司馬先生「花神」その1

司馬先生の花神 これも人生何度か読んだが…私は何もつかめなかったな。

なんでこんな低能なのか。

今回人生最後の花神を読むが、河合継之助のことを書いた「峠」では

「犬死」でいいということを学んだ、覚悟した。花神でも何かつかみたいな。

 

では思いつくまま拾い書きする。

「花神」は長州の村田蔵六のちの大村益次郎のことを書いている。

が、まず福沢諭吉のことから。

上巻p412近辺 諭吉は当時日本有数の蘭学の達人だったそうだが

江戸へ出て、繁盛する横浜へ行った。横浜は開港当初で外人の商店が多くあったが、その看板を諭吉は

全く読めなかったとのこと。理由はオランダ語ではなく、英語だったから。

ここで先生は諭吉にこう言わしている。

「江戸の蘭学の大家どもはなにをしているのだ」と。

要は日本では欧州文明を学ぶのに蘭学をやっていたが、どうやら世界の中心は「英語」のよう。

それも江戸と目と鼻の先の横浜でそれが確認できるのに誰もやっていない。

これ大事なことだと思う。我々の周りでもすでに次代の主流があるのに、その重要性に気づかず

ほっておいてるものがある気がする。それがなんだかつかみたい。

若い人は何か感じてないか。ネットやSNSではなく、何か…

 

p433

「開国が正義で攘夷は正義ではない」

意味は鎖国をやめて海外と付き合う事を開国といい、攘夷は外国を討払う事。

この時期日本中が「攘夷」であって、開国(開明とも言う)

は中々にできるものではなかった。

で、冒頭の言葉、これを幕府の中で公言できるものはついに出なかったと

書いてある。さらに先生は「開明という現実主義と攘夷という非現実主義の

戦いはこの時期だけではなく、日本の体質的な持病」と書かれている。

今年2025年 これを読んでハッとしたことがある。

我々は現実と向かい合っていないことが実に多い気がする。

課題の根本原因にわかっているのに触れずにいることも多々あると思う。

例えば今年戦後80年ということで連日テレビで戦争反対と言う人を多く見る。

それはいいと思うが、どうにも上っ面な気がしていた。

戦争反対はいいが、攻められたらどうするの?ということに突っ込んだ話は

出てきたことがない。現に世界はウクライナ、ガザをはじめ多くの難題が

現実にあり、日本も近隣に問題の多い国を抱えている。これは現実なんだな。

しかし戦争反対だけで止まって根本課題に向き合おうとしない。

ゴミ問題もそう。多くの団体やイベンターがゴミ拾いをしててテレビで

取り上げられて鼻高々に「私たちいいことしてる」って態でいるが

ゴミ問題の根本原因は「不法投棄」している連中なんだが、それらには

触れない。厄介だからだ。根本原因解決に向き合わないなら「いい事してる」

って態で自慢げに話されても私は腹落ちしないんだな。

「峠」で触れたが、何かを決めるということは何かを犠牲にすることなんだな。

八方いい事はないんだな。犠牲は必ず出る。それを私も含め皆恐れる。

恐れるからやらない。結果、問題の先送りでいずれ噴火する。

だから勇気ある人が本物なんだな。