≪ 今日の暦 ≫
 
 
1月30日(月)
 
庚寅 かのえ・とら
 
九紫火気 きゅうし・かき
 
友引 ともびき
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
≪今日の凶殺方位≫
 
 
日破殺 申【南西】六白
 
暗剣殺 離【南】四緑
 
五黄殺 坎【北】五黄
 
定位対冲 震【東】七赤
 
 
※凶殺方位は、どなたさまにとっても悪い方位となりますのでお出掛けの際には十分ご注意下さい。
 
また、この方位に向かっての約束事などは良い結果に至りませんので避けて無難です。

 
 
起こりうる現象は?
 
PC http://www.yunmu.info/
 
Mobile http://www.yunmu.info/m/
 
有料会員専用サイト
 http://yunmu.jp/member/wordpress/
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
≪あなたの今日の運勢は?≫
 
 ◎◎攻めも守りも好調
 ◎ 攻めて順調
 ○ 守って無難
 △ 謙虚な姿勢で穏やかに
 ▲ おとなしく明日に期待
 ▲▲休養第一早めの就寝を
 
 
一白水星▲▲
 
自分勝手な判断で相手のせいにすれば手痛いしっぺ返しを食らう。
 
 
二黒土星◎
 
仲間や組織内の停滞中の問題に着手して改善を図れば収穫あり。
 
 
三碧木星◎
 
思い付きでの言動が好結果に。上司や目上を頼らず動いて◎。
 
 
四緑木星▲▲▲
 
諸事において拗れ易く対応に悩む。飲食の誘いも断って無難。
 
 
五黄土星◎◎
 
過去の反省と癒しを優先して◎。仲間から良い情報が舞い込む。
 
 
六白金星▲
 
人目を引こうと虚言を吐けば嘘吐きのレッテルを貼られる注意。
 
 
七赤金星○
 
勘違いからミス連発。目下からの提案に添って無難に解決を。
 
 
八白土星○
 
欲望に任せて動けば噂の人に。陰で支えてくれる人に感謝を。
 
 
九紫火星○
 
根拠の無い自信は敵を作る因に。若者の意見を聞き入れて無難。
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 

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≪今日の読み物≫
 
「水沢黒石寺蘇民祭」
 
妙見山「黒石寺」(こくせきじ)は、聖武天皇天平元年(729)奈良法相宗「薬師寺」五代・行基和尚が東奥に行化してこの地に至り、渓山の幽秀を喜んで一堂宇を造り、薬師如来像を一刀三礼のもとに手刻安置し、翌年に「東光山薬師寺」と号して開山しました。
 
 
「裸祭り」は、災厄を払い五穀豊穣を願う裸参りのこと。梵鐘の合図で、祈願者、厄年の善男善女が、手に角燈や割竹にはさんだ「浄飯米」(おはんねり)を持ち、身を切る清烈な「瑠璃壺川」(山内川)に入って「水垢離」(みずごり)をしたあと「ジャッソー、ジョヤサ」の掛け声とともに本堂、妙見堂を三巡します

 
 
旧暦8日の午前5時に始まる「蘇民袋争奪戦」が見どころ。下帯姿の男たちが、厄除けの護符・蘇民将来を入れた蘇民袋を奪い合います。
 
 
蘇民袋の中には「小間木」と呼ばれる疫病の護符が入っています。将軍木(かつのき)を削った六方形には「蘇民将来子孫門戸☆」の九文字が書かれ、寸角に切ったもの。やがて小刀で袋が裂かれ、中の小間木がこぼれ落ち、集った善男善女はその小間木を拾ってお守りとします。
 
 
裸の男たちはさらに空になった袋の争奪戦をくり広げ、境内の外になだれ出て明け方まで激しい取り合いを続けます。最後に袋の首の部分を握っていたものが「取主」(とりぬし)となって争奪戦は終了します。
 
 
境内を出た集団が東に向かうか、西に向かうか、どちらの集団が凱歌を上げるかによって、その年どちらの土地が豊作になるかが決まる、という占いの要素も持っています。
 
 
黒石寺◇岩手県奥州市水沢区黒石町字山内17
 
◇JR「水沢江刺駅」車15分
◇東北道「平泉前沢IC」20分
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
「松山椿祭」
 
「立春に近い上弦の月の初期」と月齢を定められている春祭「椿まつり」は、「椿神社」で行わる祭りです。一般的に「椿まつり」「お椿さん」「お八日(おようか)」と呼ばれ親しまれています。
 
 
椿神社の正式名称は「伊豫豆比古命神社」(いよずひこのみこと じんじゃ)。御祭神は、伊豫豆比古命、伊豫豆比売命、伊予主命(いよぬしのみこと)、愛比売命(えひめのみこと)。
 
 
御鎮座は二千余年の古くより、江戸時代には松山藩主・久松氏の篤い崇敬を受けました。縁起開運・商売繁昌の神様として全国から崇敬を集めます。
 
 
立春に近い上弦の月の初期は、冬の厳しい寒さも峠を越し、物の芽が動き始める頃。農閑期も終りを告げ、椿まつりの後は「田起し・播種」を始める慣習が、愛媛県をはじめ四国各地にあることから「伊予路に春を呼ぶまつり」として大切にされてきました。
 
 
椿まつりは、初日午前0時の大太鼓から始まり、最終日24時迄の72時間、昼夜を徹して行われます。その昔、祈りを捧げた後には、大きな椿の樹の下で山村で採れた「山の幸と海の幸」をやりとりする物々交換の市が立ち、情報交換をする場でもあったようです。
 
 
期間中は数十万人が参拝する四国一の大祭です。特殊神事として「貸銭神事」「お忍びの渡御」「合せ火」が行われます。
 
 
貸銭神事は、神社から「守り金(20円)」を借り、翌年に倍額にして返すという珍しい行事です。誰でも無条件で借りることができ、一年の間、生業に励み、少しでも多くお返しできるように頑張ることを約束する意味があるといわれます。
 
 
伊豫豆比古命神社◇愛媛県松山市居相2丁目2-1
 
 
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≪今日の読み物≫
 
「初不動」
 
毎月28日は「不動の縁日」です。1月28日は、その年の最初の縁日で「初不動」と呼ばれ賑わいます。
 
 
不動とは「不動明王」(ふどうみょうおう)のことで、密教特有の尊格である「明王」の一つ。大日如来の化身あるいはその内証を表現したものです。
 
 
「お不動さん」の名で親しまれ、「大日大聖不動明王」(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、「無動明王」「無動尊」「不動尊」などとも呼ばれます。
 
 
堅固で不動の菩提心の威力によって、種々の煩悩や障害を焼き払い、悪魔や迷いのすべてを抑え静め、菩提を成就させ、長寿を得させるといわれ、如来の使者として真言行者の護持にあたります。
 
 
色黒き顔は忿怒の相を現し、目を怒らせ、両牙を咬み、右手に降魔の剣を、左手に縛の縄(羂索)を持ち、火炎光背を背にして、岩石の上に座る姿は、いっさいの悪魔・煩悩を降伏させんがためです。
 
 
初不動で焚く護摩を「初護摩」といいます。延暦寺明王堂、成田山、目黒不動尊、深川不動尊などが有名です。
 
 
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「奈良若草山焼き」
 
奈良「若草山」は、標高342m、3つの山が重なっていることから「三笠山」とも呼ばれます。若草山の山焼きの行事は、山に火を入れ山全体を燃やしてしまうという古都・奈良の新年を飾る炎の祭礼です。
 
 
山焼きの起源については、東大寺と興福寺の境界争いを水に流すために行われたとか、山上にある鴬塚(古墳)の霊を慰めるために行われるとか、諸説あるものの現在は害虫を除き、わらびやすすきなどの草の芽をよくする目的で行われています。
 
 
午後6時、市内のネオンが消され、打ち上げ花火と消防団員の鳴らす火付けラッパを合図に、白頭巾に黒装束の僧兵が一斉に山麓に点火します。
 
 
開催地◇奈良県奈良市、若草山
 
 
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≪今日の読み物≫
 
「国旗制定記念日」
 
日本の国旗は、一般的には「日の丸」と呼ばれますが、法律上は「日章旗」(にっしょうき)と呼びます。
 
 
国旗及び国歌に関する法律(平成11年8月13日公布・即日施行)では、第1条「国旗は日章旗とする」第2条「国歌は君が代とする」とあります。規定では旗の形は縦が横の3分の2の長方形。日章の直径は、縦の5分の3で中心は旗の中心。色は、地は白色、日章は紅色とされています。
 
 
聖徳太子が遣隋使に託した文書に、自国を「日出ずる国」とする考え方があり、赤い日の丸は日の出の太陽を象徴します。また、国名の「日本・日ノ本」からも太陽(日の出)を意識し「日が昇る」という現象を大切にしていたことがうかがえます。
 
 
紅白は日本の伝統色で「めでたいもの」とされており、「赤」は博愛と活力、「白」は神聖と純潔を意味するとも言われています。因みに「あか(赤)」の語源は「あかし(明し・あかるい)」と同源。
 
  
しかし、世界的歴史的に太陽が赤で描かれることは珍しく、太陽は黄色または金色、それに対して月は白色または銀色で現すのが一般的で、日本でも古代から赤い真円で太陽を表すことが一般的であったというわけでありません。様々な表現が原型となって、白地赤丸の日章旗が生まれたと考えるのが妥当でしょう。
 
 
明治3年(1870)1月27日制定の太政官布告第57号郵船商船規則(商船規則)に基づき、日本船の目印として採用されました。規格は縦横比は7対10。日章は旗の中心から旗竿側に横の長さの100分の1ずれた位置とされていました。以後、日章旗は国旗としても扱われるようになりましたが、法的な裏付けはありませんでした。
 
 
昭和20年(1945)連合国軍総司令部の指令により日章旗の掲揚が原則禁止されました。この間、商船旗としては国際信号旗のE旗に基づいた旗で代用。祝日に限定した特例としての日章旗掲揚許可を経て、昭和24年(1949)より日章旗の自由掲揚が認められました。
 
 
1990年代末から学校の式典等における日章旗掲揚に係わる問題が頻発し、掲揚に反発する教職員とのトラブルから高校校長に自殺者が出るに至る。平成11年(1999)国旗国歌法が公布され、正式に国旗として定められました。
 
 
しかし、大多数の日本国民は国旗国歌法の制定前から日章旗を国旗として受け入れていました。日章旗は、1945年から1972年までのアメリカ軍統治時代には多くの住民のあいだで日本復帰を求める象徴でしたが、日本復帰後には一転して第二次世界大戦中の悲劇を象徴するものとして憎悪する傾向が現れたのも事実です。
 
 
この日、国旗掲揚して制定記念を祝います。国旗は原則として日の出から日没まで掲揚します。屋外で国旗のみを掲揚する場合は、門の内側から見て右側、門の外側から見て左側に掲揚します。国旗は常に旗竿の最上部に接して掲揚されなければなりません。
 
 
日本国旗と外国旗を併揚する場合、原則として自国国旗に最優先権が与えられますが、日本では特に外国に敬意を表す意味から外国旗を上位(向って左側)に掲げています。
 
 
3カ国の場合は通常日本国旗を中央に、外国旗は国連方式によるアルファベット順に従って先順位の外国旗を日本国旗の向って左側に、他の1国の外国旗を右側に配置します。
 
 
4カ国以上の国旗を並揚する場合は、アルファベット順方式と日本国旗中央方式の二つがあります。
 
  
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「小田原道了尊大祭」
 
曹洞宗大雄山「最乗寺」(さいじょうじ)は、全国に4千余の門流を持つ寺院です。本尊に「釈迦牟尼仏」、脇侍仏として「文殊菩薩・普賢菩薩」を奉安する修行道場で、6百年の歴史を持つ関東の霊場として知られます。
 
 
応永8年(1401)「了庵慧明」(りょうあんえみょう)によって開山され、東国における通幻派の拠点となりました。
 
 
「了庵慧明禅師」(りょうあんえみょうぜんじ)は、相模国大住郡糟谷の庄(現在の伊勢原市)生まれ。地頭の職にあった了庵は、戦国乱世の虚しさを感じ、鎌倉の「不聞禅師」に就て出家。能登總持寺、永沢寺、近江總寧寺、越前龍泉寺、能登妙高庵寺など、通幻禅師の後席すべてに住持し、「大本山總持寺」に輪往。50才半ば相模国に帰り、曽我の里に竺土庵を結びます。
 
 
ある日、一羽の大鷲が禅師の袈裟を掴んで足柄の山中に飛び、大松の枝に掛けるという奇端を現じました。この啓示によって山中に大寺を建立し「大雄山最乗寺」と号しました。
 
 
「道了尊大祭」は、正月・五月・九月の大祭の月27、28日の両日に行われます。
 
大雄山最乗寺◇神奈川県南足柄市大雄町1157
 
◇伊豆箱根鉄道大雄山線「大雄山駅」バス約10分
 
 
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≪今日の読み物≫
 
「文化財防火デー」
 
昭和24年1月26日、現存する世界最古の木造建造物「法隆寺金堂」から出火し、世界有数の壁画を焼失しました。この事件を契機として昭和30年に「文化財防火デー」が設けられました。
 
 
また、災害による文化財保護の危機を深く憂慮する世論の高まりを受け、翌昭和25年には「文化財保護法」が制定されました。
 
 
毎年この日を中心に、消防庁・文化財保護委員会・都道府県・市町村などの指導のもと、文化財の所有者・管理者・消防機関などによって「文化財防火運動」が実施されています。
 
 
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「道元禅師誕生会」
 
曹洞宗の開祖「道元」(どうげん)は、鎌倉時代初期の禅僧。宗内では「高祖」と尊称され、一般には「道元禅師」(どうげんぜんじ)と呼ばれます。晩年に希玄という異称も用いていました。日本に歯磨き洗面、食事の作法や掃除の習慣を広めたといわれます。
 
 
俗性源氏、村上天皇九代の後胤(こういん)内大臣「久我通親」(こが みちちか)公を父とし、摂政松殿(藤原基房・ふじわらもとふさ)公の娘を母として、正治2年(1200)1月2日京都に誕生。3歳で父を失い、8歳で母の亡に逢い、世の無常を感じて13歳の春に比叡山横川般若谷に出家しました。
 
 
真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと渡宋。天童山景徳寺の「如浄禅師」に入門し修行。南無釈迦牟尼仏として釈迦を本尊と仰ぎ、ひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐」(しかんたざ)の修行に打ち込み、天童如浄より印可を受け、4年余の滞在を終えて帰国。
 
 
日本へ戻った道元は「建仁寺」に住し、のちに深草に「興聖寺」を建立して説法と著述に励みます。「白山信仰」に関連する「吉峰寺」(天台寺院)に移り、ひと冬を過ごしますが、翌年には里に近い土地に「傘松峰大仏寺」を建立。これが「永平寺」の開創で、寛元4年(1246)に山号寺号を「吉祥山永平寺」と改めました。
 
 
この日、曹洞宗では高祖道元の誕生会が行われます。
 
永平寺◇福井県永平寺町志比5-15
總持寺◇神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1
 
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「天理教本部春季大祭」
 
「天理教」(てんりきょう)は、日本の新宗教の一つで、「親神天理王命」(てんりおうのみこと)を崇拝の対象とします。
 
 
教祖・中山みきは、40歳の時に親神天理王命が天降りて憑依し、中山みきが親神のやしろと定まり、その口を通して親神の意志が伝えられました。天理教はこの日を立教の元一日と定めています。
 
 
明治18年、教祖78歳の時、人類発祥の場所「ぢば」が示されました。これを「ぢば定め」と呼びます。神道本局から神道直轄六等教会設立認可。「神道天理教会」として布教が公認され、平成19年には、教祖120年祭を迎えました。
 
 
教祖が、子供である人間を助けたいという親心から定命を25年も縮めて身を隠したといわれる明治20年(1887)陰暦正月26日を偲び、春季大祭が行われます。祭典が執り行われ人類の故郷「ぢば」には、この日をめざして教祖を慕う多くの人々が集います。
 
 
天理教本部◇奈良県天理市三島町271番地
 
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≪今日の読み物≫
 
「初天神」
 
毎月25日は、菅原道真の命日にちなむ「天満宮の縁日」です。その年の初めの25日を「初天神」と呼び、新春の参拝者で賑わいます。
 
 
天神は文字通り「天の神」(アマツカミ)で、天変地異を支配する神が天神とされ、雷電鳴動はその神威であると考えられていました。
 
 
非業の死を遂げた人の怨霊が天に響いて雷電を起こすと考えられ、この天神と御霊神が結びつき、菅原道真の代名詞となりました。
 
 
菅原道真は学問の神様としても有名です。
 
 
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「東京亀戸天神うそ替え」
 
「亀戸天神社」(かめいどてんじんしゃ)は、菅原道真を祀る天満宮です。通称、亀戸天神、亀戸天満宮、東宰府天満宮。
 
 
正保年間(1646)菅原道真の末裔で九州の太宰府天満宮の神官・菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため諸国を巡ったところ、江戸の本所亀戸村に辿り着き、村に元々あった天神の小さな祠に、道真ゆかりの飛梅で彫った「天神像」を奉祀したのが始まりです。
 
 
当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は、復興開発事業の地として本所の町を定め、四代将軍・徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進しました。寛文2年(1662)地形から社殿、楼門、回廊、心字池、太鼓橋など、九州の太宰天満宮にならい造営されました。
 
 
総本社「太宰府天満宮」に対し、東の宰府として「東宰府天満宮」、また、「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されましたが、明治6年(1873)、府社となり「亀戸神社」、昭和11年(1936)には現在の「亀戸天神社」となりました。
 
 
「鷽替神事」(うそかえしんじ)は、例年1月24~25日に執り行われます。
 
「鷽」(うそ)は「幸運を招く鳥」とされ、毎年新しいうそ鳥に替えると、これまでの悪い事が「うそ」になって一年の吉兆を招き、開運・出世・幸運を得ることができるという。江戸時代には、多くの人が集まってうそ鳥を交換する習わしがありました。現在は、神社に納めて新しいうそ鳥と取替えます。
 
 
うそ鳥は、日本海沿岸に生息するスズメ科の鳥。太宰府天満宮の祭りの時、害虫を駆除した鳥ということで天神様と縁があります。また、「鷽」の字が「學」(がく)の字に似てることから、学問の神様である天神様との繋がりが深いと考えられます。
 
 
両日、縁起物「木彫りの鷽」が授与されます。「去年の悪(あ)しきはうそ(鷽)となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」
 
 
亀戸天神社◇江東区亀戸3丁目6番1号
 
 
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「法然上人忌」
 
「法然」(ほうねん)は平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧侶で、浄土宗の開祖。円光大師とも。
 
 
法然は房号で、諱(いみな)を「源空」(げんくう)といいます。幼名は勢至丸。浄土真宗七高僧の一人。建暦2年(1212)1月25日没(御歳80)。
 
 
浄土宗では、その恩恵を偲んで法会が営まれます。法然上人の法要を「御忌(ぎょき)」と呼び、報恩感謝の「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えます。
 
 
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