司馬先生「花神」21…目的未達だが終わる

しかしな…花神を読んで蔵六が世に出たわけを読み取ろうとしたのが始まり

だったが…何もつかめてない。凡夫よのぅ…私は…てな。

天の采配でこうなったのは理解するが、それとは別に分かりたい…と思い

熱心に花神を読んで、合理的だとか技術者だとか理解しやすいことを抜粋

してはきたが…我ながら浅いな。あぁ絶望的に頭と精神がダメダメだな。

だけど最後を目指して無い知恵絞って何かしらつかみたい。先生の書いたこと

とは別の認識を持ちたい…

下巻p469 蔵六は自分で出した数学的正解を自ら頑固に守っていく性格と

書いてある。戦に勝つために必要な武器弾薬の数を精度よくだしていくんだろうが

なんでそれがことごとく当たるのか…それが軍事的才能で簡単にくくられても

凡夫にはわからない。それとその計画を揺らがず通す力はなんだろう?

それも軍事的才能の枠に中にあるのか…

 

西郷は当時の衆望を全部持った人だろうことは他の人の書いた話でも

そう理解しているが、そんな巨人がなぜ無名の蔵六に従ったのか…

巨人だからこそ見抜いた、なにかがあったんだろうが凡夫にはわからない。

蔵六に任せて負けた場合、蔵六が司令官的立場から離脱することになるが

まだ薩摩の力で押し返せると思っていたのか…浅はかな凡夫ではわかりようがない

 

越後では新式銃を揃えて抵抗している河合継之助率いる長岡藩に苦戦をしいられて

いて、西郷は身分を捨て一隊長として戦場に行く。蔵六はそれを不要としたが

西郷は強行した。

蔵六はp476「西郷は偉大である。しかし新国家はこれ(西郷)を統御できない

いずれ乱を起こす」蔵六は西郷の何をもって統御できないと思ったのか、

何をもって乱を起こすと思ったのか…人望がありすぎて、また人望が好きすぎて

謀反人に担がれると思ったのか…わかりたい…が、無理。

西郷のことを書いた先生の「とぶが如く」で結果担がれたことになるんだが

担いでほしい欲求もあったんだろうな。

p489 先生は言われる。蔵六は優れた数学的論理家だったが、どういう芸術家

より卓越した直感力そなわっていた…と。直感力か…それを確信する出来事が

人生で何度もあったんだろうな。それの回を重ねるごとに自信を持って行ったん

だろうな。でもそれも天性。

蔵六は突如時代の前面に出てきた。長州の人材払底が原因で小五郎の推挙で

長州代表のような立場で出てきた。しかし無口で不愛想で笑顔なく、とても

雑居状態の官軍で高位置につく人間らしからぬ人柄だった。特技は計画した

戦にかならず計画通りの勝利を収めてきたことだった。でもな多くの人の

トップに立つ柄ではない気がするが実績からは認めざるを得ないんだろうな。

今の日本のどっかにいる。近い将来日本は厳しい災難が来ると思うが

どっかに蔵六のような人がいて、一般には知られない位置で国家を救う人が

いると思いたい。

 

蔵六のやりたいことってなんだったんだろうと考えた。

いややりたいことではなく、自分の使命を自覚したのか…

それは時代を変えること…いやそんな言葉で表現しちゃいけない、それで

わかった気になってはいけない気がする。日本を外国の植民地にされないことか。

そのためには一国をまとめなけりゃ当然できない。その国家像は蘭学で学んだ

欧米国家がモデルなんだろうう。そしてその第1段階が倒幕。

他の多くの志士は倒幕がゴールだと思い込んでいたのでは?

多分その先のことは考えてない。しかし蔵六はそこまで考えるのが仕事だと

思っていたのでは?その構想だとほとんどの日本人がそれに従うと考えたんだろうが

唯一薩摩は独特な文化・考えを持っていて、それの代表として人望熱い西郷を

押し上げている。それに危険を感じたから「いずれ西から謀反を起こす」と

言ったんだろう…が…でもな薩摩独特の考え方での日本の姿って危険なのか

何をもってそうなのかがわからない。

p493 先生がその答えに近いものを書いている。

西郷の人格的影響下で生死を誓っている薩摩人が奇異であると。これを凡夫が

解析すると事の善悪とは全く別に西郷が言うから、そうするのみって連中が

危険と言ってるの…か?浅い理解か…さらに西郷個人に頼ってるため西郷亡き

後、この狂気集団が国家を破滅させると思ったのか…あぁわかりたい。

 

最後はどう終わっていいのかわからない。天才、合理主義…そんな事ではない。

天からの使命を帯びてきた。それは確かなんだが…結局私の目的は果たせなかった。

混迷する世界状況の中で日本が残っていくために、こういう人が必要で、今の

日本にいるのか不安だが、凡夫にわかるはずもない。

ただ最後に人の死に方は学んだ。越後の河合継之助が「犬死でいい」と言ったのと

同様に蔵六も「生きているのは一時の方便」と言った。この二つを私は同じ意味と

捉えていて、自分もそうありたいと願っている。

災害や戦争で困窮しても見苦しく他人のものを奪わず、座して死を待つ心構えで

行きたい。蔵六が出現したわけで始まったこれが私の死に対する心構えで終わるのは

違う事であるが、やむを得ない。死に臨む覚悟を持つよう努力したい。