※10【29日に東京音楽大学へ行ってきました】2024.4.30
父の演奏を野平一郎先生(現東京音楽大学学長)に指揮していただいたことがあります。2018年7月『一楽章の交響曲作品 1(1963)』。
父が亡くなったあとの父の個人的な簡易な手帳カレンダーには、先生のピアノ演奏会へ参加する意識の痕跡がありました。
父は骨折で足が悪くなっておりましたが、車椅子も使用を実は極力したがりませんでした。
母と別宮の墓参りも行っており、礼節には、一つ、筋が通っていたと思います。
久しぶりの家族で私の8月の誕生日祝いを外でする日、食後のみ車椅子に乗る父を私は(独立しているので)初めて見るほど(車椅子を借りることは知っていても使用するのを見たことは人生でその一度きりという、帰りに手押しした私には幸運な記憶です)、父はできるだけ杖で歩く気丈さでした。
入院はその翌月で亡くなりました。
体力が落ちていたことを感じさせることもなく、その短期間の前後でそのような予定を書き込んでいました。
父の寄贈できる遺品はあとわずかですが、何か世間へお返しできればと、ここまで藝大、遠山一行記念日本近代音楽館と自分で足を踏み入れる閃き💡と勇気🔥だけは待ち合わせ、今回、野平先生からの仲介を経て、東京音大付属図書館事務長の信時さんのところまで伺いました。
4/29、完全な部外者、放浪もの、です‥💧。
信時裕子さんは藝大に既に信時潔「文庫」となられた作曲家のお孫さんであられました。
日本の作家史が生き生きと目の前に広がる瞬間です
お忙しい中、お話を45分もしていただけ、初めて伺う信時さん作製ホームページ秘話、卒論エピソード、お祖父様の手がけられた校歌が900以上‥?!
藝大で火事に強い歴史保管場所に父の楽譜は寄贈されましたが、「文庫」🐹🐹🐹!!!
アドバイスの豊富な知識時間をありがとうございました
帰りに「学生さんですか?」と、運転手さんに聞かれたのは、マスク効果のキネズカです😷
父の公式サイトにのみ紐付けしております。
フェイスブック連結タイプでそちらからもご覧になれる(?)かもしれませんが、下記公式サイト紐付けのこのblog(?)以外は、投稿はしておりません。
なにせ、SNSへのやる気が2.5perですから、このまま年間どころか全体投稿数2.5🐹で終わる可能性もありながら、つれ「ず」れ致します。
【父の公式サイト】
https://www.teruyuki-noda-officeoversea.com/
https://www.teruyuki-noda-officeoversea.com/erikoから連結blog(?)
この記事は私が書きました
閲覧環境による体系的な表示体形差の違いには責任を持ちかねます🐹
※ここまでの投稿はE World Japan出版「私」より抜粋です(元ネタ先)