訃報
先日、お世話になった方が亡くなられた。
実に早い旅立ちだった。
訃報というのは突然やってくる。
そういうものだと心から痛感する。
式場に着くまでは、マナーの気配りなど実感がわかない。
いざ、記帳し本人を目の前にすると「実感」が押し寄せてくる。
そのまんまの彼の写真が飾ってある。
大好きだったタバコと共に。
お焼香を済ませ、顔を拝見させていただくと走馬灯のように思い出す。
してもらったこと。
返せなかったこと。
実に彼にしてもらったことばかりで、何も返せていないことに気がつく。
実に自分は無力であり、無駄に過ごしていることを痛感する。
まだ、非常い若い。
良い人ほど早く亡くなる。
本当にそう思う。
喪主を務めるご長男さんと生前の彼について話す。
多くの方がに支えられて、人に愛された人物だと父の事を語る。
謙遜など、この場では無意味だ。
心から、父を尊敬し、また、僕も心からお世話になった感謝を伝える。
お互い、好きなだけ泣くことができた。
初めて会う長男さんだが、共通として彼にお世話になった感謝でいっぱいになる。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
実家に帰ると、祖母が元気よく迎えてくれた。
祖母はもうすぐ90歳になる。
いつかは亡くなる。
今日のように、「いってらっしゃい」と元気よく送りだされるのはいつまで続くのだろうか。
私は心から大人になりきれていないと思う。
いつかは亡くなる祖母に何ができるのだろうか?。
毎日、特別なことはできない。
ただ、ひとつだけ。
毎日を悔いのないように生きる。
他人に対して、きちんと感情を伝えて生きる。
そして何より、自分がちゃんとする。
訃報は聞きたくないが、避けては通れない道。
訃報があるたびに、私は無力さを感じるだろう。
しかし、無力さに絶望よりも希望を感じる。
