鹿児島県の鹿屋・知覧・万世にある特攻基地から陸海軍の多くの特攻機が沖縄に向けて出撃していった。仕事で九州地方へ行った帰り、再訪になった場所もあったが、それらの基地跡を見学し、鹿児島市内も同時に見学してきた。
▲▼まずは垂水から鹿屋へフェリーで向かう。
▲わずか15位の船旅だが、車で半島をまわるよりはずっと早い。
▲あっという間に鹿屋側に到着。鹿屋市側から見た桜島。
桜島にも海軍桜島基地が置かれ、第5特攻戦隊司令部壕が今も残っている。
▲鹿屋航空基地史料館を再訪した。
▲此処は航空自衛隊が今も現役で使用している航空基地内にある。
▲かつて此処から海軍の神風特別攻撃隊が次々と出撃していった。
▲敷地内では、国内で唯一現存する二式大型飛行艇が見学出来る。
▲館内には零戦が展示され、神風特攻隊で命を散らした優秀な若者が全て紹介されている。
▲史料館はあくまで自衛隊員の教育施設であり、一般人も無料で見学出来るが、反戦・反日を伝える場では一切無い事だけはお伝えしておく。零戦以外は撮影禁止だ。
▲戦時中、鹿屋には多くの海軍飛行場があった。
▲笠野原航空基地跡に残る掩体壕
▲笠野原航空基地跡に残る地下壕へ続いていると見られる入口。
▲串良海軍航空基地跡(偶然にも慰霊祭が行われていた)
▲▼串良基地を飛び立った特攻機の無線を受信していた司令部壕。
内部も綺麗に残っている。
菊水天山隊・菊水雷桜隊・第2正気隊・八幡神忠隊・第2正統隊・第3草薙隊など、多くの神風特別攻撃隊が出撃していった。
多くの隊は、有名な零戦では無く、97式・99式艦上爆撃機や天山などの動きの鈍い爆撃機で出撃していった。昭和20年5月末頃からは練習機「白菊」を使用した白菊隊も出撃している。
出撃時の写真が何枚か飾られていた。
此処で敵艦突入の電信を受ける者も辛かったであろう・・・。
▲特攻隊最後の無電を必死で受ける電信兵(撮影場所不詳)昭和20年4月撮影。
外に出ると、別の入口に出ていた。入口・出口は別になっている。
今は畑の中に埋もれるように別の司令部壕も現存しているが内部見学は出来ない。
恐らく構造は同じだろうという事だ。見た感じも保存されている壕と同じ感じだった。
近くには串良基地の電力を供給していた発電室跡が残っている。
近々取り壊される事が決定しているらしい。
内部は何も残って無く、ただのコンクリート部屋だ。
発電機の実物大模型でも置けば、説得力が増すと思うが・・・。
取り壊しは残念だが、「残し方」にも気を使わないと、訪れる人はいないだろう。
英霊の方達が戦ってくれたお陰で今の平和な暮らしがあります。その事に感謝した。
他、鹿児島には海軍出水基地跡・水上機特攻の海軍指宿基地跡・海軍第1・第2国分基地跡など、海軍の神風特別攻撃隊出撃の地はまだまだある。後何回か鹿児島を訪問し、全て慰霊に行きたいと思っている。
▲知覧特攻平和会館はもう説明する必要は無いかと思います。
多くの陸軍特別攻撃隊「振武隊」が出撃していった知覧特攻基地跡だ。
今回は再訪の為、周辺の戦跡を見学してまわった。
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」のロケは、この辺りでやったんですね。
当時三角兵舎があった場所。
誰も居ない・・・。
次は掩体壕跡に向かう。
前回訪れた時には時間が無く、行けなかった場所。
▲土塁を築いただけの簡素な掩体壕。
そこには第76振武隊仕様の97式戦闘機の実物大レプリカがあった。
今、良い悪いは別にして、艦コレなどのアニメでで多くの旧陸海軍の艦船や航空機が登場している。私はアニメファンでは無いが、閑散としたこの場所に来て感じる事は、伝えていかねばならぬ事はあらゆる方向からアプローチしてでも伝えなければならない。
此処も掩体壕を修復復元しただけでは当時の雰囲気は伝わらなかっただろう。
レプリカでも、こうやって当時の戦闘機を置く事によって説得力が増す。
この展示は非常に素晴らしいと思う。
ただ、この場所を多くの人に知ってもらう為には、アニメイベントなどの開催も視野に入れていかねば、多くの若者に伝える事は難しいだろう。富士急ハイランドで行われた「瑞雲」祭りの様に。アニメから戦史に入っくる若者が多いのも事実なのだから・・・。
当時知覧から出撃する第20振武隊/穴澤利夫少尉(福島県喜多方市出身)の有名な写真。
「なでしこ隊」が見送ったその場所に行ってみた。
▲ほぼ同じ場所。今は見る影も無く、畑に変わっていた。
▲知覧の次は万世特攻平和祈念館に向かった。
当時の陸軍万世飛行場正門と同じ場所から入る。
営門は今も残っている。
知覧には行っても万世には行っていない人も多いと思う。
「子犬を抱いた特攻隊員」で有名な写真は陸軍万世飛行場で撮影された。
▲前列左より早川勉伍長、荒木幸雄伍長、千田孝正伍長。
後列左から高橋要伍長、高橋峰好伍長だ。特攻出撃前に撮影された。
昭和20年5月27日に撮影されたこの写真は館内にも当然、大きく展示してある。
子犬を抱いているのは少年飛行兵[ 荒木幸雄 ]伍長(群馬県桐生市出身)の陸軍少尉17歳だ
荒木伍長はこの写真が撮影された後、沖縄へ特攻出撃し、戦死された。
荒木伍長の所属した第72振武隊は10名中7名が10代の少年飛行兵だった。
館内は万世から出撃した陸軍特別攻撃隊「振部隊」に関する隊員の遺書などが展示してある
1階の展示機は特攻機では無い。
昭和20年福岡に展開していた海軍第634航空隊偵察302所属機で、太平洋戦争末期の沖縄戦のさ中、南西諸島方面偵察の為に福岡を飛び立った機だった。偵察任務を終え帰途中、吹上浜付近で燃料が尽きて不時着水し、操縦士・航法士・電信士の3名は水上機だった事もあり水没は免れ、無事に浜にたどり着き生還されている。
▲写真は現在、知覧特攻平和会館に展示されている零戦の残骸の引き揚げ時の写真。
吹上浜沖には他にもまだ数多くの軍用機が沈んでいるとの事だ。
万世飛行場跡地にある海浜公園から吹上浜へ行く。
野間岳が綺麗に見えた。
野間岳を見ながら飛び立ち、大きく旋回して沖縄を目指した陸軍特攻機・・・。
かつて滑走路があった場所は家族連れの楽しい声が響く平和な公園になっている。
最近になって発見されたという万世飛行場の裏門に行ってみた。
コンクリートの支柱が2本あった。当時の物というだけで見る目が違ってくる。
▼以前来た時にも見学した当時の側溝(滑走路脇の排水路)
隣は以前訪れた時は原っぱだったが、太陽光パネル基地になっていた。
当時滑走路だった場所を通って、鹿児島市内に向かった。
当時、知覧基地の特攻隊員が愛した冨屋食堂。復元されて旅館として営業している。
前回・今回と宿泊させて頂いたが、理解不能な館内撮影禁止など、少し不満の残る宿となってしましった・・・。宿泊施設で風呂場以外で館内撮影禁止など聞いた事が無い。
奥には別館まで建てて大いに儲かっている様だが、再び宿泊しに来る事は無いだろう。
鹿児島市内に戻ってきた。大きな西本願寺横のホテル南州館でお世話になった。
周辺には見るからに古い建物(明治・大正・昭和初期)が見て取れる。
▼西郷さんも居る。
徒歩で見学出来る範囲で、明らかに古そうな建物を見てまわった。
▼明治16年建築の元県立興業館。現在は活用されていない様だ。
▼この建物もどう見ても古い。鹿児島県立博物館として活用されていた。
▼山形屋デパートは大正6年の建築物。
路面電車も走っていて、まるで中国の大連の様だ。
▼▲この建物は南日本銀行。お洒落ですね~。
▼▲現役使用の鹿児島市役所は昭和12年完成。
▼城山は桜島が見える絶景ポイント。
▼綺麗に見えた桜島。雲が切れる日はめったに無いらしい。
城山には見所がもう1つ。
国内最後の内戦、西南戦争で西郷隆盛が最後に立てこもった壕だ。
中に入る事が出来る。
もう1つ近くに壕が残っている。どちらの壕で自決したのかは定かではない。
鹿児島湾を望む場所にあるドルフィンポート。ショッピングや飲食を楽しむ事が出来る
この近くにも古い倉庫群が建ち並んでいる
鹿児島市は歴史を感じる事が出来る楽しい街だった。