よりどころに迷っている人


自分をよりどころにして生きろとお釈迦様も、ラッキーさんも言われて居ますが、自分は、事あるごとに迷いの渦に飲み込まれてしまうのです、そのような者はなにをよりどころにしたら良いのでしょう。お釈迦様が言っている自分をよりどころにして生きろと言うのは、お釈迦様の弟子達とくに側近の弟子達に言っているのであって、一般の人達に言っているんでは無いんです。ラッキーも、同じで、ラッキー/ありがとう日記を数年間に渡って読んでいて、そのほとんどを理解出来ている人に向かって言っているんです。でも、人間は無智な人ほど、自分が正しいものとして自分の考えや思いを貫こうとしますから、問答無用で自分の思いのままに生きるものなんです。


今日の質問者の様に、事ある事に迷いの渦に飲み込まれるというのは、懸命に生きている人で、無智な人は迷わず彷徨って居ますよ。大海原を渡る船は、闇に目の前をふさがれたならば、自分を信じて舵をとるしかないでしょう。仏教では修行僧に対して自灯明と言って自分を信じて前にすすめと言っているんです。でも、自分が信じてよりどころにして居る指針が間違ったものならば、今回の韓国の旅客船の様に舵を切り損ねて沈没しますよ。だから自分自身が納得の行く灯りを見つけることが大事なんです。出会いは、波長が引き寄せて来るものだから、その人の次元以上とも、以下とも繋がりませんよ。NHKの周波数でフジテレビは映らない様にね・・・


学びとは、真似をすることで、過去の日記に書いて居ますが、人の真似をするんだったら、大人しい人の真似をすることが成長への近道で、無智な人ほど、騒がしくて声が大きいもので、いざとなった時は卑怯ですよ。ラッキーは、この様なタイプの人は出来る限り避ける様にして居ます。色粉に染まりたくないからで、その逃げ方がラッキーは下手で、上手な人は、恨みを買わない様に絶妙なタイミングで逃げますよ。ことさらに、見え見えで逃げると逆恨みは避けられませんからね。波動の法則で言うならば、相手が逆恨みをしていると気づいて、そのことを気に留めたならば、その波長と同調してしまい、気の毒を受け止めることに成るから、お気のどくと言うんです。これが病の味の素に成り、毒に当たって悩んだ人が、ありがとう日記と出会い、心のビタミンに学び癒される図式が生まれるんです。


懸命に生きている人は、師匠を見つけることで道理に気づき、やがては自分自身を指針として生きる道が開かれ、伝道者として生きることになるんですよ。


あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v


【ラッキーの一言】何となくでも、輪廻の意味が解って頂けたでしょうか。


ラッキーでした(^O^)

天国のこと


天国のことを教えてくれませんか?天国ってどんな処なんですか?実は、天国のことを講釈するのは難しいんです。知っていることは、幾らでも話しますが、天国の何を聞きたいのか!よく解らないので、簡単に噛み砕いて講釈する事にします。お釈迦様は、生きるとは苦であると説いて居ます。肉体を持って生れて来ることで苦悩が生まれる様に成って居ると言うことです。その苦悩の位置から天国を見ると天国は次元が高い処にあると言うことです。苦が無い処と言ってもいいかも知れません。苦が無いのは、贅沢三昧の暮らしをしている人達も表面的には苦悩が無いように見えますが、贅沢をすることで苦悩が生まれる様に成って居て、そんなに甘い物では無いんで御座います。



ただ、苦悩も程度があることは事実で、人がそれぞれの様に苦悩もそれぞれで、平等に苦悩がある訳じゃないんです。人間以外の動物達は、安気そうに見えるかもしれませんが、人間よりも苦悩の多い世界いで生きているんですよ。人間の次元よりも低い次元で生きていると言うことです。人間同士でも、人それぞれに次元が違いますから、苦悩の重さは違います。ここで、矛盾した話しに成りますが、人間は、成長して高次元に成るほどに、重たい荷物を背負う様に設定して生れて来ていて、そのことを知らない無智な人達が差別や偏見を持ってことを混ぜるんです。



お釈迦様の言葉を借りると、人間は、肉体を持つことで苦悩が生まれる。その苦悩を無くそうと努力する事が生きると言うことなんです。そして生きて行くと言うことは、肉体を管理すると言うことで、肉体の管理が悪いと病気に成ります。その肉体の管理の仕方を商売人が、自分達の都合の良いように講釈して蔵を建てると言う図式で、あの手、この手、熊の手で、無智な人達を、いらまかすんですよ。無智な人は、自分のお粗末を帳消しにしてくれると聞くと喜んで飛びつく、だぼハゼの如しですよ。



健康で居る為には、身養生、心養生、家庭養生の三つの養生が必要だと、ラッキーが教えるとしますか。なるほどと納得したとしても、その真理は深いですよ。でも、解った気になっているのが無智な人達の特徴で、これじゃ地獄行きですよ。解った気に成っている人と言うのは、まず、実践はしませんからね。



ラッキーが言う無智とは、知識を沢山持っている人と言う意味じゃ無く、なるほどと納得出来る情報を見聞きしたならば、謙虚にその真理を考えたり尋ねたりして実践する人の事です。この様な人は次元が高い人で、次元が高いは天国に近い人と言うことなんですよ。天国地獄は、詰めて言うと心のあり様ですから、自分は幸せだと思っていられれば、それが天国なんですが、なかなかイカの金玉で、そう簡単じゃないですよ。私達の身体は業の化身で、エゴのエネルギーに寄って作られて居ますから、善行を積んで汚れを落とし天国に生まれ変わりましょうと言うテーマを設定して生れて来ているんです。汚れを落とすとは、執着しないと言うことで、執着の量が汚れの量と比例していて、執着を捨てれば、誰でも天国行きのバスに乗れるんですよ。何となくでも、解って頂けたでしょうか。



あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v



【ラッキーの一言】天国行きのバスを待つ間に、また、汚れるんですよ、だから、汚ればかりなんだね。



ラッキーでした(^O^)








人生の指針


自分の人生の指針にするべきものは、何を基準にしたらいいのか?と、迷

う人は少なくないと思います。何かに行き詰った時に、必然的に生れて来る問題で、二つの道に分かれます。ひとつは、物質的なものを目指すことを基準にする人と、精神的なものを基準にする人とで、両者は、まったく別な生き方に成ることは間違いありません。どちらも必要だから、自分はその真ん中を行くと言う人も居るでしょう、漠然とした思いつきで・・・


ラッキーの場合は、どちらを基準にしたかと言うと、精神的なもので「生老病死」です。四苦と言われているもので、人間が老いて行く苦しみ。病気に成る苦しみ。死んで逝く苦しみ。そして生まれて来る苦しみ。これらの苦しみからは、この世に存在する限り逃れることが出来ないもので、誰も避けることの出来ない苦悩ですから、ラッキーは、ここを基準にして人生を見る様にして居ます。すると本質的な価値観が自然と視えて来るんですよ。何が大事で、何がどうでもいいものか、と、言う風にね。女性は命をこの世に生み出す苦しみや、喜びを感じることは出来ますが、その部分については、男には解りにくいですが、それ以外の、老いること、病気になること、必ず何時かは死ぬことは、男も女も同じです。


それらを基準に今の世の中を見たならば、無茶苦茶の世の中ですよ。不必要なことばかりに振り回されて生きて居ますよ。どうでもいい話しですが、アイホンだったかな?を買ったんだって、時代遅れに成りたくないと言う思いから。それでね、買ってから疲れましたっておっしゃるんですよ。だって、データーの入れ替えをしてくれないんだもの。個人情報の問題があるので、自分のパソコンで入れてくださって言うんですよ。携帯から携帯の時は、直ぐに入れ替えてくれていたのに。携帯は個人情報の問題は無いのかと言いたかったんですが、私も猫を被って暮らして居る立場上言えなかったんですよ、言っても無駄そうだったし。で、電話でアドバイスはしてくれたんだけれど、なかなか上手く行かなくて。それで、肩が固まって頭痛なんですよ。ラッキーは電話機屋に感謝ですよ。お客さんをありがとうってね。アハ。


最近は、新しい物に飛びついて見たけれど、やっぱ今までの携帯電話でいいやと言うことで、また、携帯に戻る人も増えているとか、結局お金を使うだけの話しで、情報の早さや量で生活している人達は別として。そしてね、人間はアナログですから、デジタルの世界は色んな面でストレスが増えるだけなんですよ。目に見えない話しですが、デジタルが発生させている電磁波は人間の脳神経を低下させて居ますから、思考も低次元の方向にしか行きませんよ。だから、直ぐに切れてしまう馬鹿者や物事の道理の解らない者が増えていて、ゲーム感覚で平気で人を殺したりするでしょう。罪の意識が無いから悪びれていない子供も居るしね。そして国の対応は、規則を厳しくすると言う建前でしか対応しないでしょう。


価値観の基準がラッキーなどとは全く違うと言うことですよ。物質的な価値観で、物事を見て決めていると言うことですよ、臭いものには蓋をしてね。そして最後は多数決で何でも決めてしまうでしょう。脅したりすかしたりしながら。オーム教の話しをテレビで見たんだけれど、無罪を主張している者に対して、罪が無いと思うのならば、なぜ逃げるのかと言っている人が居ましたよ。そりゃー逃げるでしょう。純粋な世の中じゃないんだから、この人は、警察や検察のあり様を知らないのか、ほっかぶりをして居るのか解りませんが。彼らは純粋ですか?どれほどのお粗末をしでかして居るんでしょう、脅迫、ハレンチ、でっちあげは常識の世界の人達ですよ。


権力がすべての世界で暮らして居ると麻痺して来るんですよ。タコが麻痺したら怖いですよ。踊って天にも登りますよ。竜も天に登ると言われて居ますが、タコに掛かったら竜も竜の落し子の様にされちまいますよ。タコは絡みついたらしつこいですから放さないですよ。何を人生の指針にするかは、それぞれの人達の事情で決めるでしょうから、ラッキーが四の五の言っても仕方が無いんですが、小保方さんの一件を見ても、手柄を妬む者達が、完璧を要求しているでしょう。科学者は完璧で無いと駄目だと言わんばかりに、でも、新発見だと言っていたものが、間違いでしたはしょっちゅうの世界でしょう。薬の世界など酷いものですよ、人の命が掛かって居るのに、と、言うより、患者を人体実験に使って居るでしょう。言えば切りが無いから、これくらいにして置きますが・・・


あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v


【ラッキーの一言】最近の質問者は、もはや悟りの世界を質問して来ますから話しを噛み砕くのにアゴが疲れます。


ラッキーでした(^O^)

運命が変わる出会い


運命が変わる出会いは、予測も無く突然にやって来ます。ラッキーの昔話しで恐縮なんですが、明治四十五年生まれの、真面目が背広を着ている様なおっちゃんと出会った時の話しをします。岡山は後楽園の辺りを、カメラを持ってパトロールをして居た時のことです。突然、何を写して知るんですかと、ラッキーの背中の方から声が。はい、ぽっかり浮かんだ白い雲と石の地蔵さんを探して彷徨って居ますと答えると、ニッコリ笑って、わしは、それをニ十五年探して居ますが、未だ出会いませんと、おっしゃる。えっ、ニ十五年ですかと返すと、ニ十五年に成りますと、笑う。



時々姿を見かけますが、何を狙っているのかと思い、声を掛けましたと丁寧な挨拶に恐縮していると、もしも、時間があるのなら行きつけの喫茶店が近くにあるので、お茶でも如何ですかと連れ込まれたのが、マスターが写真を趣味にして居る店でした。その時、この、おっちゃんが亡くなるまでの十三、四年のつき合いに成ろうとは、夢にも思いませんでしたよ。おっちゃんは、同盟通信の支局長をやって居たプロの報道屋でした。若い頃は、文学青年と呼ばれていた知識人で、そんな、おっちゃんが、夜も寝付けないほどの、衝撃的な視点で、事あるごとにやり込められるとは、想像もして居なかったでしょう。でも、運命の出会いでした。どこの馬の骨か解らないラッキーを、ひいきにしてくれて、県展を見に行こうと誘われて一緒に行った時のことです。入口に、写真家の緑川洋一氏が座って居て、おっちゃんを見るや、すっと立ち上がり深々と一礼し、私達に近寄って来て、御無沙汰して居りますと、丁寧な挨拶をするではありませんか。



その時、ラッキーのことを、私の師匠であり、友達ですと紹介してくれるんですよ。緑川氏は、えって、言う顏で、ラッキーに一礼するや。お孫さんかと思いましたと。当然ですよ、五十歳近く歳が違うんですから。その後、緑川氏とも、二三度出会いがあり、プロの視点からの写真の話しを聞くことが出来ました。この頃、緑川氏は、多重露出で瀬戸内海を抽象画の様に写して居ました。そんな写真には、ラッキーは、全然興味はなかったですから、あえて写真の事には触れませんでしたが。趣味が人から人への出会いを演出してくれたことで、この世の不思議と面白さを知りラッキーの運命論の実証のひとつに成ったんです。



ある日、おっちゃんと寄付金の話しをして居て、寄付を売名行為に使うやからが気にいらないと話して居た処に、たまたま居合わせた人が居て、自分は水俣病の弁護をしている者で、話しの腰を折って申し訳ないんですが、寄付のことで一つだけ弁護をさせてくださいと言われ。話しを聞くと、言われていることは、ごもっともなですが、皆さんからの1円の寄付が水俣病で苦しんでいる人達の命を繋いでいることも事実ですと聞かされた一言に、ラッキーは、問答無用で真正面から頭を真っ二つにされた気がしましたよ。しばらく沈黙があり、失礼しましたと、その方は店を後にし。おっちゃんも、一言、ありゃー本物じゃと、つぶやいて帰りました。



店主も、ラッキーさん、今日はやられたなぁーと、一言。ラッキーも、確かに、本物だと思いました。その後、そのことから、命を繋ぐものは銭金ばかりじゃなく、命と命が繋がることで、復興とは元に戻すことでは無く、本人が新しく変わって行くことなんだと気づいたんです。その時の気づきが、昨日の話しに繋がっているんですよ。そして、運命は、人に寄って運ばれて来るもので展開が変わって行くものなんだと言うことも核心したんです。ラッキー、三十五歳位の時です。ラッキー/ありがとう日記に出会い、物の見方、考え方が変わりましたと言うメールも時に頂きますが、それも必然的な命と命の繋がりで、運命なんですね。「命と命が繋がるとは」人と人が繋がると言う意味です。



あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v



【ラッキーの一言】一生の内に、人生の流れを変える出会いが何度か設定されて居ますよ、皆。



ラッキーでした(^O^)








命のあり方


今日の講釈は、昨日の話しの続きの様な話しで、私達に宿っている命についての講釈です。人間は、長生きがしたいと欲張るも、宿っている寿命は気まぐれで不思議ですよ。医者がどんなに手を尽くしても助けられない命があるかと思うと、手を尽くさずに放って置いても永らえる命もある。そして、医者は傲慢な人が多く、若いのは特に。苦労の経験が少ないうえに、知名度が高いからなんでしょう。そんな傲慢なやからでも様々な経験を重ねて行く内に、謙虚に成って行く人も居ますが、医は人術だと認識して実践している医者は、万に一人居るか居ないかと言うのが現実で、人の命を銭金で計って居ますよ。彼らにとっては、患者は家畜で、デイケアーなんかの現場に居る医者などは特に。御不満もありましょうが。



でね、復興と言う大義名分があるでしょう。3.11の問題もそうですが、過去には、沢山の事故や事件が歴史に埋もれて居て、水俣病の問題、カネミ油症の問題なども、人の命をどの様に考えているのかと、考えれば考えるほどに激怒に変わる話しは沢山あり、国の在り方や、企業のありようもそうなんですが、被害者もよく考え、受け止めるべき処は受け止めて、気づか無ければ成らない問題に、命を繋ぐとはどう言うことなのかと言う問題に行きつくんです。ある知識人が、日本人の悪い癖に、元通りにして返してくれと言う癖があり、あれは保証を高くしろと言う駆け引きの方便で、人情としては解るけれど、無理を押しつければ話しが長引くだけで結果は得に繋がらないとおっしゃるんです。



確かにそうなんですが、復興という問題を元に戻りたいと言う感覚で皆さん捉えている気がするんです。元に戻りたい、戻してほしい。その為には、どうしたらいいのかと考える人が多い様に思います。水俣病の問題でも、カネミ油症の問題でも、元の身体を返せと叫んでいる。叫んで座り込みもやるんですが、もう元には戻れないことは冷静に考えれば誰にでも解ることなんだけれど、それ以外に言葉が見つからないのかも知れませんが、ラッキーの見方考え方は、元に戻ることじゃなくて、新しい自分に成ること、新たな人生を歩くことなんだと思うんです。そう言う意味で、復興とは、元に戻すことでは無く、新しい生き方を目指すことだと思うんです。その方向に目を向けなければ進歩は無いんではないでしょうか。



昨日よりも、今日の方が必ず進歩しているんですから。過去を経験として、今日を生きることなんだと思うんです。実は、それ以外の生き方は出来ないんですよ。命は銭金と共鳴しているんでは無くて、命は命と共鳴し合って繋がって居て、命の波動が生かし合って私達は生かされて居て、命と命が繋がったことを絆と言い、自分が主役じゃないことに気づき、生まれ変わりながら生かされて生きているんだと悟った人が往生した人で、往生とはグリコの看板では無いんですよ。・・・これが命のあり方だとラッキーは思っているんですが、皆さんの思いは如何でしょう。・・・・



あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v



【ラッキーの一言】出会いが運命を左右していることは事実で、生きるとは自分が変わって行くことで、元に戻ることではない。



ラッキーでした(^O^)