≪今日の読み物≫
 
「建国記念の日」「奈良橿原神宮例祭」「紀元節」
 
「建国記念の日」は、国民の祝日のひとつで、「建国をしのび、国を愛する心を養う」のを法定の趣旨とし、昭和41年に制定されました。
 
 
かつて、この日は「紀元節」(きげんせつ)という祝日でした。日本書紀で神武天皇即位の日とする皇紀元年「辛酉年春正月庚辰朔」(紀元前660年正月1日)が、新暦(太陽暦)の2月11日にあたるとして、明治5年12月に制定されました。
 
 
しかし、戦後にこの祝日は消えます。理由は日本国憲法の精神にそぐわないからとか。昭和26年頃から復活の動きが起こり、昭和41年に敬老の日と体育の日とともに、国民の祝日に追加されました。
 
 
「建国記念日」ではなく「建国記念の日」なのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事象そのものを記念する日という考えによるもの。
 
 
2月11日という日取りには、根拠が曖昧であるため、様々な主張があります。しかし、歴史的に見てもこの日は「大日本帝国憲法の発布」や「金鵄勲章」の制定などが行われており、大正十五年からは「在郷軍人会」などの建国祭の祝賀行事が行われるなど、日本における軍国主義の高揚に大きな役割を果たした日でもあり、重要視されているようです。
 
 
世界最古にして最長の王家「天皇家」。神武天皇は初代天皇で、名前は「神日本磐余彦尊」(かんやまといわれびこのみこと)。「九州日向国(現在の宮崎県)から東征し、瀬戸内海を通って難波(現在の大阪市)に上陸、熊野から吉野を経て大和を平定し、大和の橿原宮に於いて即位された」と日本書紀などに説明されています。
 
 
神武天皇の出生は、庚午年1月1日。在位期間は辛酉年1月1日(紀元前660年=弥生時代にあたる)から神武天皇76年3月11日とされます。100歳を越える年齢で、とても一人の人物が行ったとは思えないほどの業績などから見て、実在の人物ではないとするのが一般的。日本神話の一部として理解すべきでしょう。
 
 
古事記では「神倭伊波礼琵古命」(かんやまといわれひこのみこと)と称され、「日本書紀」では「神日本磐余彦尊」(かんやまといわれひこのみこと)、「始馭天下之天皇」(はつくにしらすすめらみこと)、「若御毛沼命」(わかみけぬのみこと)、「狹野尊」(さののみこと)、「彦火火出見」(ひこほほでみ)と称されます。
 
 
「神武天皇」という呼称は、奈良時代後期の文人・淡海三船(おうみのみふね=天智天皇の皇子大友皇子の曽孫)が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされます。
 
 
神武天皇在位中の皇居があったとされる畝傍山(うねびやま)の東南、橿原の地に「橿原神宮」があります。昭和15年(1940)には、紀元2600年奉祝式典が全国各地の神社で行われ、橿原神宮には昭和天皇も行幸しています。参拝者は年間1000万人ともいわれます。
 
 
畝傍山の「畝傍」(うねび)とは、「火がうねる」の意。古代人がこの山を「火山」と認識していた可能性があります。実際に頂上近くの緩い傾斜面は、黒雲母安山岩(火山岩)で形成され、ざくろ石黒雲母流紋岩の流離構造を示す貫入岩も存在します。
 
 
江戸時代以前は、山上に70以上の寺院が存在したそう。現代でも曹洞宗慈明寺が畝傍山西麓にあります。寺の傍に「畝火山口神社」があり、付近には藤原宮跡、飛鳥宮跡など数々の古墳があります。明治に入り、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる畝傍山の麓に橿原神宮を興し、それまで多武峰(とうのみね=奈良県桜井市)で奉祭してきた神武天皇の「御霊」を移したとされます。
 
 
ここで行われる2月11日「紀元祭」は、宮内庁の勅使も参向して、全国からの参拝者で賑わいます。特に憂国、愛国者団体の方々が軍服、戦闘服、特攻服に身を包んで街宣車で集結する事でも知られています。神武天皇を心の底から崇拝しているので、とても礼儀正しく恭しく参拝して軍歌を爆音で鳴らして去っていくそうです。
 
 
古事記には137歳で亡くなり「御陵在畝火山之北方白檮尾上也」御陵は、畝傍山の北の方の白檮(かし)の尾の上にありと記され、日本書紀には127歳で亡くなり「葬畝傍山東北陵」畝傍山の東北陵に葬ると記されています。宮内庁の定めによれば、奈良県橿原市大久保町の山本ミサンザイ古墳が「畝傍山東北陵」(うねびのやまのうしとらのすみのみささぎ)です。
 
 
神武天皇崩御の4月3日には、宮中や神社で神武天皇祭が毎年行われています。すべての天皇は、皇居宮中三殿のひとつ「皇霊殿」に祀られます。
 
 
※「紀元」とは、歴史上の年数を数えるときの基準となる最初の年をいいます。日本では明治15年11月15日に、神武天皇即位の年「西暦前660年」を元年と定め「皇紀」と呼びます。ですので、西暦2012年は皇紀2672年ということになります。
 
 
西洋ではキリスト降誕の年を元年と定め、今日では世界中でこれを用いています。これが西暦です。
 
 
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≪今日の読み物≫
 
「加賀菅生石部祭」
 
加賀國二ノ宮「菅生石部神社」(すごういそべじんじゃ)は、通称・敷地天神・菅生天神と呼ばれる式内社です。御祭神は「菅生石部神」として、天津日高日子穗穗出見命、豐玉毘賣命、鵜葺草葺不合命の三柱を祀り、境内には春日杜(大兒屋根命・径津主命・武甕槌神・姫大神)、八幡社(応神天皇)、白山社(菊理姫命)、稲荷社(宇迦御魂命)、事比羅社(大物主命)、菅原社(菅原道眞公)、藤森社(大國主命)があり、病気平癒・身体健康・安産・学業成就・武運守護のご利益があると崇敬されます。
 
 
用明天皇元年(585)この地で疾病が流行した際、宮中で祀られていた菅生石部神が勧請されたのに始まります。中世には、越前國三ノ宮、後に加賀國二ノ宮となり、京都の北野天満宮領として天神信仰が盛で、明治期には國弊小社に列せられました。
 
 
古来より正親町夫皇の頃まで、一年二度の居入祭には勅使が参向し、御衣神宝を奉まつるなど朝廷の崇敬篤く、木曾義伸、富樫昌家、足利義持、豊臣秀吉、山口玄蕃等部門武将らが深く尊崇され、天慶3年には正四位下の神階が授けられました。
 
 
「平家物語」巻七には、木曽義仲が当社へ「のみ(野美)の庄」を寄進したという記述が残ります。中世頃のこの一帯は北野天満宮の社領で、「天神」の通称はそこからきたものです。境内には「牛の像」が残っています。京都の「敷地神社(わら天神)」は、ここからの勧請。
 
 
毎年2月10日に行われる祭礼は「竹割り祭り」と呼ばれる御願神事(ごがんしんじ)です。治世にも乱を忘れないようにと、山幸彦の炎出見尊(ほほでみのみこと)と、兄で海幸彦の酢芹尊(すせりみこと)の神軍にならい、尚武の道を忘れぬための行事とされています。
 
 
伝承によれば、この地に住む大蛇を退治するためとか。白装束の青年たちが青竹を手に、大蛇になぞらえた長さ約20mの大縄を拝殿から引き出し、橋の上から大聖寺川へと投げ込みます。2m余の青竹を激しく地面に打ち叩く姿は壮絶を極めます。割られた青竹は、見物人が自由に持ち帰り、これで凧を作れば凧はよく上がり、箸にすれば歯の痛みも止まると伝わります。
 
 
菅生石部神社◇石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
 
 
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「福島信夫三山暁祭り」
 
例年2月10~11日に行われる「信夫三山(しのぶさんざん)暁まいり」は、月山・湯殿山・羽黒山の信仰における「羽黒神社」の例祭です。江戸時代から300余年にわたり受け継がれ「大わらじ」を奉納することで知られる伝統ある神事で、日本の奇祭のひとつです。
 
 
昔、羽黒神社に安置されていた仁王の大きさにあった大わらじを作って奉納したのがはじまりとか。後に、伊勢参拝などの長旅に出かける人々から健脚、旅の安全などを祈って羽黒神社境内の「足尾権現」にわらじを奉納するようになり、無病息災・家内安全を願って羽黒神社へ毎年大わらじが奉納されたと伝わります。
 
 
羽黒神社(羽黒山神社)の御祭神は、淳中倉太珠敷命(淳中太尊)・石比売命(石姫命)。古くは羽黒権現と称し、第32代嵯峨天皇の詔によって淳中太尊・石比売命の2柱を祀ったといわれます。祭神は女性であり「正観音」と伝えられるが、御神体は晴明町の真浄院に安置されています。この観世音菩薩は扉を閉ざし、見る者は目がつぶれると言われ見ることは出来ません。数十年に一度御開帳されますす。伊達政宗が仙台に城を築き治めた際、羽黒神社の祭神を分祀。五穀豊穣・商売繁盛・無病息災・家内安全・身体強健・縁結びなどの神として信仰されます。
 
 
羽黒神社◇福島県福島市信夫山御山
 
 
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≪今日の読み物≫
 
「針供養」「こと始め」
 
「針供養」とは、折れた針を供養し、裁縫の上達を願う行事です。関東では一般に2月8日に行われますが、12月8日に行われる地方もあります。両日とも「事八日(ことようか)」(こと始め・こと納め)にあたっており、昔から様々な行事が行われてきましたが、それが江戸など大都市では針供養に変わったものと考えられます。
 
 
この日は、針の使用を謹んで針仕事を休み、古針(折れた縫い針や曲がった縫い針)を、豆腐やこんにゃく、あるいは餅に刺して、神社で供養したり、川へ流したりするのが一般的でした。豆腐やこんにゃくなどに針を刺す理由は、柔らかいもので針に楽をさせ、今までの針の労に感謝するの意。
 
 
もともと中国で行われていた針供養に似た行事が、日本に伝わったもので、事始め・事納め・女の守護神である淡島信仰などと混合して出来上がったものが針供養であるといわれます。この日、芋、大根、焼豆腐、あずき、にんじんなどの煮物料理を食べる、俗にいう「いとこ煮」や「六質汁」は、こうした縁起からきたものだそうです。
 
 
また、豆腐のように色白の美人になるようにとか、柔らかい気持ちになれるようにとか、まめに働くことが大事(だいず)としたのだとか。豆腐は刺されても痛いと言わないから、女性が我慢強いことを願ったからなどともいわれます。
 
 
和歌山の淡島神社では、その年に使って折れた針を集めておき、淡島堂(あわしまどう)へ納め、縫裁の上達を祈ります。祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おほなむじのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)を祀ります。少彦名命は、医薬の神様です。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれています。
 
 
針供養は関東では2月8日、関西では12月8日に行うところが多く、古く、事始めと事納めを一緒にして「事8日」(ことようか)と呼ばれていました。
 
 
東京浅草寺境内の淡島堂の祭神は女神で、技芸裁縫の神さまです。
 
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≪ 今日の暦 ≫
 
 
2月6日(月)
 
丁酉 ひのと・とり
 
七赤金気 しちせき・きんき
 
先負 せんまけ
 
 
旧小正月
 
新宮神倉神社火祭
 
 
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≪今日の凶殺方位≫
 
 
日破殺 卯【東】五黄
 
暗剣殺 兌【西】九紫
 
五黄殺 震【東】五黄
 
定位対冲 巽【南東】六白
 
 
※凶殺方位は、どなたさまにとっても悪い方位となりますのでお出掛けの際には十分ご注意下さい。
 
また、この方位に向かっての約束事などは良い結果に至りませんので避けて無難です。
 
 
起こりうる現象は?
 
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≪あなたの今日の運勢は?≫
 
 ◎◎攻めも守りも好調
 ◎ 攻めて順調
 ○ 守って無難
 △ 謙虚な姿勢で穏やかに
 ▲ おとなしく明日に期待
 ▲▲休養第一早めの就寝を
 
 
一白水星○
 
自分を棚に上げて周囲に求めトラブルに。若者の助言に感謝を。
 
 
二黒土星◎
 
周囲ののんびりムードに苛々。良いプランが浮かんだら即行動!
 
 
三碧木星◎
 
人に優しくなれ人間関係良好!欲深い人に壊されないよう注意。
 
 
四緑木星▲▲
 
過去に拘ればご破算に。目上からの要求は上手にお断りを。
 
 
五黄土星○
 
余計な一言を発して振り出しに戻る。宴席へ参加し気分転換を。
 
 
六白金星○
 
焦ってまとめようと動けば信用を落とす。仲間の援助に感謝を。
 
 
七赤金星▲▲
 
打算は孤立の因。華やかな話に乗れば名誉失墜の憂き目に遭う。
 
 
八白土星◎
 
これまでの努力を完成に導く努力を。多忙でも冷静な判断を。
 
 
九紫火星○
 
努力が実り収穫あり。周囲の心遣いに感謝の心を伝えよう。
 
 
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≪今日の読み物≫
 
 2012年 あなたの運勢は?
 
 
◆一白水星の人は、南方位の「離宮」に回座します。
 
離宮は、南方は太陽が中天に光り輝く方位で、灼熱の 太陽の光と熱を受けて激しく活動する「熱照期」と呼ばれ、明るく活気に満ちた強い運気で、華やかに登り進む年となります。  
 
 
◆二黒土星の人は、北方位の「坎宮」に回座しています。
 
「困難宮」ともいわれ、発展性は皆無で、万事に塞がっていて通じないことが多くなります。気力・体力・財力ともに衰えは厳しく、万事に塞がって運気は最低に落ち込みます。いわゆる「厄年」です。
 
 
◆三碧木星の人は、南西方位の「坤宮」に回座します。
 
南西方は、運気循環して新しい運命周期が起こり、今迄の閉塞された運気が消滅し、徐々に運気が向上してきます。徐々に光りが差してきて気力も前向きになり、希望が湧いてきますが、まだまだ本調子ではありません。
 
 
◆四緑木星の人は、東方位の「震宮」に回座します。
 
震宮は内面から強い刺激を受け、衝動的に行動を起こしたくなるパワーが加わります。雷鳴が広く轟き、山岳が震動するほどの力を持ち奮い立たせます。これまで計画、準備してきた事柄をスタートさせる時です。
 
 
◆五黄土気の人は、南東方位の「巽宮」に回座します。
 
巽宮は「福禄宮」と呼ばれ、九年周期の運勢の中で一番福運の強い場所です。これまで努力してきた物事がまとまり、成長に一区切りついて形になるところ。万事に慎重さは必要ですが、不決断や迷いはチャンスを失い、信用が薄れることになります。
 
 
◆六白金星の人は、中央「中宮」に回座します。
 
中央の強い土気の作用を受けて、運気は不安定で波乱含みとなりますから警戒が必要。勢いに任せて無理を通したり、高慢な態度で人に接すれば、取り返しの付かない失敗を犯す危険を孕んでいます。
 
 
◆七赤金星の人は、北西の「乾宮」に回座します。
 
乾宮は別名「飛躍期」とも呼ばれ、内部から受ける刺激によって旺盛な意欲が湧き、四方八方活躍して休む暇もありません。これまで努力してきた事柄を完成させる多忙な日常の年となります。
 
しかし、暗剣殺と歳破を伴いますので、いつも以上に周囲への気配りや心配りをし、常に現況把握をする余裕が必要になります。
 
 
◆八白土星の人は、西の「兌宮」に回座します。
 
季節 では実りの秋を象徴するところで、これまでの努力が実り、悦びごとが多く表れ、心も懐も暖かくなり、快適で楽しく順調に過せる年です。 
 
 
◆九紫火星の人は、北東方位の「艮宮」に回座します。
 
艮宮は「変動期」と呼ばれ、さまざまなところに思いがけない変化変動が起こってきます。周囲の環境は勿論のこと、自分の心情や体調にも変化が訪れ、望まなくとも変化が起こり、また自らも変化を起こしたくなります。  
 
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ラブラブ素敵な一日で
 
ありますように
 
ヾ(* ・ω・)人(* ・ω・)ノ゙
 
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