司馬先生「アメリカ素描」その3アメリカの恩

このブログはだれ一人見てないから誰のために書いてるかと問うと

まぎれもなく自分のためである。

自分の頭にある、心にあることを書き残し、忘れたころに再読して

「あぁそう思ってたのか」と感慨にふけることだ。

しかしだれか見る人のために老害の知ってる事を残しておきたい。

 

今回はアメリカからの恩を書いてみる。

幕末有名なジョン万次郎のこと。

万次郎は14歳の時漂流しているところをアメリカの捕鯨船に救われた。

そして艦長の無償の行為で養育され、バートレット校

(何の学校か調べてない)に進み、数学、測量術、航海術を学ばせてもらう。

日本人でこんな行為する人いるのかな。アメリカ人の度量の大きさに感謝。

 

1906年サンフランシスコで大地震があり、日本から義援金を24万ドルを送った。

これが当時の価値で良かったのか私はわからないが、この額は世界からの募金の

総額より多かったとのこと。一方1923年の関東大震災のときアメリカが送って

くれた義援金は1200万ドルだったとのこと。

大きな金額を送ってくれたアメリカに感謝。

 

小村寿太郎(1855~1911)の言葉によるとこの小さな自分を米国の教師も

学生も軽蔑しなかったとのこと。米国人の魂は真正の武士である。

弱い物を愛してやる。彼らの魂は名誉と義侠心の念に満ちているって。

えらいもんだな。ただし日系移民は米国西部では同時期激しい排斥を

受けている。この違いはまぁ余裕と名誉ある人品のある人たちは他人に

寛容だし、食うのも大変な人たちは当然迫害するわな。

 

品質管理 p289

私は製造業に身を置いていたから品質管理は仕事として関わってなかったが

言葉としては知っていた。

工業製品において品質管理は重要であり、必須である。

100個の製品が100個とも同じ性能・耐久性がなくてはならない。

その為に寸法や材料の諸データ(強度・耐久…)は管理されている。

しかしその考え方のもとはなんだったかは考えたこともなかった。

先生のここにそれが紹介されている。

元はアメリカで第二対戦下の軍の指導だったとのこと

もっと昔から例えばスイスの時計やドイツのカメラそして日本の職人にも

その思想はあったとのこと。しかしそれらは個々の情熱や自負心や技りょうに

依存した文化的なレベルで受け継がれていった。

アメリカはそれを文明化した。普遍化したとのこと。

それが1956年に日本に伝わり、QCサークルとして基本的性格となった。

いや誠にアメリカには感謝だな。QCは大切なことだからな。

 

経済成長

知識もない私見だが私の可視範囲は1980年代からだがよく聞いたことが

日本人は勤勉だから成功したとかアメリカは物つくりが劣っているから

日本製品は売れるとか奇跡の戦後復興は日本人の勤勉さとか

様々なことを耳にした。

偉い人が言うんだからそれはそうだろうが、もう一個付け加えたい。

日本が戦後復興できた理由の一つに買ってくれる市場があったということ。

アメリカがその市場を提供してくれたからだということ。

どんな高性能の製品を作っても、市場がなければ売れない。

それをアメリカが提供してくれたこと。それに感謝する言葉は知ってる限り

聞いたことがない。恩を感じなきゃな。

アメリカに感謝。よく言われるアメリカは神に選ばれた国というのは

本当だと思うな。

これからもアメリカを立てつつ競争しながら両国が生きていければ最良

なんだがな。

 

ポーツマス条約

1905年日露戦争の終結に向けた交渉がアメリカの仲介でポーツマスで

行われた。アメリカのセオドアローズベルト大統領が仲介の労を取ってくれた。

ここ大事。戦争終結の仲介者が居てくれたこと、当然と思ってはいけない。

ここでもアメリカに感謝。なぜローズベルト氏がその役になってくれたかというと

元々ローズベルト氏は日本の新渡戸稲造の著書「武士道」の読者で日本に関心が

あったこと。またハーバード大学時代の同窓生に金子堅太郎(1853~1942)

がいたこと。(金子は伊藤博文の秘書官)というかぼそいつながりだけだった。

これ天祐だな。

あぁアメリカに感謝。日本と永遠に仲良くしてください。