ご注文頂いてから納車まで、約3か月もお待ち頂いているPOCHETTEⅡ。

それでも多くの方にご注文頂き、そして気長に待って頂いて本当に有難うございます。

お客様には大変お待たせする結果となってしまい申し訳ございません。

現在ご予約頂いているお客様分も製作中ですのでもうしばらくお待ちください。

現在月産1台に向けて製作工程見直し中ですので、もう少し早くお届け出来ると思います。

日本一速い原付電動スクーターにご興味のおありの方は、知る人ぞ知るEV奈良までお問合せ下さい。

http://www.evnara.jp/index.html

 

[ ポシェットⅡ ] 2018年5月1日販売開始。

第二次世界大戦後、航空機産業を禁止された日本の航空機メーカーは、平和産業としての再出発を賭け、米国パウエル社のスクーターを参考にして、中島飛行機(富士産業)が「ラビット」を生産。三菱重工業は米国サルスベリー社のスクーターを参考にして「シルバーピジョン」を生産しました。天皇陛下にも献上された上記2機種のガソリンスクーターは、シンプルで機能的な素晴らしいデザインでした。それらの雰囲気をEVスクーターで甦らせたい!という強い想いから、弊社「EV奈良」と関東代理店「表現工房」さんの職人が丹精込めて作りました。

3種類から選べるバッテリーパックはポシェットと共通ですので、ポシェットご愛用のお客様も、引き続きバッテリーを共用する事も可能です。(原付2種登録も可能)

お陰様で既に予約が入っており、現在納期3ヵ月となっております。

お問い合わせ、ご予約はEV奈良http://www.evnara.jp/まで。


(カラーは、赤/ピンク/オレンジ/黄/水色/アイボリー/茶/黒/艶消し黒/グレーの全10色)

完全受注生産型
20ah ➡ 358800 + tax¥387504 航続距離 約40㎞
30ah ➡ 388800 + tax¥419904 航続距離 約60㎞
50ah ➡ 448800 + tax¥484704 航続距離 約100㎞
※冬季は10%以上航続距離が低下します。
※航続距離は原付1種法定速度30Km/h定速走行距離
2018年5月1日HPをリニューアルしました。http://www.evnara.jp/index.html

手作りの部分が多く、大量生産品では無いので製作日数頂いております。

多くの女性ファンの方より「可愛い!」「乗りやすい」「足が着いて安心感ある!」

と、高評価を沢山頂いております。

お問い合わせ、ご試乗予約はEV奈良HPのお問い合わせより。 http://www.evnara.jp/ 試乗

車をお客様のご自宅までお持ちする「試乗車デリバリーサービス」もお受けしております。

 

鹿児島県の鹿屋・知覧・万世にある特攻基地から陸海軍の多くの特攻機が沖縄に向けて出撃していった。仕事で九州地方へ行った帰り、再訪になった場所もあったが、それらの基地跡を見学し、鹿児島市内も同時に見学してきた。

▲▼まずは垂水から鹿屋へフェリーで向かう。

▲わずか15位の船旅だが、車で半島をまわるよりはずっと早い。

▲あっという間に鹿屋側に到着。鹿屋市側から見た桜島。

桜島にも海軍桜島基地が置かれ、第5特攻戦隊司令部壕が今も残っている。

▲鹿屋航空基地史料館を再訪した。

▲此処は航空自衛隊が今も現役で使用している航空基地内にある。

▲かつて此処から海軍の神風特別攻撃隊が次々と出撃していった。

▲敷地内では、国内で唯一現存する二式大型飛行艇が見学出来る。

▲館内には零戦が展示され、神風特攻隊で命を散らした優秀な若者が全て紹介されている。

▲史料館はあくまで自衛隊員の教育施設であり、一般人も無料で見学出来るが、反戦・反日を伝える場では一切無い事だけはお伝えしておく。零戦以外は撮影禁止だ。

▲戦時中、鹿屋には多くの海軍飛行場があった。

▲笠野原航空基地跡に残る掩体壕

▲笠野原航空基地跡に残る地下壕へ続いていると見られる入口。

▲串良海軍航空基地跡(偶然にも慰霊祭が行われていた)

▲▼串良基地を飛び立った特攻機の無線を受信していた司令部壕。

内部も綺麗に残っている。

菊水天山隊・菊水雷桜隊・第2正気隊・八幡神忠隊・第2正統隊・第3草薙隊など、多くの神風特別攻撃隊が出撃していった。

多くの隊は、有名な零戦では無く、97式・99式艦上爆撃機や天山などの動きの鈍い爆撃機で出撃していった。昭和20年5月末頃からは練習機「白菊」を使用した白菊隊も出撃している。

出撃時の写真が何枚か飾られていた。

此処で敵艦突入の電信を受ける者も辛かったであろう・・・。

▲特攻隊最後の無電を必死で受ける電信兵(撮影場所不詳)昭和20年4月撮影。

外に出ると、別の入口に出ていた。入口・出口は別になっている。

今は畑の中に埋もれるように別の司令部壕も現存しているが内部見学は出来ない。

恐らく構造は同じだろうという事だ。見た感じも保存されている壕と同じ感じだった。

近くには串良基地の電力を供給していた発電室跡が残っている。

近々取り壊される事が決定しているらしい。

内部は何も残って無く、ただのコンクリート部屋だ。

発電機の実物大模型でも置けば、説得力が増すと思うが・・・。

取り壊しは残念だが、「残し方」にも気を使わないと、訪れる人はいないだろう。

英霊の方達が戦ってくれたお陰で今の平和な暮らしがあります。その事に感謝した。

他、鹿児島には海軍出水基地跡・水上機特攻の海軍指宿基地跡・海軍第1・第2国分基地跡など、海軍の神風特別攻撃隊出撃の地はまだまだある。後何回か鹿児島を訪問し、全て慰霊に行きたいと思っている。

▲知覧特攻平和会館はもう説明する必要は無いかと思います。

多くの陸軍特別攻撃隊「振武隊」が出撃していった知覧特攻基地跡だ。

今回は再訪の為、周辺の戦跡を見学してまわった。

映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」のロケは、この辺りでやったんですね。

当時三角兵舎があった場所。

誰も居ない・・・。

次は掩体壕跡に向かう。

前回訪れた時には時間が無く、行けなかった場所。

▲土塁を築いただけの簡素な掩体壕。

そこには第76振武隊仕様の97式戦闘機の実物大レプリカがあった。

今、良い悪いは別にして、艦コレなどのアニメでで多くの旧陸海軍の艦船や航空機が登場している。私はアニメファンでは無いが、閑散としたこの場所に来て感じる事は、伝えていかねばならぬ事はあらゆる方向からアプローチしてでも伝えなければならない。

此処も掩体壕を修復復元しただけでは当時の雰囲気は伝わらなかっただろう。

レプリカでも、こうやって当時の戦闘機を置く事によって説得力が増す。

この展示は非常に素晴らしいと思う。

ただ、この場所を多くの人に知ってもらう為には、アニメイベントなどの開催も視野に入れていかねば、多くの若者に伝える事は難しいだろう。富士急ハイランドで行われた「瑞雲」祭りの様に。アニメから戦史に入っくる若者が多いのも事実なのだから・・・。

当時知覧から出撃する第20振武隊/穴澤利夫少尉(福島県喜多方市出身)の有名な写真。

「なでしこ隊」が見送ったその場所に行ってみた。

▲ほぼ同じ場所。今は見る影も無く、畑に変わっていた。

▲知覧の次は万世特攻平和祈念館に向かった。

当時の陸軍万世飛行場正門と同じ場所から入る。

営門は今も残っている。

知覧には行っても万世には行っていない人も多いと思う。

「子犬を抱いた特攻隊員」で有名な写真は陸軍万世飛行場で撮影された。

▲前列左より早川勉伍長、荒木幸雄伍長、千田孝正伍長。

後列左から高橋要伍長、高橋峰好伍長だ。特攻出撃前に撮影された。

昭和20年5月27日に撮影されたこの写真は館内にも当然、大きく展示してある。

子犬を抱いているのは少年飛行兵[ 荒木幸雄 ]伍長(群馬県桐生市出身)の陸軍少尉17歳だ

荒木伍長はこの写真が撮影された後、沖縄へ特攻出撃し、戦死された。

荒木伍長の所属した第72振武隊は10名中7名が10代の少年飛行兵だった。

館内は万世から出撃した陸軍特別攻撃隊「振部隊」に関する隊員の遺書などが展示してある

1階の展示機は特攻機では無い。

昭和20年福岡に展開していた海軍第634航空隊偵察302所属機で、太平洋戦争末期の沖縄戦のさ中、南西諸島方面偵察の為に福岡を飛び立った機だった。偵察任務を終え帰途中、吹上浜付近で燃料が尽きて不時着水し、操縦士・航法士・電信士の3名は水上機だった事もあり水没は免れ、無事に浜にたどり着き生還されている。


▲写真は現在、知覧特攻平和会館に展示されている零戦の残骸の引き揚げ時の写真。

吹上浜沖には他にもまだ数多くの軍用機が沈んでいるとの事だ。

万世飛行場跡地にある海浜公園から吹上浜へ行く。

野間岳が綺麗に見えた。

野間岳を見ながら飛び立ち、大きく旋回して沖縄を目指した陸軍特攻機・・・。

かつて滑走路があった場所は家族連れの楽しい声が響く平和な公園になっている。

最近になって発見されたという万世飛行場の裏門に行ってみた。

コンクリートの支柱が2本あった。当時の物というだけで見る目が違ってくる。

▼以前来た時にも見学した当時の側溝(滑走路脇の排水路)

隣は以前訪れた時は原っぱだったが、太陽光パネル基地になっていた。

当時滑走路だった場所を通って、鹿児島市内に向かった。

当時、知覧基地の特攻隊員が愛した冨屋食堂。復元されて旅館として営業している。

前回・今回と宿泊させて頂いたが、理解不能な館内撮影禁止など、少し不満の残る宿となってしましった・・・。宿泊施設で風呂場以外で館内撮影禁止など聞いた事が無い。

奥には別館まで建てて大いに儲かっている様だが、再び宿泊しに来る事は無いだろう。

鹿児島市内に戻ってきた。大きな西本願寺横のホテル南州館でお世話になった。

周辺には見るからに古い建物(明治・大正・昭和初期)が見て取れる。

▼西郷さんも居る。

徒歩で見学出来る範囲で、明らかに古そうな建物を見てまわった。

▼明治16年建築の元県立興業館。現在は活用されていない様だ。

▼この建物もどう見ても古い。鹿児島県立博物館として活用されていた。

▼山形屋デパートは大正6年の建築物。

路面電車も走っていて、まるで中国の大連の様だ。

▼▲この建物は南日本銀行。お洒落ですね~。

 

▼▲現役使用の鹿児島市役所は昭和12年完成。

▼城山は桜島が見える絶景ポイント。

▼綺麗に見えた桜島。雲が切れる日はめったに無いらしい。

城山には見所がもう1つ。

国内最後の内戦、西南戦争で西郷隆盛が最後に立てこもった壕だ。

中に入る事が出来る。

もう1つ近くに壕が残っている。どちらの壕で自決したのかは定かではない。

鹿児島湾を望む場所にあるドルフィンポート。ショッピングや飲食を楽しむ事が出来る

この近くにも古い倉庫群が建ち並んでいる

鹿児島市は歴史を感じる事が出来る楽しい街だった。

中国東北部。祖父母の軌跡を辿る旧満州国の旅。
御歳94歳の祖母が、満鉄勤務だった祖父(故人)とともに暮らした新京(現在の長春)を見学しに行った。母も新京(長春)の満鉄病院で生まれている。目的は長春だが、折角初めて東北

部に行くのだからと、日本時代(旧満州国時代)の「夢の残骸」と戦跡なども、出来る限り同時に見学する事にした。

▲大連を起点に北上して行く。

▲▼大連も上海と同じく高層ビルが立ち並ぶ大都会だ。

 

▲日本時代に走っていた路面電車がそのまま走っている。

▲日本時代のままの旧三越百貨店

▲近年完成した星海公園

▲海沿いの地に星海遊園地が完成し、観光スポットとなっている

▲日露戦争の激戦地「203高地」

花見スポットでもある。

▼203高地に建つ爾霊山慰霊塔

▼旅順港を見下ろす場所に設置された旧日本軍28センチ砲

▼乃木希典陸軍第三軍司令官の次男、乃木保典戦死の地

▼旅順にロシアが作った三大永久要塞の1つ「東鶏冠山北堡塁」

▼日本軍が爆破に成功し、北堡塁に突入した場所。

 

内部を見学する事も出来る。

旅順戦跡巡りをご希望の方はご連絡下さい。中国旅行は現地で中国語を話せないと厳しい面が多々あります。信用出来る現地付き添い人(中国人)をご紹介します。
通常大連駅周辺からタクシーを1日借り切って旅順周辺を巡るのが一般的です。pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。

日本の為に戦ってくれた英霊を忘れない をご覧頂くと「中国東北部旅行記」で詳しく紹介させて頂いております。

 

▼瀋陽(旧奉天)。大きな駅前は何処も大都会に変貌しつつある中国。

▼瀋陽市にある「九・一八」歴史博物館(外国人でも無料)

日本人はあまり行かない場所だが、事実としてしっかり知る必要はある。

▼昭和6年(1931)9月18日旧奉天郊外の柳条湖で「南満州鉄道が中国軍によって爆破された」という関東軍の自作自演の謀略事件「柳条湖事件」(満州事変)によって関東軍は軍事出動。張学良の中国軍を攻撃し、満州全土を制圧する。

▼日本軍94式山砲

▼屋外にはロシア軍が使用した戦車も展示されている

館内の説明では、虐殺の数など、色々事実と反する面もあるが、見学する価値はある。

「九・一八」歴史博物館見学をご希望の方はご連絡下さい。中国旅行は現地で中国語を話せないと厳しい面が多々あります。信用出来る現地付き添い人(中国人)をご紹介します。
pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。

日本の為に戦ってくれた英霊を忘れない をご覧頂くと「中国東北部旅行記」で詳しく紹介させて頂いております。

 

長春(旧新京)

▼長春もどんどん開発が進んでいる

▼旧ヤマトホテル

▼祖父が勤務していた旧南満州鉄道株式会社

▼街のあちらこちらに残る日本時代の建物

▼旧郵便局だった建物(改装中だ)

▼これも日本時代に建てられたものだろう

最近の建物とは似ても似つかないので直ぐ解る。

▼旧関東軍司令部

▼現在敷地内が工事中で保存が危ぶまれる西本願寺

▼日本時代に建てられた物であろう。学校だったのかな?

▼母が生まれた満鉄病院(恐らく当時の建物では無いが場所は同じ)

▼祖父母が暮らした昌平街

長春は街を歩いていると、日本人はあまりwelcomeでは無い様な雰囲気がプンプンする。

よほどの思い入れが無い限り、無用な見学は避けた方が無難だと思った。

 

哈爾浜

▼▲哈爾浜ヤマトホテル

哈爾浜はロシア時代が色濃く残る街だ。

日本人が設計した欧風建築物とは二味も違う。

ロシア時代の代表的な建物「聖ソフィア大聖堂」

そんなロシア時代後の日本支配の時代、哈爾濱から20数キロ離れた平房地区に、旧日本軍が建てた施設「731部隊本部」があった。現在は「侵華日軍731部隊罪証陳列館」が敷地内に建てられ、昭和20年8月9日のソ連参戦に伴い、敷地内で行っていた人体実験の事実を隠す為に施設を爆破処分して逃げ去った跡がそのまま保存されている。

日本人としては目を覆いたくなる様な事ばかりだが、事実としてしっかり知る必要がある

ここも無料で見学する事が出来る。見てるのも辛いが事実である。

何を何の目的で行っていたかは、ご自身の目で確かめて頂きたい。

全て爆破して去って行ったわけでは無い。現存する建物も多くある。

 

▼証拠隠滅の為に爆破された特設監獄は爆破跡が残る。

▼ボランティアガイドの周さんが温かく迎えてくれた。

▼日本軍の兵器も現存する

 

 

 

 

 

 

 

 

「侵華日軍731部隊罪証陳列館」見学をご希望の方はご連絡下さい。中国旅行は現地で中国語を話せないと厳しい面が多々あります。信用出来る現地付き添い人(中国人)をご紹介します。pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。

日本の為に戦ってくれた英霊を忘れない をご覧頂くと「中国東北部旅行記」で詳しく紹介させて頂いております。

▲沖縄県護国神社

太平洋戦争(大東亜戦争)末期、日米激戦の舞台となった沖縄島。
硫黄島に次ぐ国内2番目の地上戦が繰り広げられた沖縄本島、そして国内で唯一、民間人を巻き込んだ壮絶な戦闘が約3ヵ月にわたり繰り広げられた沖縄本島に今も残る戦跡をご案内します。(冬季限定企画)
日本軍民の死者188136人、米軍の死者15050人を出した戦争の傷跡は、今も沖縄本島に多く残されています。(日本側死者内訳→沖縄県外日本兵65908人。沖縄県出身の軍人・軍属28228人。一般住民約94000人)離島を含んだ沖縄県民全体では約122000人以上の死者を出し、県民の4人に1人が亡くなったといわれています。

▲沖縄県内最大最古のシーサー「富盛の石彫大獅子」

観光地沖縄で戦跡を巡り、昭和20年にタイムスリップして頂く「沖縄戦」を深く知るツアーを開催しています。軍民問わず、沖縄戦で犠牲になられた全ての方に敬意をお待ちの方のみ、お問い合わせ下さい。
ツアーは1名様(最大3名)よりお受けいたします。ガイドブック等に掲載されない戦跡も含め、お車で戦跡を巡るお客様一組だけのプライベート・ツアーを企画させて頂きます。

(お客様ご宿泊のホテルまでお迎えにあがります)
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見に如かず」現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。事前に「沖縄戦」をご覧頂くと、現存する戦跡を含め、沖縄戦の大筋がご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等をお返事差し上げます。 

pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。

▲「海鳴りの像」

[ お申し込み方法 ]
まずはメールでお問い合わせ下さい。渡沖ご予定・希望日時等ご連絡頂いた後、ツアー期間の具体的なプランをご提案させていただきます。

お客様が満足いくツアーになる様、しっかり事前に打ち合わせしましょう。
出来る限り早め(渡沖数ヵ月前からがベスト)の打ち合わせが出来れば、より良いプランを組む事が出来ると思います。
※当ツアーは基本冬季のみ。参加者は原則18歳以上、80歳以下の方を対象にさせて頂いております。予めご了承下さい。
※ツアー期間(日数)によって料金は変動いたします、打ち合わせメールの際にご提示させて頂きます。(1~3名同額)

▼昭和20年4月1日米軍が上陸した読谷村渡具知ビーチ

通常のツアーでは行く事の無い戦跡を巡ると、現在の綺麗な沖縄の景色からは想像もつかない、昭和20年の戦時中にタイムスリップする事でしょう。

「百聞は一見に如かず」実際に現場で見る戦跡は、現在の沖縄県と「戦争の無い日本をどの様にして維持していくか」を真剣に考えさせてくれる事でしょう。

先の大戦での多くの犠牲者の上に、現在の平和な暮らしがある事に感謝し、決してあの大戦を忘れはいけないと思います。

お客様それぞれ、戦史・戦跡に対する考え方は違いますが、犠牲になった方達を想う心は皆様同じだと感じます。

皆様参加される理由は様々です。特定地域の戦跡に想いを馳せる方、激戦で使用された兵器に見入る方、切削苦労の跡が感じられる陣地壕を熱心に見学される方など、お客様のご希望に添える様、全力でサポートさせて頂いております。

ガイドブックに載らない戦跡(丘、階段、足場の悪いガマ、日本軍陣地壕を巡る為、お客様の健康・体力的な事も考慮し、お年を召された方(70歳以上)はお断りさせて頂いております、ご了承下さい(体力に自信の無い方もご遠慮下さい。)