「奈良春日大社万灯籠」全国にある春日神社の総本社「春日大社」(かすがたいしゃ)は、神護景雲2年(768)平城京の守護と国民の繁栄を祈る為に創建されました。
奈良の伝統行事のひとつ「中元万燈籠」(ちゅうげんまんとうろう)は、約800年の歴史がある行事です。境内約3000基の燈籠は、広く一般国民から奉納されたもの。明治以降に油料が途絶え、点燈は2月の節分と、8月14・15両日の年2回になりました。
この日、所願成就を祈って全燈籠に火が入れられます。本殿周辺の回廊にも燈籠が釣られ、火の灯りが朱色の回廊を照らし、幽玄な雰囲気を醸し出しています。
14日は舞楽、15日は神楽が神前で奉納されます。
春日大社◇奈良県奈良市春日野町160
◇JR・近鉄「奈良駅」バス「春日大社本殿」10分
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「東京富岡八幡宮祭」東京都最大の八幡神社「富岡八幡宮」(とみおかはちまんぐう)は、寛永4年(1627)当時「永代島」と呼ばれた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得ました。
世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。
江戸時代には、源氏の氏神である「八幡大神」を、殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷から准勅祭社に定められました。
御祭神は「品陀和気命」(ほんだわけのみこと=応神天皇の諡号)他八柱。その他、境内には各地から勧請された末社が計17社に及びます。
毎年8月15日を中心に祭礼が行われます。「深川八幡祭」「深川祭」とも呼ばれ、赤坂「日枝神社山王祭」「神田明神の神田祭」と並ぶ「江戸三大祭」の一つに数えられています。
富岡八幡宮◇東京都江東区富岡1-20-3
◇営団地下鉄東西線「門前仲町駅」徒歩3分
◇都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」徒歩6分
◇JR京葉線「越中島駅駅」徒歩15分
◇JR「東京駅}車15分
≪今日の読み物≫
「月遅れ盆」日本各地で行われている「お盆の行事」は、各地の風習や宗派による違い等によって様々です。一般的には先祖の霊が帰ってくると考えられ、日本のお盆は先祖の霊と一緒に過ごす期間とされています。
現在では、8月15日を中心に「月遅れ盆」(旧盆)の行事をするのが一般的のようです。これは、明治になって新暦が採用されると、7月15日は農作業の繁忙期と重なり、これでは盆行事を行うことが農家の人達にとって都合が悪い。お盆をひと月遅らせて、ゆっくりと先祖の供養をしようということからです。
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「終戦記念日」昭和20年(1945)8月15日正午、「昭和天皇の玉音放送」による「太平洋戦争(大東亜戦争/第二次世界大戦)の敗北宣言」を国民に伝える「終戦詔書」がラジオに流れ、「ポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定」が伝えられました。
天皇の肉声を「玉音」と言います。この日、天皇の肉声が初めてラジオで放送されました。敗戦と降伏が発表され、この日をもってアメリカとの戦争が事実上終了しました。戦線で苦闘していた将兵たち、内地で空襲に焼かれ、衣類も食料もなく、それでも敵上陸に備えて竹槍を持たせられていた国民も、すべてがこれに聞き伏したのです。
しかし、ラジオもなく新聞も配られないところでは、終戦を知るのは後のこととなります。空襲警報発令のサイレンの音、防空壕の暗く重苦しい空気、焼夷弾の降る恐怖から開放された「無条件降伏」による戦後の国民の生活は、終戦の勅語『惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス』の「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び以て萬世の為に…」のとおり、耐乏と空腹の毎日を強いられたのでした。
この日を「終戦日」と呼び、昭和38年(1963)閣議決定により「全国戦没者追悼式」が行われるようになり、昭和57年(1982)には「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とする事が決定され、再び過ちを繰り返さないよう戦没者に誓っています。
終戦記念日は盆にあたることから、死者の霊を供養すべき日として日本人に意識されていますが、今一度、終戦記念日の意味を考えてみてはいかがでしょう。
アジア諸国では「日本からの開放記念日」、アメリカ・イギリスなどの連合国では「対日戦戦勝記念日」となっています。
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「全国戦没者追悼式」全国戦没者追悼式(ぜんこくせんぼつしゃついとうしき)は、第二次世界大戦における全戦没者に対し、国を挙げて追悼の誠をささげるのを趣旨とした、無宗教の形で行なわれる政府主催の追悼式です。
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として、昭和27年(1952)4月の閣議決定により、同年5月2日に新宿御苑にて第1回追悼式が行なわれました。
昭和38年(1963)以降は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日に行なわれています。
追悼の対象は、第二次世界大戦で戦死した旧大日本帝国軍人・軍属約230万人と、空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人。式場の正面には「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱が置かれます。
式典は、政府主催。東京都千代田区の「日本武道館」で開かれます。式典開始は午前11時51分、所要時間は約1時間。正午より1分間の黙祷を行います。
式典には、天皇・皇后、三権の長(内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官及び各政党代表、地方公共団体代表)が参列。また、日本遺族会等関係団体の代表者、経済団体、労働団体、報道機関の代表者、日本学術会議会長、日本宗教連盟理事長などを招き、各都道府県遺族代表、一般戦災死没者遺族代表、原爆死没者遺族代表らを国費で参列させています。
式典当日は、官衙等国立の施設には半旗を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において、全国民が一斉に黙とうするよう勧奨しています。
≪今日の読み物≫
今月「南西方」「北東方」への移動は「大凶」です。
★「南西方」は、八白土気:暗剣殺・定位対冲
「暗剣殺」は、強烈な殺力を持った方位です。この方位を犯して滅亡を逃れることはありません。この方位に向かって移転・縁組・新築・増築・動土・造作等を行えば、すべてが壊滅の一途を辿ります。
★「北東方」は、五黄土気:五黄殺・月破
「五黄殺方位」を犯すと、あらゆる悩みや苦しみに遭います。孤独・貧困・異性問題・友人との離別・強請・盗難などの難が起こります。欲を出して人と争い、騙されて財を失い、目的は破れて発展の途を失い、窮地に陥ります。運勢がじわじわと衰退し、形を滅し、成るものも破れてその生命を失い破綻します。職を失い、財は減じ、病人死者が続出して一家全滅の悲嘆に陥ることになります。
「破」は、強烈な破壊力を持った方位です。この方位を犯すと、自らの行動が原因でトラブルとなり、人間関係で不愉快な思いをします。やる事なす事まったく上手く行かず、予想外のまさかの出来事を生じ、想定外の展開が起こって目的はことごとく破れます。
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≪今日の読み物≫
「末伏」「初伏」(しょふく)・「中伏」(ちゅうふく)・「末伏」(まっぷく)の3つを総称して「三伏」(さんぷく)といいます。陰陽五行説に基づく選日で、日本最古の「具注歴」にも記載された暦注です。
夏至以降第3回目の「庚の日」を初伏、4回目の庚の日を中伏、立秋以降第1回目の庚の日を末伏とする方法が一般的ですが、夏至以降の第3.4.5の庚の日をそれぞれとする方法、さらに6月節「小暑」後の第1.2.3をそれぞれとする方法があります。いずれも起算日が庚の日ならばその日を第1日目とします。
「庚」(かのえ)は「金の兄」で「金性」です。夏は「火性」が最も盛んですから、金は火に伏せられて(火尅金)この日を「凶」とするのです。
この日は、種蒔き・療養・遠行・婚姻・男女の和合などは慎むべき日とされています。
新暦では、7月中旬から8月上旬にかけて三伏が入ります。この頃は酷暑期にあたるため「三伏の候」「三伏の猛暑」などと手紙の前文に書かれるなど、酷暑の候を表す言葉として現在も用いられています。
韓国では、この時期を「三伏暑」(さんぼつ)と呼んでいます。日本の「土用の鰻」同様、犬肉や参鶏湯を食べる風習があります。
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「月遅れ盆迎え火」日本各地で行われている「お盆の行事」は、各地の風習や宗派による違い等によって様々です。一般的には先祖の霊が帰ってくると考えられ、日本のお盆は先祖の霊と一緒に過ごす期間とされています。
現在では、8月15日を中心に「月遅れ盆」(旧盆)の行事をするのが一般的のようです。
これは、明治になって新暦が採用されると、7月15日は農作業の繁忙期と重なり、これでは盆行事を行うことが農家の人達にとって都合が悪いので、お盆をひと月遅らせて、ゆっくりと先祖の供養をしようということからです。
≪今日の読み物≫
「徳島阿波踊り」「阿波踊り」(あわおどり)は、約400年の伝統を持つ徳島県内各地の市町村で開催される盆踊りのこと。最も賑わいを見せるのが徳島市の阿波踊りで「四国三大祭り」「日本三大盆踊り」のひとつに数えられます。
大正年間、徳島藩主:蜂須賀家政が阿波25万7千石の大守として入国し徳島城を築いた際、祝いの酒に酔った城下の人々が、夜の更けるのも忘れて踊り歩いたのが、阿波踊りの起源といわれています。その独特の流し踊りは、疫病神送りにも通じるものがあります。
京都から入ってきた風流踊り・精霊踊り・念仏踊りを原形として、歌舞伎の踊りや藍商人が覚えてきたお座敷芸、三味線流しなどの芸能が混ざり合って出来上がったといわれています。
阿波踊りは「連」というグループごとに踊ります。連によって、男女によって踊り方が異なり、女性は浴衣に網笠を深く被り下駄を履いて優雅に踊ります。男性は半天(法被)を着て踊る半天踊り・浴衣を尻からげに着て踊る浴衣踊りなど、腰を落として豪快に踊ります。男性が女踊りを踊ることはタブーです。
三味線・笛・太鼓・鉦・横笛などの2拍子の賑やかなリズムに乗って、連が町中を練り歩きます。
奥の深い阿波踊り♪偉い奴ちゃ偉い奴ちゃよいよいよいよい踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん♪…と唄われる「よしこの節」が有名ですが、「ヤットサーヤットサー」という掛け声のほうが多用されているようです。
徳島の人口は約26万人ですが、この4日間で100万人の人出があるほど。リオのカーニバルと並び称されるほど、世界的な踊りになっています。
開催場所◇徳島県徳島市
◇JR「徳島駅」~市役所前 他