ラ・ロシュフコー | 日本語教育を通して考える
17世紀フランスの貴族ラ・ロシュフコーの言葉で、個人的に印象に残ったものを取り上げてみました。
われわれの自己愛は、われわれが友達から得る満足の度合いに比例して、その友達の長所を増やしたり減らしたりする。そしてわれわれは、友達が自分とどう付き合うかによって友達の偉さを判定するのである。
・・・もし、「あの人のことは嫌いだけど見習いたい」とか、「あの人とは関わりたくないが、あの人のここは素晴らしい」とか言える人がいたら、すごいなあと思います。
誰も彼もが自分の記憶力を慨嘆し、誰一人として自分の判断力を慨嘆しない。
・・・自分の能力の低さを嘆くことは多々ありますが、その判断を下した動機は何か、その判断は本当に的確なのか、といったことを疑うと、また違ったものが見えてきますね。
われわれはあまりにも他人の目に自分を偽装することに慣れきって、ついには自分自身にも自分を偽装するに至るのである。
・・・今の日本では特に顕著であるような気がします。
怠惰と臆病がわれわれを義務に繋ぎとめているだけなのに、もっぱらわれわれの道義心が義務遵法の名誉を独り占めにすることが多い。
・・・ルールというものは「守らなければならないから守る」のではなくて、「自分が守りたいから守っている」という意識でいた方が楽だと思います。
あくまでも忠実であることは、非難にも賞賛にも値しない。なぜならそれは、好みと感情という、人が自分から取り除くことも、自分に与えることもできないものの持続に過ぎないからだ。
・・・人の好みを切り離したところに美徳は存在しえないでしょう。
心の瑕は体の傷と同じことだ。癒そうとどれほど手を尽くしても、傷跡はいつまでも残るし、傷が再び口をあけるおそれは絶えずつきまとう。
・・・今の自分はおそらく一生このままなのだろうと考えるようになってきました。
われわれが自分の悲嘆にどんな口実をつけるにせよ、その悲嘆の元は、多くの場合、欲と虚栄心でしかない。
・・・その通りですが何か。
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