戦争遺跡 大久野島
戦争遺跡のある場所は、ウサギがめちゃくちゃいる楽園だった。
同じ日本人として、戦争時に起きた悲惨な現状を知らなかった。
今から90年前から始まった軍事工場で作っていたのは毒ガス兵器。
実際に、多くの毒ガス兵器が作られ、そして使用された。
主な使用先は中国で何万との人間を殺戮したとの報告もある。
同じ日本人の先祖が実際に行った事実を見に行ってきた。
ちなみに・・・ここは、廃墟写真集にも必ず出てくる有名な場所。
高さのある建造物。黒くなっている所はGHQが焼却した跡らしい。
資料館には何度も使われている言葉があった。
「当時、軍隊という問答無用の生活・・・・」
やはり、軍隊の規律や統制というのは、文献通り厳しいものだったのだろう。
それでも、仕事帰りの雑談の中では活気があったそうだ。
毒ガスを作る側にも大きな犠牲がつきものだった。
防護服が効かないような毒ガスを作ることが目標になり。
逆にどの毒ガスも防げるような防護服を作ることが目標になり。
お互いが切磋琢磨した。
それでも、作る過程で見えないガスにやられる人々が多かった。
そして何より、使用され30分の死ぬほどの苦しみを味わった後に死んだ人々が居る。
戦争で使用された側である。
それらの犠牲に対する平和祈願もされていた。
ここには書ききれない事を学ぶことができた。
いつも思う。
日本人は、自分の国の地理や歴史に詳しくないと外人に言われた事を。
自分が生まれ育った国を知る事で、これからの国を考えられるのではないか?




