はい、めっちゃオバチャンネタです。
だってねーー
気になるんです。
「過剰謙譲語」
「お話しさせて頂いているんですけども・・・・・・」
「出させて頂いたんですが・・・・」
「載せさせて頂きますね・・・」
とか・・・
これは、聞いていてスッキリ、しっくり、いっていますか?
私は何だか違和感を感じます。
という私も、「お話しさせて・・・」という時がたびたびあります。
これは・・・・
ちょっと前までなかった現象ではないか・・と、
オバチャン的に考えてしまうのです。
前に「伝える力を養う」という記事を書きました。
その「伝える力」の大前提に「ていねいに伝える」という
事が大切に思います。
でも、「ていねい」と「過剰謙譲」とは、ちょっと違う気がします。
では、なぜ「過剰謙譲語」になってしまうのだろう。
毎日毎日愛しい人達に言葉で発信していく立場として
オバチャンだなーーと言われても、考えざるを得ないのですよ。
たとえば、「お話しさせて頂いたんですが・・・」
と、「〇〇なんですが・・・」と言葉をつなげようとするからではないか・・
そこは、「お話し致しました。それで・・・・」とつなげればいいのかな?
「出させて頂きました(芸能人がよく言ってますよね)」は、
「出る事が出来ました」・・・で、十分ではないかな?
過剰謙譲語は、聞き手にとってはどうなのでしょうか?
素直に「ていねい語」を使うテクニックを養うのも
結果「伝える力」をレベルアップする事になるのかな?
と、思いました。
スキルや経験はとても大事だと思います。
でも、言葉による「伝える力」って
「聞き手」側に立って考えるとかなり重要かと思うのであります!
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たとえば、「お話しさせて頂いたんですが・・・」
と、「〇〇なんですが・・・」と言葉をつなげようとするからではないか・・
そこは、「お話し致しました。それで・・・・」とつなげればいいのかな?
「出させて頂きました(芸能人がよく言ってますよね)」は、
「出る事が出来ました」・・・で、十分ではないかな?
過剰謙譲語は、聞き手にとってはどうなのでしょうか?
素直に「ていねい語」を使うテクニックを養うのも
結果「伝える力」をレベルアップする事になるのかな?
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