司馬先生「峠」いつも必要なのは覚悟
司馬先生の「峠」中巻p497
継之助のもとに会津藩から会合の打診があった。
鳥羽伏見の幕軍敗戦後、官軍が江戸に迫りくる中で佐幕藩というか
倒幕活動に乗り損ねた北陸・東北の藩をまとめて戦力にしたい会津・桑名藩
が招集をかけた。
越後長岡藩家老である河合継之助の家来三間市之進が
「たれか、ゆかねばなりませんな」と言う。
慣習ではこういう大事なところへは決定権を持たぬ者が行くのだが
継之助は自分が行くと言う。周囲は反対したが
今まで諸藩は事なかれ主義で来た。責任をとらばきゃいけないことは
一切避けてきた。これからはおのれの考えと力で生きていかねばならぬ
と言う。
現代の会社でも同じだな。親会社の言うとおりに仕事をしただけでは
いざというときに何もできず、倒産の憂き目にあうんだな。
常時危機意識を持って、自分の考えと覚悟を持っておかなきゃいけない。
しかしほとんどの人には無理なんだな。
会合には諸藩から70人ほどが集まっていた。
会合が始まるのは司会が声を出して説明するのではなく、回状がまわってくる。
誰も発言はしないが私語は多い。司馬先生によると当時の習慣として
大勢を前にしての演説というのはなかったためとのこと。
継之助は発言する。戦う場合の作戦を言った。政治で負けていることも言った。
要は一致団結できるか否かを言う。死ぬ覚悟の有無を言う。
しかしどの藩もぬるい質問しかしない。
会津の秋月悌二朗が継之助に「こうもまとまらないのでは…」と言う。
継之助は「もとから藩の意見なんてないんだ。要は覚悟なんだ」
以下は私の文章
会津と桑名はすでに薩長と和睦できない過去がある。
またこの2藩で官軍と戦うには力不足。よって東北諸藩に味方になってほしい。
そのための会合なのだが、どの藩も煮え切らない。
覚悟なんか求める以前に自分の藩の軍事力(装備・兵数・兵糧・城)が
薩長と戦えるか否かも計算してない。また藩主を始めとした家臣の腹が
どうなってるかも不明であるし、元々時勢への考えももっていない。
だから継之助の言う「覚悟」がわかってないレベルの低さ。
現代の我々でもやはり常時緊張し、時勢に目を向け、いざという時の
行動をどうするかを考えてなきゃいけないな。いつも覚悟だな。
継之助はこの無意味な会合から去る。自藩の国境は守ると言って去る。
そのために装備を最新にしてきたんだから自信はあるわけだ。
勝つとか負けるではなく、戦う姿勢を見せるために。
この姿勢=覚悟が大事なんだな。負けても敵は一目おくな。
いつも必要なことは「覚悟」なんだな。
覚悟がまずあって、冷静に状況を分析する。敵の規模、装備、士気、兵糧
それらの運搬方法、味方の考え方、利点と欠点、装備等々。
そして自分らが「どうすべきか」これは原理原則に従って決める。
自分一人ならこれらはできることだが、組織のトップとなると絶望的に
困難。ほとんどが事なかれ主義だから。
あぁどうなるのかな日本。政治家に覚悟のある人は多くいると思うが
凡夫の国民に理解させるのは無理だしな。
でもまずは覚悟だな。