わせることを、どこかで当然と思っている。

もちろん、人間はそれだけで決まるわけではない。育ちだけで片づけるのも雑だとは思う。

それでも、家族として長く見てきた感覚は残る。

母は母で、認知症になってから昔からの癖がさらに強くなった。人を下に見るところ、買い物癖、ためこみ、変則的な潔癖。父は父で、短気とわがままが病気の進行と一緒に前に出てきた。

その二人を、今こちらが見ている。

しかも、その親たちの資産がこちらに残ったわけではない。
恩恵など、一円もない。
父に至っては借金まであった。。。

残ったのは、介護である。

こう書くと毒が強い。
だが、そう思う日もある。

立派な親子物語にできれば楽なのかもしれない。けれど、現実の台所には、そんなきれいな額縁は置いていない。薬の袋、予定表、尿バッグの確認、訪問の時間変更、母の不満、父のふてくされ顔。

それが今の家の風景である。

ちゃぶ台を返したくなる日

母の認知症。
父のわがまま。

正直言って、ちゃぶ台を返したい気分になることがある。

本当に返すわけではない。そんなことをしても片づけるのは結局こちらである。茶碗は割れ、味噌汁はこぼれ、床を拭くのも自分だ。

だから返さない。

けれど、気分としては何度も返している。

何なんだこれは、と思う。
なぜ私がここまで受けなければならないのか、と思う。
子どもの頃におびえていた相手を、今は介護している。

このねじれは、なかなか腹に来る。

親を介護するということは、ただ年老いた人の世話をするだけではない。親子の歴史をもう一度、台所の明かりの下に置かれることでもある。

感謝だけでは済まない。
怒りだけでも済まない。
哀れみだけでも、義務だけでも、全部は説明できない。

父がふてくされ、母が不満を言い、家の空気が悪くなる。そこに妻や娘の生活もある。こちらの仕事もある。自分の血圧もある。

全部が一つの家に乗っている。

かなり重い。

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今日も言葉を飲む

それでも、今日も言葉を飲む。

精神をねじ伏せて、平穏無事に生活を回すことを先にする。父に言いたいことはある。母に言いたいことも山ほどある。過去のことも、今のことも、こちらの腹の中には積もっている。

だが、それを全部ぶつけたところで、今日の介護は回らない。

父の機嫌が悪くなる。
母が反応する。
家の空気が荒れる。
妻や娘に飛び火する。

その流れだけは止めなければならない。

だから、言葉を飲む。

これは美談ではない。
ただの運用である。

家の中で一番火が大きくならないように、風向きを見る。声を少し落とす。話題を変える。訪問の人には申し訳なさを出しながら、父の不機嫌をやり過ごす。母の認知症にも対応する。

こちらの心は削れる。

それでも、生活を回す。

あと何年続くのかはわからない。父の残り時間も、母の認知症の進み方も、こちらには読めない。わかっているのは、今日もこの家を通さなければならないということだけだ。

残り時間を、どれだけ良い空気で暮らせるようにするか。

そこに関しては、結局、私が鍵を握っている。

それがしんどい。
かなりしんどい。

けれど、逃げられないなら、せめて荒れ方を小さくする。全部は直せないが、今日の紙詰まりを大きな故障にしない。父の不満、母の認知症、妻と娘の生活、自分の身体。

どこが詰まりかけているのかを見ながら、今日も家の中を回す。

父のわがままは限界を越えてきた。
私の中の古い傷も、時々そこに反応する。

それでも、今夜も茶碗を片づけ、薬の袋を確認し、明日の予定を見ておく。

ちゃぶ台は返さない。

返したい気持ちだけを、台所の隅に置いておく。

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✨✨ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます✨✨
親の介護は、今の世話だけでは済まないことがあります。子どもの頃の記憶や、親子の確執まで、台所の明かりの下に戻ってくる日があります。

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