午前二時。
ガス管、水道管、バルブ、汚い天井。
ラブホテルの最上階にあるボイラー室、その隅っこにマットレスを敷いて横たわる。
これが僕の休憩時間の過ごし方だった。
「ラブホのバイト、楽らしいよ」
そんな話を聞いてから、気づくとここで寝る生活をしていた。
ちょっと横を向くと、大量の埃が見える。
ちょっと手を伸ばすと、ヌメッとした謎の油が手に触れる。
なので、なるべく動かないように、変なものを吸い込まないように、こうして仰向けになり天井を眺めている。
奥にある喫煙所からは笑い声が聞こえる。
他の従業員はそこで談笑したり、スマホをいじったりしながら、長い休憩時間を過ごしていた。
そこには入りたくなかった。
最初の二日間くらいはみんなと同じように、休憩時間をそこで過ごしていた。
パチンコで負けた話、キャバクラで豪遊した話、よくわからんFXの話。
何が面白いのか全然わからなくて、耐えきれなくなり「寝たいんですけど、寝れるとこってあります?」と聞いたところ、先輩がボイラー室の床にマットレスを敷いてくれた。
当たり前のように、ボイラー室にマットレスを敷いている姿に少し笑ってしまった。
普通、埃まみれのボイラー室にボロボロのマットレスを敷かれ「ここで寝ろ」なんて言われたら、「バカにしてんのか!」となってもおかしくない。
でもこの場所では違う。
100%真面目、純粋な親切なのだ。
「ここならゆっくりできるから。清掃入ったら起こしにくるね。」そう言って喫煙所に戻っていった。
その日以来、僕の定位置はここだ。
そういや、単独ライブが迫っていた。
ネタも作んなきゃな。
こんな場所でも、頭の中だけはキラキラした思いで溢れた。
「バイトで苦労してるんですよー」なんて、そんなネタはしたくない。
色で言うなら、なるべく白に近いものを見せたい。
僕の好きな人たちは、みんなそういう色をしている。
地下で苦労してる人だなんて思われたくない。
何事もなかったかのように、凄い人として表舞台に立つんだ。
そういやさっきの先輩は、バンドマンだとか言ってたっけ。
本当にバンドやってるのだろうか。週5~6で出勤してるけど。
アプリのゲームにハマってるんだってさ。休みになったらパチンコの新台打ちに行くんだってさ。知り合いから稼げるビジネスを教わったんだってさ。
そんな人でも音楽って作れるのかな。
もっと中身のある話をしようぜ。
君のやりたいことは何?
そんな生活楽しいの?
叶えたい目標はないの?
君は何のために音楽を始めたの?
とかさ。
話の輪に入れずに、ボイラー室で寝てる奴に言われたくないよな。
人のことなんてどうでもいい。そんな自分が気持ち悪い。
ええと、なんだっけ。
そうだ単独のネタを考えるんだった。
ブォーンとボイラー室に機械音が響いた。
冷蔵庫の音みたいな、それの超でかいバージョン。
もう慣れたけど、やっぱりすごくうるさい。
なんか洗脳するときの音みたいだなって思った。そんな映画あったよね。
ここは闇の研究施設、仰向けに寝ている自分は実験体。
いっそのこと、このまま解剖してくれていいよ。
内臓とか取り出して、脳にICチップ埋め込んで。
腎臓って売ったらいくらになるんだろう。バイト何ヶ月かしなくて済むかな。
そんなことを考えてたら一時間が経っていた。
休憩終了の時間だけど、清掃部屋がでない限りは休んでいても怒られない。
「だから楽なんだよ」って言ってた他の従業員と「確かに」って思った僕は、何も変わらないのかもしれない。
ダメ人間なのかも、自分。
そう思わせるだけの空気がここには流れている。
いつの間にかネタを考える気力はなくなっていた。
もういいや、明日で。
とりあえず今は睡眠だけ取っておこう。
いかに時給を発生させるか、無駄なエネルギーを使わないか。
本業じゃないんだから、それだけでいいんだ。
余計なことは考えなくていい。
やりたいことがあるから、行きたい場所があるから。
ただこの時間は耐えていればいい。
大丈夫、きっと大丈夫。
そんな風に思ってうとうとしていると、呼び出しがかかった。
「陣野さーん、清掃出ました」
夜中に帰んじゃねえよ。宿泊なんだから朝まで寝てろや。
「了解です」
面倒くせえ。どうせ部屋入って揉めたんだろ。
「507号室です」
洗剤等が入ってる清掃カゴを持って部屋に向かう。
ドアから聞こえる喘ぎ声とか、部屋に散らばったコンドームとか、3日も経てば何も思わなくなった。
さっさと終わらせて帰りたい。
帰りたい。
どこに?ボイラー室に?
いや違う、自分の家に。
あの狭いアパートに帰りたいの?
いや違う、違うんだけどさ…。
「陣野さーん、冷蔵庫に酒入ってましたけど。いります?」
とりあえずこの最悪な日常からは抜け出したい。