≪今日の読み物≫
 
 
本「鎌倉市鎌倉宮祭」
 
 
「鎌倉宮」(かまくらぐう)は、大塔宮(おうとうぐう)護良親王(もりながしんのう)を祀る神社で、建武中興十五社の一社。旧社格は官幣中社。神社本庁の包括下には入らない単立神社で、別名「大塔宮」(おおとうのみや)。
 
 
「護良親王」は、延慶元年(1308)後醍醐天皇の皇子として誕生。6歳で京都の三千院に入り、11歳で比叡山延暦寺に入室し、尊雲法親王(そんうんほっしんのう)と呼ばれました。また、大塔宮(おおとうのみや)とも。20歳にして天台座主となりました。
 
 
父帝の後醍醐天皇は国家の荒廃を憂いられ、ともに鎌倉幕府を倒し建武中興を実現しましたが、その後、足利尊氏との対立により足利方に捕えられて東光寺に幽閉されてしまいます。
 
 
建武2年(1335)中先代の乱の混乱の中、尊氏の弟・直義の命で家来である淵辺義博(ふちべのよしひろ)によって暗殺されました。御年わずか28歳。
 
 
明治2年(1869)2月、明治天皇は建武中興に尽力した親王の功を賛え、神社の造営を命じ、護良親王を祀りました。6月に「鎌倉宮」の社号が下賜され、7月に東光寺跡の現在地に社殿が造営されました。
 
 
拝殿前には、鎌倉宮の伝統とも言える獅子頭守が参拝者を迎えます。護良親王が戦の時に兜の中に獅子頭の小さなお守りを忍ばせて自らの無事を祈った事が由縁です。
 
 
鎌倉宮◇神奈川県鎌倉市二階堂154
 
◇JR横須賀線・江ノ島電鉄「鎌倉駅」バス
 「鎌倉宮(大塔宮)」行き終点すぐ
 
 
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ベル「採水日」
 
「方位と祐気取り」について
 
 
「方位」(ほうい)という言葉は、もともと中国製漢語で、そのまま日本語として使用しています。「方角+位置」のことで、四方の位置、十二支の位置、易の位置を示します。
 
 
「四方」では「東西南北」、「十二支」では「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」、「易」では「乾兌離震巽坎艮坤」のことです。
 
 
「方位」とは、陰陽・五行・十干・十二支などを配し、その吉凶によって人事の吉凶禍福が支配されるという俗語です。ちなみに、四方を日本では「東西南北」といいますが、中国では「東南西北」と五行の順にいいますね。
 
 
「気」とは「エネルギー」です。地球は様々なエネルギーに支配され、地球上の生物はそのエネルギーに大きく影響されていることは、科学で証明されています。
 
 
太陽・月・水星・金星・土星・火星・木星などの惑星は、様々な坑道を描きながら、紫外線・赤外線・ガンマー線などの電磁波を地球に送ってきます。地球自体は、引力や重力・磁気などのエネルギーを持っています。
 
 
私たちは、生まれた瞬間に宇宙から降り注ぐエネルギーと、大地の持つエネルギーなどの「波動」に支配されています。この生まれ持った「肉体波動」と、「自然界の波動」とが、調和したときには盛運エネルギー「祐気」(ゆうき)となり、調和がとれないときに衰運エネルギー「尅気」(こっき)になるのです。
 
 
つまり、自然界の波動エネルギーが「方位」というわけです。自身の本命性に合わせた吉方位に出掛けて、波動の調整をし、運勢エネルギーを上げることを「祐気取り」(ゆうきとり)といいます。
 

 
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≪今日の読み物≫
 

本「秋田花輪ばやし」
 
 
「花輪ばやし」は、花輪地区の総鎮守「幸稲荷神社」(さいわいいなりじんじゃ)の祭典にあたり奉納される祭礼囃子です。
 
 
鹿角市の代表的な民俗芸能で、秋田県無形民俗文化財に指定されています。また、「日本三大ばやし」の一つに数えられています。
 
 
「幸稲荷神社」は、元久元年(1204)に伊勢両宮の分霊巡視の際に御神霊を分け、祭祀創設されたと伝わります。祭神に、豊受姫命・猿田彦命・天宇都女命を祀ります。
 
 
明治より「花輪通り四十八社の総鎮守」として、祭礼はもとより元朝詣りや厄払いの儀式が盛大に行われ、「産土さん」(うぶずなさん)と呼ばれ親しまれています。
 
 
祭典はお盆明け8月16日、本殿から神官、氏子総代に守られた御輿が、大太鼓を従えて町内を一巡し、「御旅所」に安置されることから始まり、20日に本殿へ還幸されるまでの5日間に渡って行われます。五穀豊穣・地域発展・家業隆盛を祈願します。
 
 
祭典は夕方それぞれの町内を出発して次の日にまで、もしくは明け方まで町を行進する夜のお祭りです。花輪ばやしは19、20日の両日、幸稲荷神社・産土の神に奉納されます。現在は、本ばやし、二本滝、宇現響、羯鼓、霧ばやし、矢車、吉原格子、拳ばやし、不二田、祇園、追込、シャギリの12曲が伝承されています。
 
 
特に代表曲の「本ばやし」は行進曲のようで、一番の見どころは駅前行事、町内揃い踏み円陣を組んでの囃子の共演です。
 
 
神宮外苑の「日本の祭り」参加をはじめ、日本各地からの出演依頼があるそう。花輪ばやしの名声は、海外でも高まっていて、ニースのカーニバル、サンフランシスコの桜まつり、上海の国際交流フェスティバル、ミネソタ州のジャパンウイークなどにも出演しているそうです。
 
 
幸稲荷神社◇秋田県鹿角市花輪字稲荷川原56
 

 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「伝教大師誕生会」
 
 
平安時代の僧「最澄」(さいちょう)は、神護景雲(じんごけいうん)元年(767)8月18日、近江国滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生まれました。
 
 
日本の天台宗を開いた人物で、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。三津首(みつのおびと)氏は、古代中国の後漢皇帝の末裔と称する渡来系氏族です。
 
 
12歳で近江国分寺に入り、出家して行表(ぎょうひょう)の弟子となり、14歳で得度。名を「最澄」と改めました。厳しい修行と勉強に打ち込み、やがて奈良の都に行き、さらに勉学を積みました。
 
 
延暦4年(785)奈良東大寺で具足戒を受戒の後、故郷に戻って比叡山に籠って一人修行を続けます。すべての人々が救われることを願い、一乗止観院を建てて自ら刻んだ薬師如来を安置し、仏の教えが永遠に伝えられるよう願って灯明を供えました。
 
 
天台宗は大乗仏教の宗派のひとつで、法華経を根本経典としています。伝教大師最澄は延暦24年(805)唐に渡り天台山に登ってその教えを受けました。帰国後、比叡山延暦寺に戻り、この教えを伝えました。弘仁13年(822)比叡山中道院にて没。貞観8年(866)伝教大師の諡号が贈られました。
 
 
比叡山「延暦寺」(えんりゃくじ)は、天台宗の総本山で、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院です。平安から鎌倉時代にかけて、融通念仏の開祖「良忍」、浄土宗の開祖「法然」、浄土真宗の開祖「親鸞」、臨済宗の開祖「栄西」、曹洞宗の開祖「道元」、日蓮宗の開祖「日蓮」などの名僧が修行していることから「日本仏教の母山」とも称されています。
 
 
最澄の誕生地とされる「生源寺」では、毎年8月18日に盛大な誕生会が行われます。生源寺は、最澄の父・三津首百枝(みつのおびとももえ)の邸宅跡に建てられています。本尊は慈覚大師作と伝わる観音菩薩。境内には大師の産湯と伝わる井戸があります。
 
 
生源寺◇大津市坂本6‐1871
◇京阪電鉄「坂本駅」すぐ
◇JR比叡山「坂本駅」10分
 
延暦寺◇滋賀県大津市坂本本町4220
◇京阪電鉄「坂本駅」ケーブル「延暦寺駅」10分
◇JR「京都駅」バス1時間10分◇
 

 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「鶴岡荘内祭」
 
 
「荘内神社」(しょうないじんじゃ)は、庄内藩(正式には鶴岡藩)藩主の居城「鶴ケ岡城」の本丸址に所在。庄内藩主「酒井家」初代忠次公、二代家次公、三代忠勝公、九代忠徳公の四人の先祖を祭神として祀ります。
 
 
元和8年(1623)酒井家三代・忠勝公が、幕命により信州松代から荘内に移封されました。戦国時代、草刈場となって疲弊していた土地を、歴代藩主が250年に亘って善政を施かれ、領民も心から殿様を敬い慕っていました。
 
 
長く平和が続いた幕藩体制が終焉した後でも、旧藩主を敬い慕う民衆の気持ちは強く、庄内一円の人々の総意によって、明治10年(1877)藩主縁りの中心地である鶴ヶ岡城本丸址に「出羽之国庄内の産土神」として荘内神社が創建されました。
 
 
その後、大正13年(1924)荘内藩中興の祖、9代忠徳公が従三位を贈位されたことを記念して、新たに祀られました。それ以来、出羽荘内の産土神「神社はん」と慕われています。
 
 
荘内神社の祭り「荘内大祭」は、創建の明治10年、旧藩主を慕う市民の手でかつての大名行列が再現されたのが起源です。江戸時代の装束に見を包み、天下人・秀吉より賜った「金びょうたん槍」を先頭に、奴振り、鎧武者の甲冑列など、約400名からなる「荘内藩伝承大名行列」が、城下町・鶴岡に歴史絵巻を繰り広げます。
 
 
また、酒井公が手厚く保護したという「黒川能」が奉納され、鶴ヶ岡城の外堀であった「内川」では灯籠流しが行なわれます。開催日◇8月14日(日)~15日(月)。
 
 
荘内神社◇山形県鶴岡市馬場町4番1号 鶴ヶ岡城址
 
◇JR羽越本線「鶴岡駅」バス約5分
◇山形道「鶴岡IC」から10分
 
 
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本「滋賀建部夏祭」
 
 
近江国一宮「建部大社」(たけべたいしゃ)は、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社で、社格は式内社(名神大)、旧官幣大社(現、神社本庁の別表神社)。
 
 
古くから歴代朝廷の尊信篤く、また武将たちの崇敬も深く集めました。特に平安時代末、源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、建部大社に立ち寄って源氏再興の祈願をし、後に大願成就したことから、出世開運の神として、武運来運の神として信仰を集めました。 
 
 
主祭神「日本武尊」(やまとたけるのみこと)を正殿に祀り、権殿に大神神社より勧請の「大己貴命」(おおなむちのみこと)を祀ります。
 
 
景行天皇46年(116)神崎郡建部郷に、景行天皇の皇子である日本武尊を建部大神として祀ったのが始まりと伝わります。
 
 
毎年8月17日に行われる夏祭り「船幸祭」(せんこうさい)では、重さ1.5tもある「大神輿」を御座船に乗せて瀬田川を下ります。これは、日本武尊の東征故事に拠るもので、日吉大社の「山王祭」(春祭)、天孫神社の「大津祭」(秋祭)と共に、大津三大祭の一つとなっています。
 
 
建部大社◇滋賀県大津市神領1-16-1
 
◇京阪電鉄「唐橋前駅」徒歩15分
◇JR琵琶湖線「石山駅」バス「建部大社前」徒歩3分
◇名神「瀬田西IC」から5分
 

 
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本「松島灯籠流し」
 
 
万葉の昔より歌枕として用いられ、みちのくを代表する名勝「松島」は、「宮島」「天橋立」と並び日本三景の一つと言われます。正徳4年(1714)頃、江戸幕府の儒学者・林羅山の三男である林春斎が、その著書「日本国事跡考」において、「日本三処奇観」と記したのに始まります。
 
 
俳聖・芭蕉が奥州行脚する目的の一つとした松島は、奥の細道の中で「松嶋の月まず心にかかりて」とあるようによほど気にかかっていたようで、「扶桑第一の好風なり」とそのあまりの美しさに驚嘆し、絶句したそう。芭蕉が詠んだ句と言われる「松島やああ松島や松島や」は、後にできた逸説だそうです。
 
 
松島湾内には、260余の島があります。朱塗りの渡月橋が架けられ雄島は僧侶の修行の地で、108の岩窟があったと伝わります。その昔、死者の浄土往生を祈念した板碑(石の塔婆)があり、岩窟の中には五輪塔や法名が彫られたものが多くあります。中世の松島は「奥州の高野」と称される死者供養の霊場でした。
 
 
毎年8月17日に行なわれる「松島灯籠流し」(まつしまとうろうながし)は、松島の最大の伝統行事として行なわれます。
 
 
海上には、全国から寄せられた先祖の霊を供養するために心を込めた「灯籠」の灯火が無数に漂います。夜空には、約7000発もの壮大な花火が打ち上がり、華麗な輝きを放ちます。花火と灯籠の光に浮かび上がる「松島湾」はまた格別です。
 
 
前日の8月16日は、瑞巌寺「大施餓鬼会」が行われます。
 
 
開催地◇宮城県松島町
 
◇松島海岸及び松島湾一帯
◇JR仙石線「松島海岸駅」徒歩5分
◇JR東北本線「松島駅」徒歩10分
 
※本年の開催は、東北地方太平洋沖地震の影響により中止となりました。
 
問い合わせ◇社団法人宮城県観光連盟 TEL:022-211-2822
 
 
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本「三嶋大社祭」
 
 
伊豆国一之宮・総社「三嶋大社」(みしまたいしゃ)の創建の時は定かではありませんが、古くより三島の地に鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。式内社(名神大)で、旧社格は官幣大社。
 
 
祭神に「大山祇命」(おおやまつみのみこと)「積羽八重事代主神」(つみはやえことしろぬしのかみ)の二柱の神を総じて「三嶋大明神」と称して祀ります。
 
 
大山祇命は山森農産の守護神、事代主神は俗に恵比寿様とも称され、福徳の神として商・工・漁業者に厚く崇敬されています。
 
 
「三嶋神」は東海随一の神格と考えられ、平安時代中期の「延喜の制」では、名神大に列格されました。社名・神名の「三嶋」は地名ともなっています。
 
 
中世以降は武士の崇敬を受け、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました。以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆国一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。
 
 
「例祭」は、16日午前10時から斎行されます。この祭を中心とした15日~17日の3日間は「三島の夏祭り」として市内が祭一色に染まります。期間中は約30万人の人出が予想され、市内でも様々なイベントが催されます。
 
 
また「手筒花火神事」が午後7時から行われ、17日には「流鏑馬神事」が執り行われます。平安時代からの伝統ある神事で、天下泰平・五穀豊穣が祈願されます。
 
 
三嶋神社◇静岡県三島市大宮町2-1-5
 
◇JR東海道新幹線・東海道線「三島駅」約10分
◇伊豆箱根鉄道「田町駅」約5分
◇東名高速道路「沼津IC」約10分
 
 
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本「千葉だらだら祭り」
 
 
「千葉神社」(ちばじんじゃ)は、千葉氏(ちば=下総国の豪族)の守護神である「妙見菩薩」を本尊とする寺院「千葉妙見宮」として建立されました。千葉氏の祖・平忠常の子覚算大僧正によって伽藍が整備されたと伝わります。
 
 
以降、千葉宗家のみならず千葉氏一族の信仰篤く、千葉氏宗家の元服は代々この寺で行われました。また、千葉常胤の案内で同寺を参拝した事で知られる源頼朝からも手厚く保護されていました。
 
 
天正19年(1591)徳川家康が関東に入部。この寺を参詣して寺領安堵ならびに太刀一振を寄進し、同時に朱印地二百石と十万石の格式が与えられました。
 
 
江戸時代までは「北斗山金剛授寺尊光院」と称する真言宗の寺院でしたが、明治の神仏分離によって神社となり、本尊も祭神に改められました。しかし「妙見菩薩」と「天之御中主大神」は長年神仏習合によって同一とみなされてきた経緯があり、「妙見信仰」の中心とされていることには変わりありません。
 
 
主祭神の「北辰妙見尊星王」(天之御中主大神)は、天の中央を定位とする「北辰」すなわち「北極星と北斗七星」の神霊で、諸星諸神・方位方角を支配する星王と讃称されます。その絶大なる霊力を人間界に投射することにより、人間の星(運命)や全方位を守護・掌握する神霊であるとの特徴的信仰が生まれました。
 
 
道教・陰陽道や易学・九星気学・風水学の根幹となる特殊神として、あらゆる守護能力を発揮する神様として広く尊崇されています。
 
 
妙見尊の善星皆来・悪星退散の御神力の発現による自己の星への好影響を願う。運気好転、向上、維持や、方位・家相・建築に関する災禍の消除、悪神の八方からの侵入による貧・病・争の消除などを願う。厄年祓・星厄消除・開運招福・八方除・方位除などの祈祷を受ける人が後を絶ちません。
 
 
また、プロの易占家たちが自身の開運と隆盛を願って昇殿されるばかりでなく、易占家の鑑定を受けた多くの人々が祈祷を受けているようです。
 
 
毎年8月16~22日に行なわれる「例祭」では、大治2年(1127)より続く古式に則った勇壮な神輿渡御が行なわます。御輿の先導を務める大太鼓が「二段打ち」という特殊な叩き方をするのですが、その音が「だらん、だらん」と聞こえることから「だらだら祭り」と呼ばれます。
 
 
この祭礼は「何か一言願をかければ、その願いは必ずや達成される」と伝わり「一言妙見の祭礼」ともいわれ、願を掛ける人々で賑わいます。参拝の後、縁起物の「ねがい鳥・かない鳥」を求めます。
 
 
千葉神社◇千葉県千葉市中央区院内1-16-1
 
◇JR「千葉駅」徒歩10分
◇京葉道路「穴川IC」10分
 

 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「月遅れ盆送り火」
 
 
「盆送り火」「精霊送り」お盆の最後の日。先祖の霊が無事にあの世へ戻れるよう、海や川に供え物や舟を流したり、送り火を焚いて送り出します。
 
 
京都の「五山送り火」も精霊送りのひとつ。盆の期間に集団で行われる「盆踊り」は精霊を迎える、死者を供養する、霊を送り出すなどのための仏教行事です。
 
 
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本「京都五山送り火」(大文字)
 
 
京のお盆に終わりを告げる「五山送り火」は、この世に戻っていた先祖や故人の精霊を、再び冥府へと導くという宗教行事です。
 
 
京都盆地の周囲の五山に「大文字」「左大文字」「鳥居形」「妙法」「船形」の合わせて五つの火が点じられ、中でも東山如意ケ嶽の支峰「大文字山」の中腹で焚かれる「大」の文字は良く知られます。山麓には、銀閣寺、法然院等の名刹が連なります。
 
 
東山如意ヶ嶽の「大文字」と、金閣寺付近大北山「左大文字」は「大乗仏教と小乗仏教」を、松ヶ崎西山・東山の「妙と法」は「法華経信仰」を、西賀茂船山の「船形」は「七福神」を、嵯峨仙翁寺山の「鳥居」は「神道」をかたどったと考えられています。
 
 
「大」の文字は、75ヶ所の火床に600束の赤松の割木を積み上げ、午後8時頃いっせいに点火され燃え上がらせます。文字の横の一画は73m、左の一画が146m、右の一画が124mという壮大なもの。
 
 
点火とともに、大文字中心部にある「弘法大師堂」の中では経が読み上げらます。大文字の強力な火勢は、人々の篤い宗教心を映しているようです。
 
 
平安時代初期、大文字山麓にあった浄土寺が大火に見舞われた際、本尊「阿弥陀佛」が山上に飛翔して光明を放ったのを真似た儀式を、弘法大師が始めたという説。室町時代中期、足利義政が近江の合戦で死亡した実子の義尚の冥福を祈るために、家臣に命じて始めたとする説では、大の字形に山の斜面に白布を添え付け、その様子を銀閣寺から相国寺の僧侶が眺め定めたとか…。
 
 
送り火の起源は謎ですが、慶長8年(1603)にはすでに山々に点火される送り火の行事が、当時の公家の日記に残されていることから、16世紀後半には京都の年中行事として始まっていたことがわかります。
 
 
「大」の文字は「地・水・火・風」の四元素に加え、「空」を加えて大自然を表した「五大」の意。自然への敬意と先祖を敬う気持ちを象徴しているものです。自然という目に見えない大きな存在を後世に知らせる為の、先祖の計らいでありましょうか。
 
 
度重なる戦乱で生まれた「怨霊の祟り」と言われた地震や洪水、火災などの続発を鎮めるために、「万燈が巨大化」したものとも考えられています。
 
 
京都五山送り火は、祇園祭に次いで、夏の京都を飾る風物詩となっています。
 
◆大文字送り火=京都市左京区浄土寺七廻り町
◆松ヶ崎妙法送り火=京都市左京区松ヶ崎西山(妙)、同東山(法)
◆船形万燈籠送り火=京都市北区西賀茂船山
◆左大文字送り火=京都市北区大北山鏡石町
◆鳥居形松明送り火=京都市右京区嵯峨鳥居本一華表町
 
※送り火当日、各山では関係者以外の立ち入りは禁じられておりますのでご注意下さい。

 
本年は、東日本大震災の津波でなぎ倒された岩手県陸前高田市の松の薪500本も、送り火で燃やされるそうです。→話し合いは二転三転し、セシウムの問題で燃やされないことになりました。
 
 
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本「箱根大文字焼」
 
 
「箱根大文字焼」(はこねだいもんじやき)とは、箱根外輪山のひとつ「明星岳」(通称大文字山)で毎年8月16日に行われる送り火のこと。
 
 
大正10年(1921)から続く伝統行事で、強羅で夏を過ごす避暑客を慰め、同時に地元の旧盆の送り火を兼ねて盛大に行われます。
 
 
大文字焼きは準備に2ヶ月余りを要し、炎天下の山腹において刈取乾燥の作業が繰り返し行われ、乾燥した篠竹(箱根産女竹長さ3m程)直径30cm程の束を350束作ります。「大」の字の輪郭に沿って二重に約1.5m間隔に立て、花火を合図に点火されます。点が線となり字となり「大」の字が浮かび上がります。
 
 
先祖の供養と、一年間の無事御礼を「回向袋」に込め、大雄山最乗寺の導師による諸祈願大法要の後、明星ヶ岳に運ばれ、午後7時半の点火と同時に火の中で供養されます。回向袋には、米や豆、お札などを入れて納めます。
 
 
因みに、大文字焼き(だいもんじやき)は「大」の字を松明の炎で描く行事のことで、京都五山送り火を大文字焼きと呼ぶのは誤りです。大文字焼きは他に、静岡三島市、山梨笛吹市、高知四万十市、京都福知山市などで行われます。
 
 
開催地◇神奈川県箱根町
 
◇箱根湯本から箱根登山鉄道「強羅駅」すぐ
◇東名「厚木IC」より「小田原厚木道路」
 国道1号経由約1時間
 
 
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