司馬先生「峠」河合継之助 犬死する覚悟
司馬先生の小説を読んで幾十年…まだまだ気づかぬ事がある。
峠も人生で何回か読んだが、新たな発見があった。
歳とともに司馬先生のすごさがわかるな。
文庫本峠の中のp23に書いてある。
「おれの日々の目的は、日々いつでも犬死ができる人間たろうとしている。
死を飾り、死を意義あらしめようとする人間は単に虚栄の徒であり
いざとなれば死ねぬ。人間は朝に夕に犬死の覚悟をあらたにしつつ、
生きる意義を考える者がえらい」
いや、恐れ入った。今まで何度も峠を読んでいて気づかずスルーしていた。
これは無論司馬先生が継之助を書くにあたり調べた結果、
こういう考えの人として設定したんだろう。いや恐れ入った。
さてまず「犬死」とは何か…過去数多の小説を読んでいて犬死とは例えば
名の通った武士がド百姓とか軽輩の者に討たれることや戦場ではない所で
無意味に死すること、現代なら通り魔にあって死ぬとかと思っていた。
改めてネットで調べると
①何の役にも立たない死に方
②志し半場で死ぬこと…とある。私の理解で概ね良しとする。
俺がなんでここに着目したのか…考えてみると…
60過ぎてから俺は「どうやって死ぬか」を考えていた。
多分病気で死ぬんだろうが、身内や他人に面倒をかける死に方を恐れていた。
そして見苦しくなく、死にたいと願っていた。
また司馬先生と池波先生を長年愛読した俺は「どう生きるか」も
常に考えさせられる問題だった。
どう生きるか…
①死ぬべき時に死ねる生き方⇒赤穂の四十七士のように。
②潔くよい生き方⇒赤穂浪士や戦国時代の敗将のように。
③周囲に迷惑をかけない生き方⇒俺の両親のように。
こんなところか…
①は後日別に語るとして②は60歳で潔く会社をやめたことで一つの達成を見た。
で、死に方だが…これは悩んでいた。ブザマな死に方はしたくない
一体どうやって?自らに問いかけ、答えを得ずに日々を送っていた。
その際、「犬死」という、悪いイメージの文言に気づいて、俺は「これだ!」
と思った。犬死でいい、俺もそれでいい、所詮無名の「その他大勢」なんだから
それらしく死ねばいい、それが犬死だわ。
司馬先生のおかげでいい事知った。
※以上を何度も読んだが、俺の言いたいことを文章化できてない。
いずれまた書くことにする。