≪今日の読み物≫
 
 
本「八専始め」
 
 
「十干」(じゅっかん)「十二支」(じゅうにし)を、「五行」(木火土金水)に配当すると、干支ともに同気が重なるものが12日あります。
 
 
そのうちの8日が「壬子~癸亥」の12日間に集中していることから、この期間は暦の上で特別なお日柄となりました。
 
 
壬子=水水
 
癸丑=水土
 
甲寅=木木
 
乙卯=木木
 
丙辰=火土
 
丁巳=火火
 
戊午=土火
 
己未=土土
 
庚申=金金
 
辛酉=金金
 
壬戌=水土
 
癸亥=水水
 
 
このうち、癸丑・丙辰・戊午・壬戌の4日間を、八専の間日(まび)といいます。八専は年に6回程あります。
 
 
八専の期間は「天干」(てんかん)と「地支」(ちし)が同気であるため、気が偏って吉はますます吉に、凶はますます凶に傾きやすくなるという。すなわち振幅の激しい期間で、準備を怠らなかった人には朗報が、行き当たり場当たり的な人には凶行が訪れるとか。
 
 
古代中国では、むしろすべてのことに吉とされていて「淮南子」(えなんじ※)には「専を以てえとに従えばすなわち功あり」と記されています。
 
 
※淮南子=中国前漢時代の皇族、学者である「淮南王劉安」(りゅうあん・紀元前179年~紀元前122年)が、学者を集めて編纂させた思想書。
 
 
天地朦朧として、人も釣り合いが取れなくなるお日柄だとか。人間関係では些細なことで思わず亀裂が入ったりします。賭け事など、基礎的な努力の結果を生み出さない事柄は避けて無難です。
 
 
八専はもともと、築城・軍営・出陣・出兵の凶日として、出兵や戦争を司る兵家の用いるものでした。一般には、家作・植樹・地ならしなどの建設的な事柄には吉。立ち退き・解体・廃棄など処理的な事柄や婚礼、蓄類の売買には凶とされ、仏事も忌むとされます。
 
 
また、八専は雨が降る日が多いといわれています。同気が続くことから気象の予報に用いたもので、八専始め「壬子=水と水」八専終わり「癸亥=水と水」だからそう言われるのでしょう。
 
 
今回の八専の期間は、8月25日~9月5日です。
 
 
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本「東京亀戸天神祭」
 
 
「亀戸天神社」(かめいどてんじんしゃ)は、菅原道真公を祀る「下町の天神さま」として知られ、多くの人々に親しまれています。
 
 
正保3年(1646)菅原道真の末裔・菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるために諸国を巡り、寛文元年(1661)江戸の本所・亀戸村に辿り着きました。
 
 
村に元々あった天神の小さな祠に、道真公ゆかりの飛び梅の枝で彫った天神像を祀ったのが始まりです。
 
 
古くは、本社=大宰府天満宮に対して、東の宰府=「東宰府天満宮」と称しました。「亀戸宰府天満宮」とも。明治6年(1873)東京府社となって「亀戸神社」と号し、昭和11年(1936)現在の「亀戸天神社」となりました。
 
 
「天神祭」では、氏子や町内はもとより、国家安泰と繁栄を祈願し、囃子・神輿・曳太鼓が町内を練り歩きます。
 
 
亀戸天神社◇東京都江東区亀戸3-6-1
 
◇総武線「亀戸駅」徒歩15分
◇総武線・地下鉄半蔵門線「錦糸町駅」徒歩15分
 

 
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「京都地蔵ぼん」
 
 
「地蔵盆」(じぞうぼん)とは、地蔵菩薩の縁日のことで、地蔵祭とも。子供たちの夏休みの最後の行事として主に滋賀、京都、大阪などの関西各地域で盛んに行われています。
 
 
もともと「地蔵会」(じぞうえ)、「地蔵祭」と呼ばれていましたが、8月24日が裏盆(※)で、盂蘭盆にちなんで「地蔵盆」と呼ばれるようになりました。
 
 
※盂蘭盆の終わりのことを「裏盆」といいます。お盆は13日~16日。7月盆、8月盆とありますが、お盆の終わりと言えば16日です。裏盆の時期も16日、20日、24日、27日など地域ごとにまちまちです。
 
 
地蔵盆は、道祖神信仰と結びついた路傍あるいは街角(辻)の地蔵が対象となっていて、寺の中に祀られている地蔵菩薩を対象とした祭りではありません。
 
 
地蔵菩薩は中近世以降、子供の守り神として信仰されるようになりました。地蔵菩薩は、親より先になくなった子供が賽の河原(さいのかわら=親不孝の報いで苦を受ける場)で苦しんでいるのを救うという。
 
 
地蔵のある町内ではこの日、地蔵の像を洗い清め、新しい前垂れを着せ、化粧をするなどして飾り付け、地蔵の前に集って灯籠を立てたり、お供え物をして祀ります。
 
 
京都では、子供が生まれるとその子の名前を書いた提灯を奉納する風習があります。女の子は赤い提灯、男の子は白い提灯で、その子が地蔵盆に参加しているあいだ毎年飾ります。
 
 
子供たちは供養の菓子や手料理などを振舞われます。お地蔵さん巡りをして、お接待を受けることも。僧による読経が行われるところもあります。
 
 
「数珠繰り」(じゅずくり)又は「数珠回し」は、直径2~3mの大きな数珠を囲んで座り、僧侶の読経にあわせて順に回す儀式です。
 
 
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本「秩父四萬部寺大施食会」
 
 
秩父三十四観音札所1番「誦経山四萬部寺」(ずきょうさん、しまぶでら)は、聖観世音菩薩を祀る曹洞宗のお寺です。四萬部寺の名前の由来は、法華経四万部の仏典を書写して経塚を築いたことから。元禄10年(1697)に建立された朱塗りの千鳥破風付観音堂は、秩父札所霊場唯一の県の重要文化財指定です。
 
 
「施食会」(せじきえ)とは、仏教行事のひとつで、「施餓鬼会」(さがきえ)、「おせがき」ともいわれ、「救抜焔口餓鬼陀羅尼経」(くばつえんくがきだらにきょう)というお経に由来した行事です。毎年8月24日に行われる「大施食会」(だいせじきえ)は、「関東三大施餓鬼会」の一つとして知られます。
 
 
釈尊の十大弟子の一人「阿難尊者」(あなんそんじゃ)が瞑想していると、口から火を吐く一人の恐ろしい餓鬼が現れて「お前は3日後に死に、餓鬼道に落ちる」と言いました。
 
 
それを免れることができるかを問うと「三宝(仏・法・僧)に供養せよ。また無数の餓鬼に食物を施して供養せば、餓鬼が救われ、功徳によってお前も救われるであろう」と答えたといいます。阿難尊者は釈尊に教えを請い、延命したといいます。
 
 
「餓鬼」(がき)とは、生前の罪の報いで餓鬼道に堕ちた亡者のこと。仏教で説かれる六道のひとつで、不浄で、常に飢えと渇きに苦しみ、食物を手に取ると炎と化してしまう。痩せ細って腹ばかり膨れ上がり、咽喉は針のように細く、それは悲惨極まる姿です。
 
 
施餓鬼棚に「三界万霊牌」や初盆の戒名を記した位牌を置き、浄水や食物を供え、五如来の「施餓鬼幡」を立てて法要を営みます。餓鬼だけでなく、先祖代々の霊や無縁の諸精霊をも供養します。また、自身の餓鬼の心を反省し、生かされていることを受け止め、福徳延寿を祈願します。
 
 
四萬部寺◇秩父市栃谷418
 
◇西武鉄道「西武秩父駅」バス25分
◇関越道「花園IC」国道140号30分
 

 
 
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≪今日の読み物≫
 
 二十四節気「処暑」しょしょ
 
8月23日20時21分「処暑」です。旧暦7月、申(さる)の月の中気で、新暦8月23日頃。天文学的には、太陽が黄経150度の点を通過するときをいいます。
 
暑さがとどまる、暑さが止むの意から「処暑」といいます。涼風が吹きわたる初秋の頃で、暑さは峠を越えてようやくおさまり、後退し始めます。綿の花が開き、穀物が実り始め、収穫も目前といった時期です。
 
この頃は「二百十日」「二百二十日」と並び台風襲来の特異日とされ、暴風雨に見舞われることが少なくありません。
 
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 「七十二候」
 
◆初候「綿柎開」(めんぷ ひらく)
◇綿を包む咢(がく)が開く。綿を包むガクが開き始める時節。柎(うてな)=「はなしべ」は古訓で、花のガクをいいます。また、はなぶさ。
 
◆次候「天地始粛」(てんち はじめて しじむ・しゅくす)
◇ようやく暑さが鎮まる。ようやく暑さが鎮まる時節。
 
◆末候「禾乃登」(か すなわち みのる)
◇稲が実る。穀物が実る時節。
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「一遍聖人忌」
 
 
鎌倉時代中期の僧「一遍」(いっぺん)は、時宗の開祖。幼名・松寿丸。俗名・河野時氏(通秀、通尚とも)。一遍は房号で、法諱は「智真」(ちしん)。「一遍上人」(いっぺんしょうにん)、「遊行上人」(ゆぎょうしょうにん)、「捨聖」(すてひじり)と尊称されます。私諡号は「円照大師」、昭和15年(1940)国家より「証誠大師」号を贈られました。
 
 
延応元年(1239)伊予国の豪族・別府通広の第二子として、愛媛県松山市道後温泉の辺りで生まれました。当時は、平治の乱、源平の合戦、承久の乱と戦が続き、また、天変地異や飢饉なども重なっていた時代でした。有力氏族であった本家の河野氏は、承久3年(1221)「承久の乱」で京方につき、祖父の河野通信は陸奥国に配流されるなどして没落。一遍が生まれた頃には、かつての勢いを失っていました。
 
 
10歳の時に母と死別、父の勧めで「天台宗継教寺」で出家。法名は随縁。13歳の時に大宰府に移り、法然の孫弟子・聖達に、10年に亘り浄土宗西山義を学びます。この時の法名は智真。
 
 
信濃の善光寺、伊予国の窪寺、岩屋、摂津国の四天王寺、紀伊国の高野山などを転々としながら修行に励み、「南無阿弥陀仏」と書いた「念仏札」を配っていました。この札を手にすれば、誰でも阿弥陀仏のはからいで極楽浄土に往生できるといいます。
 
 
ある時、ある僧から己の不信心を理由に念仏札の受け取りを断られます。大いに悩んだ末「熊野権現澄誠殿」に参籠し、熊野権現から「信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配るべし」との夢想の口伝を感得。この頃から「一遍」と名乗り、念仏札に「決定(けちじょう)往生・六十万人」と追記するようになりました。これを後に「時宗」開宗の時としています。
 
  
一遍は弘安2年(1279)善光寺で最初の「踊り念仏」を始めました。踊り念仏とは「どんな人間でもありのままで救われるという喜び」を踊りに表現したもの。これが、盆踊りの起源です。
 
 
「聖」(ひじり)とは、日本において諸国を回遊した仏教僧のことをいいます。「日知り」の意。太陽の司祭者・呪術者を指した呼び方で、仏教伝来後は「聖」の字をあてて学徳の高い僧を呼ぶようになりました。
 
 
平安時代中期に末法思想が広まると、それに伴い浄土教を普及する僧(念仏僧)たちが現れ、寺院に定住せず深山の草案に住んだり遍歴しながら修行する半僧半俗の存在でした。
 
 
聖は学僧で、寺院の経済を支える禅徒の立場にありました。寺院から離れた別所と呼ばれるところに集住し活動の拠点としました。高野山にある高野別所に住む念仏聖は、高野聖と呼ばれました。
 
 
平安後期の「源空」は、延暦寺黒谷別所の念仏聖で、その弟子の「親鸞」と併せて「聖人」(しょうにん)と呼ばれました。鎌倉時代中期の「一遍」は、諸国を遊行しながら念仏を広め「捨聖」(すてひじり)と呼ばれました。
 
 
国宝「一遍聖絵」(一遍上人絵伝)は、一遍の生涯を伝えます。正応2年(1289)9月9日(新暦8月22日)没。於:摂津観音堂。51歳。
 
 
時宗総本山◇藤沢山無量光院「清浄光寺」(しょうじょうこうじ)
◇通称「遊行寺」
 
◇神奈川県藤沢市西富1-8-1
◇JR「藤沢駅」徒歩15分
 

 
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「天赦日」
 
 
「天赦日」(てんしゃにち・てんしゃび)とは、選日や雑注にも入れられる歴注のひとつで、天が万物の罪を赦す(ゆるす)日とされる「極上の大吉日」です。
 
 
歴注に「万よし」と書かれるのは天赦日に限ります。現代風に考えれば、日曜日と祝日と祭日と大安が重なった日とでも言いましょうか。この日「百神が天に昇る日」とされ、天が地上の万物を生養し、その罪を許します。
 
 
天赦日は年に5~6日あります。立春から立夏の前日までの「戊寅の日」。立夏から立秋の前日までの「甲午の日」。立秋から立冬の前日までの「戊申の日」。立冬から立春の前日までの「甲子の日」です。
 
 
今回の天赦日は、「立秋から立冬の前日までの戊申の日」にあたります。次の天赦日は10月20日です。
 

 
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