世界大恐慌について確認するっす。
1920年代のアメリカ経済は、
第一次世界大戦後のヨーロッパにおける
戦後復興による需要増加、
アメリカ国内では、
帰還兵の住宅需要と消費の増大、
道路整備、自動車の普及などの
都市化による需要増加、
軍事技術の民生転用による
需要増加などの要因から、
「永遠の繁栄」と呼ばれるほどの
好景気に見舞われたっす。
(。・ε・。) チョウセンセンソウニヨル ニホンノ トクジュケイキニ ニテマスネ
こうした実体経済の発展に伴い、
1920年代の後半以降、
アメリカの不動産と株式は、
投機の対象となっていくのですが、
実体経済と金融経済の乖離(かけ離れた状態)によって
生まれたバブル経済は、
いつしか崩壊していくのが運命っす。
(ノω・、) レキシハ クリカエサレル・・・
1920年代からのアメリカにおける
バブル経済発生の第一の要因として、
1920年代前半には、既に農作物を中心に、
機械化などによって生産過剰となっていましたが、
ヨーロッパに輸出として振り向けたため、
この時点では、問題は表面化しなかったっす。
しかしその後、ヨーロッパの復興、
相次ぐ異常気象から、農業恐慌へと発展し、
また、第一次世界大戦の荒廃から回復していない
ヨーロッパ諸国の購買力も追いつかず、
加えて、社会主義化によって、
ソビエト連邦が世界市場から離脱することになったため、
アメリカ国内の鉄道や石炭産業などの他の産業も、
生過過剰となっていったっす。
(゜д゜;) ヨクバリスギ
第二の要因として、
アメリカは第一次世界大戦ににより、
最大の債権国になったのですが、
それまではポンド決済が主流だった金融市場が、
ドル決済の増加と第一次大戦後のポンドは、
金本位制ではなくなっていたため、
為替変動リスクが発生するにようになり、
ポンドとドルの為替変動リスクを回避するための
先物取引を主とした信用取引が活発になっていったす。
ヘ(゚∀゚*)ノマタ レバレッジ ケイザイデス
第三の要因として、
このようなレバレッジ経済が台頭する状況下で、
1925年イギリスは、ポンド流出を防ぐためポンド高を推進する
チャーチル首相は、「旧平価での金本位制への復帰」
という失策を犯してしまったっす。
金本位制にすれば兌換通貨となった
ポンドの価値が上がり、ポンド流出が防げるから
それは正解じゃないかと思われる方が、
多数かと思われますが、
金本位制とは、金と通貨を問題無く交換できる代わりに
為替レートを固定するという仕組みですから、
金と通貨(この場合ポンド)交換における
流動性を確保しなければ成立しない、
つまりいつでも金とポンドを交換できなければならないっす。
しかし、第一次大戦後、債務国であるイギリスは、
債権国アメリカの通貨であるドルとのトレードにおいて、
十分な金を保有していなかったっす。
つまりアメリカとの金融取引に対して、
圧倒的に金が不足していたっす。
この形だけの金本位制への復帰が裏目となり、
加えて債権国アメリカに対するドル決済の増加によって、
ヨーロッパ諸国からアメリカへの国際的な資金移動を、
加速化させる結果となってしまったっす。
さらに皮肉なことに、
ヨーロッパをはじめとする金融市場は、
この為替相場を安定化させるため、
オランダ、スイス、ドイツなどのヨーロッパ諸国や、
ソビエト連邦、南アフリカ、オーストラリアまで、
金本位制を維持するのに必要な金を
十分保有できていない状態で、
金本位制への復帰、もしくは新制度として採用し、
イギリスへ追従してしまうということになるっす。
このような経緯から、
当時の銀行をはじめとする投資家達は、
ポンド、マルク、フランなどの通貨に対して、
かなり不信感を高めていたと推測されるっす。
(`・ω・´) キヲミズ モリヲ ミルベシ
第四の要因として、
イギリスの金本位制への復帰政策の影響により、
FRBは、アメリカの農業不況や、
他の産業の業績不振の状況にも関わらず、
イギリスからの過剰なポンド流入による
ドルの国外流出を防ぐため、金利引き下げを実施、
さらにドルの供給量を、16ヶ月間で62%まで増やしたっす。
この金融緩和策によって、
実体経済からあふれた資金が、さらに金融市場に流入し、
個人投資家も、容易にローンを組んで株を買うこと、
いわゆる信用取引ができるようになったっす。
注意すべきは、この信用取引による株式は、
「24時間コール(請求)ローン」として発行されたもので、
銀行からの返済請求があれば24時間以内に
借入金を返済しなければならないものだったす。
(;´Д`)ノ ナンカ ヤバイ ヨカンシネーカ?
このようにして、アメリカの株式市場は1924年中頃から
投機を中心とした資金の流入によって
長期上昇トレンドに入ったっす。
アメリカ株式市場におけるバブル経済下で、
復興にあえぐヨーロッパ経済は、
資本をアメリカに吸い上げられ、
金融危機の土壌が醸成されていったっす。
その後のアメリカでは、さらに投機熱が高まり、
ダウ平均株価は5年間で5倍に高騰、
1929年9月3日にはダウ平均株価381ドル17セントという
最高価格を記録したっす。
。(;°皿°) カウントダウン ハジマリマシタ
長くなったので、続きは明日っす。
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皆様のお役に立てれば、幸いです。