一人で飲んだ。

一人で飲むときはグダグダぐだぐだ、身になることから身にならないことまで、色々考える。

今日一つ考えてたのは、「一人が好き」と言うことがわかる人と、わからない人、がいるということについて。

 

自分は基本的に一人で何かをしたりするのが好きなんだけれど、それを「いいね」って言う人もいれば「何がいいの」って言う人もいて、一人で何かをするときのメリットを考えてみた。

例えば、気を使わないということ。

誰かといるときは、多かれ少なかれ気を使う。

飲みで言うなら、何を飲む、何を食べる、いつ帰る、どこに行く。

細かいことで言うと、いつトイレに行けばいいのかとかも入ってくる。

そんな大量の気遣いを一切、全て、と言っていいくらい捨てることができるのが、一人飲みのいいところ。

 

同じように、映画とかもそうで。

「これ面白いと思ってもらってるかな」「終わったら飯行くつもりなのかな」「終わった後の感想とか考えといたほうがいいかな」とか余計なことばっか考えて集中できなかったりする。

大学生の頃、友達の家で飲んでいたとき、みんなで映画をみようかと言う話になった。

その時に見ようってなったものが、僕がまだみていなかったもので、しかも結構楽しみにしていたものだった。

とっさに「あ、これ嫌だな」と思い、速攻で帰ったことがある。

もちろん、集中してみたいものを邪魔されたくないって言うのもあるけれど、どう振る舞っていいのかよくわからなくなる。

多分楽しみにしていたものだから集中してしまうし、でも友達と見ているからある程度会話もしなければいけなくて、もし誰かがつまんなそうにしていたら心配になってしまう。

 

そんでこんなことをいろいろ考えてしまう一方、「ノリ悪いな」「つまんないの?」と言われることも多いから、自分の振る舞いまで色々考えなくてはいけないので、とりあえず人といると言うことは多少なりとも神経を研ぎ澄まさなければいけない。

もちろん楽しいと言うことも含めて。

楽しい、と、神経を研ぎ澄ます、は対極のものではなく別のものである。

 

さて、ここまで気持ち悪い卑屈のようなものを書いたことで、何と無く言いたいこともわかってもらえる気がする。

つまり、一人が楽しい、一人って楽しそう、と思う人は多かれ少なかれ同じようなことを思っているんだと思う。

はっきり言うなら、人といたほうが楽しい。

一人で何かをやると言うことが、なんだか高尚な趣味のように捉えられることも少なくない。

しかし、そもそも「一人じゃなきゃできないことを誰かといる時にできる人」は一人でいる意味がない。

自分が「一人じゃなきゃできない」と思っていることは、だれかにとっては「友達とできること」である。

頼みたいものを頼めない、とか、トイレに行くタイミングを失う、とか。

そんな奇妙なことを思ってしまう人が1人で遊ぶ。

伊香保温泉なんて多分、誰かと行ったほうが楽しいと思う。

何を悲しくて誕生日に1泊2日で出かけなければいけないのか。

 

でもやっぱり思うのは「一人の何が楽しいかわからない人」は少数派になって来ているということ。

逆に言えば「一人の何が楽しいかわからない人」は堂々と好きなことができるという結構すごい人なんじゃないかと思う。

 

一人が好きっていうのは高尚でもなんでもなくて、ただの欠陥だ。

欠陥をうまく「なんかいいよね」「素敵だね」ってどうにか見せているだけだ。

 

でも何事においても、欠陥を楽しそうに見せるのも大事なんじゃないかと思うのです。

そんなことを、飲みながらぐだぐだ考えます。

 

一人飲みって楽しそうでしょ。