≪今日の読み物≫
 
 
本「世界の法の日」
 
 
昭和36年(1961)9月「法による世界平和に関するアジア会議」が東京で開催され、この時「世界の法の日」制定が提唱されました。2年後アテネで開催された「法による世界平和第一回世界会議」で可決。
 
 
昭和40年(1965)9月13日~ワシントンで開催された「法による世界平和第二回世界会議」で、国際間に法の支配を徹底させ世界平和を確立させることを目的として9月13日を「世界の法の日」と宣言されました。
 
 
尚、日本ではこの日とは別に、昭和35年(1960)から10月1日を「法の日」と定め、法の尊重の啓発を行っています。
 
 
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≪今日の読み物≫
 
 
満月「十五夜」
 
 
「十五夜」(じゅうごや)とは、旧暦15日の夜のことで、「三五(さんご)の夕べ」「満月の夜」のこと。「中秋の名月の夜」のことを指し、それを鑑賞する日です。
 
 
「中秋」(ちゅうしゅう)は、旧暦8月15日の称でもあります。旧暦では、7月・8月・9月を「秋」とし、7月を「初秋」、8月を「仲秋」、9月を「晩秋」と呼ぶことに由来します。中秋15日の満月の日を、特に「八月節」「中秋節」といいました。
 
 
※「仲秋」=旧暦8月のこと。
 「中秋」=旧暦8月15日のこと。
 
 
昔は月の満ち欠けによっておおよその月日を知り、農事を行っていました。十五夜の満月の夜は、祭儀の行なわれる大切な節目でした。
 
 
お月見・名月などとも呼ばれ、月下に酒宴を張り、詩歌を詠じ、祭壇を設けてすすきを飾り、月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、神酒を供えて月を眺めて楽しみました。
 
 
日本では古くから、望(満月)を拝する信仰があり、満月は豊饒のシンボルで、月光には神霊が宿っていると信じられてきたのです。
 
 
中国では唐の時代から行われ、日本には平安時代に伝わり、宮中や貴族の間に取り入れられ、観月の宴が盛んに催されてきました。後に武士や町民へと伝わり、農民の間では農耕行事と結びつき、収穫の感謝祭としての意味も持ちました。里芋など芋類の収穫儀礼であることから「いも名月」とも呼ばれます。
 
 
「月々に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月」…十五夜の満月が最も素晴らしいとして鑑賞されるのは、秋になると空気が乾燥して月が鮮やかに見えることから特にもて囃されています。冬の月も鮮やかに見えますが、鑑賞するには寒すぎますね。
 
 
せっかくの十五夜が曇りで月見が出来ないことも…。
 
そこで十五夜前日の月見を「待宵月」、16日の月見を「十六夜月」、17日の月見を「立待月」、20日の月見を「寝待月」などど呼んで、名月を惜しみました。
 
 
十五夜の夜だけは他人の畑の作物を盗んでもいいのだとか…。お月見の供物を子ども達が盗んでもよいなどという風習がありました。
 
 
秋田県に伝わる「片足御免」(他人の敷地に片足踏み込んで取るぐらいなら公認)とか、長崎五島の「まんだかな」などがそうですが、最近は悪習としてすたれました。
 
 
 
「十五夜お月さん」
  作詞:野口雨情 作曲:本居長世
 
♪十五夜お月さんご機嫌さん 婆やはお暇(いとま)とりました
 
♪十五夜お月さん妹は 田舎へ貰(も)られて ゆきました
 
♪十五夜お月さん母(かか)さんに も一度わたしは逢ひたいな 
 
お母さんが亡くなってしまはれたので、小さい妹は遠い田舎へ貰われて行ってしまったし、婆やもお暇をとって国へ帰ってしまってからは、自分一人がその後に残されたという淋しさを唱ったものです。
 
 
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本「大犯土」
 
 
「大犯土」(おおつち)は、選日の一つで、庚午の日から丙子の日までの7日間をいいます。翌日の丁丑の日を、障り無い「犯土間日」(つちまび)にして、戊寅の日から甲申までの7日間を「小犯土」としています。
 
 
この期間中に土を犯す事は忌むべきで、特に屋敷内の動土は凶。穴掘り、井戸掘り、種蒔きなどの土いじりは一切慎むべきとされ、これを犯すと災害を被るとされています。
 
 
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本「福岡筥崎宮放生会」
 
 
「放生会」(ほうじょうえ)とは、仏教の戒律「殺生戒」を基に行われる殺生を戒める宗教儀式です。日本では収穫祭や感謝祭の意味も合わせて、春と秋に全国の寺院や八幡社で行われます。捕らえられた魚や貝、鳥や動物などを殺さないで川や池、山林に放ちます。インドでは釈迦存世の時から行われていたと伝わります。
 
 
特に「筥崎宮の放生会」は、博多三大祭の一つに数えられ、秋の行事として盛大に行われます。筥崎宮(はこざきぐう)は、筥崎八幡宮とも呼ばれ、応神天皇を主祭神とし、神功皇后と玉依姫命を配祀する式内社で、日本三大八幡宮の一つです。
 
 
天台宗の開祖「智顗(ちぎ)」(天台大師・智者大師とも)は、漁民が雑魚を捨てている様子を見てそれを憐れみ、自分の持ち物を売って金に換え、魚を買い取って放生池に放したことが始まりとされ、法華経を最上の経典とする天台宗の寺院で行われる仏教儀式となりました。
 
 
神仏混淆の時代、放生会は神事でした。養老4年(720)宇佐神宮で行われたのが日本の放生会の始まりとされています。京都岩清水八幡宮でも行われる放生会は岩清水祭とも呼ばれ、9月15日に行われます。
 
 
筥崎宮◇福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
 
◇市営地下鉄「箱崎宮前駅」すぐ
◇JR鹿児島本線「箱崎駅」徒歩10分
 

 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「二百二十日」
 
 
「二百二十日」(にひゃくはつか)は、雑節の一つで、立春から数えて220日目の日のことをいいます。
 
 
二百十日(にひゃくとおか)と同じ意味を持ち、徳川幕府の暦編纂係り渋川春海が作ったものです。この頃は台風の襲来を警戒する必要があります。
 
 
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本「己巳」
 
 
「己巳」(つちのと・み、き・し)は、干支(十干と十二支)の組み合わせ60のうちの「6番目」にあたり、弁財天を祭る日とされています。「巳待」(みまち)とも。
 
 
十干「己」(つちのと、き)は「陰の土」、十二支「巳」(み、し)は「陰の火」で、相生(火生土)。
 
 
「巳」は十二獣では「蛇」をあてています。蛇は弁財天の使いであると考えられていたことから、福徳賦与の神である弁財天を祀るようになりました。
 
 
暦注や暦に起因する様々な行事は、中国から渡ってきたものが多いですが、性質としては「庚申待」「甲子待」と同じでも、「己巳」は日本独自のものです。
 
 
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本「東京芝浦大神宮しょうが市」
 
 
伊勢神宮の御祭神「天照大神」「豊受大神」を主祭神として祀る「芝大神宮」(しばだいじんぐう)は、寛弘2年(1005)の創建。一時期、准勅祭社とされた東京十社のうちの1社で、旧社格は府社。
 
 
武蔵国日比谷郷に鎮座していたことから「日比谷神明」(日比谷神明宮)、また、飯倉御厨(後の武蔵国飯倉庄)に鎮座していたことから、「飯倉神明」(飯倉神明宮)、さらに、芝の地に住民が居留して後「芝神明」(芝神明宮)と称されるに至りました。
 
 
鎌倉時代には源頼朝、江戸時代には徳川幕府の篤い信仰と保護下に置かれ、江戸の産土神として庶民の信仰を集め「関東のお伊勢さま」として崇敬されました。
 
 
相殿に源頼朝公、徳川家康公を祀り、末社には出雲社・大国主命(おおくにぬしのみこと)、三島社・事代主命(ことしろぬしのみこと)、金刀比羅社・大物主命(おおものぬしのみこと)、熊野社・伊弉冉命(いざなみのみこと)など、16社の祭神を合祀し、稲荷社も祀られています。
 
 
芝大神宮例大祭は、10日・宮出し奉仕から始まり、14日・狂言、15日・宵宮、16日・大祭祭儀・神輿渡御・伊勢音頭保存会行列・呈茶席・太鼓、17日・敬老祭・踊り大会・中国太極拳、18日・崇敬婦人部参拝式・清水詩吟会など、16~17日は縁日が行われます。
 
 
この祭は、関東のお伊勢さまとして全国から参拝者が集まり、開催期間が11日間にも亘ることから「芝神明のだらだら祭り」とも呼ばれます。
 
 
名物「しょうが市」は、御鎮座の頃の周辺は生姜畑だったことから境内や参道で盛んに販売されたのが始まりです。生姜には毒消し効果があります。江戸時代の軍学者・由井正雪(ゆいしょうせつ)が徳川幕府に謀叛を起こし、玉川上水に毒を流したその時、たまたま上水の上流で老女が生姜を洗っていたために江戸は助かった、という伝説から、大変な人気になりました。
 
 
神社で授与される生妻は「御膳生姜」と呼ばれ、厄除け縁起物として人気があり、食せぱ風邪をひかないと言われています。また、芝大神宮は「め組の喧嘩」の舞台として知られます。
 
 
芝大神宮◇東京都港区芝大門1-12-7
 
◇都営地下鉄三田線「御成門駅」
 浅草線・大江戸線「大門駅」
 JR山手線「浜松町駅」徒歩5分
 
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「方位と祐気取り」
 
 祐気取りで 運のいい人に?
 
 
地球上の生物の一員である人間も、宇宙自然の法則から逃れられることは出来ません。その中で、健康に恵まれるのは最高の幸せといえるでしょう。
 
 
反対に、病気や怪我などは、大きな不幸をもたらします。方災による疾病に注意し、もし病気に罹ってしまった場合は、祐気方位の病院を選んでの、早めの診療をおすすめします。
 
 
 
◆祐気を効果的に使うには、出来るだけ年盤と月盤の両方が祐気になる方位を選用します。近距離の場合は月盤の作用が強く、遠距離では年盤の作用が早く出現します。
 
 
年盤も月盤も祐気方位の場合は、長期遠方旅行をおすすめします。年盤が尅気方位で月盤が祐気方位の場合の選用は、近距離を使います。近距離選用の場合は、何度も祐気取りをします。
 
 
祐気の選用を行なう場合は、普段寝食している自宅や、会社からの正しい方位を知る必要があります。地図の線引きも致しておりますので、お気軽にお問い合わせ下さい。
 
 
 
◆事の吉凶を問わず、結果には必ず原因があります
 
 
祐気採りをして正しい方向に努力し、良い原因を作っておくことは、将来の良い結果の発現に繋がる最良の方法と確信しています。自然の中で生かされていることを知り、将来の過ごし方を計画されてみてはいかがでしょうか。
 
 
「運が悪い」と思う人はまず祐気採りをお勧めします。祐気採りをするとトラブルが自然と消えたり、今までの努力の成果が報われたり、大自然が自分の味方をしてくれるようになります。
 
 
「運が良い」と思う人は祐気採りを楽しく実行しています。ぜひ祐気を取りにお出掛け下さい。自分では気がつかなくても、祐気取りによって確実に運気が上がっていきます。
 
 
○o。..:*・(uωu人)・*:..。o○
 
詳しくは↓
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「重陽」
 
 
「重陽」(ちょうよう)とは五節句のひとつで、旧暦9月9日の節会のこと。「菊の節句」「九月節句」とも。
 
 
陰陽思想や易でいう「偶数=陰(いん)」「奇数=陽(よう)」から、奇数の極みは「9」であり、9月9日は陽(よう)が二つ重なることから「重陽」(ちょうよう)といい、「大変めでたい日」とされました。「重九」(ちょうく)ともいいます。
 
 
邪気を祓い長寿を願う祝いとして、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わしました。この日の前夜「菊の被綿」(きせわた)といって、まだつぼみの菊の花に綿をかぶせ、菊の香りと夜露を染み込ませて、宮中の女官たちが身体を撫でて拭う習慣がありました。
 
 
これは「菊の露を飲んで不老不死になった」という童の伝説から。枕草子や紫式部日記の中から、その風習をうかがうことができます。中国では、菊の花には不老長寿の効果がある薬としての信仰があり、鑑賞用としてより先に、薬用として栽培されていました。
 
 
またこの日、丘に登って「茱萸」(しゅゆ=かわはじかみ)の実がついた枝を、頭に飾って邪気を祓うという習慣もありました。
 
 
唐代の重陽は、2~3日間にわたって祝われました。これは李白の「九月十日即事」からもうかがい知ることができます。
 
 
日本には平安初期に伝わり「観菊の宴」という宮中の儀礼となりました。「重陽の宴」「菊見の宴」とも。天皇以下が紫宸殿に集まり、杯に菊の花を浮かべた酒を酌み交わし、群臣に詩歌を作らせたりして穢れを祓い長寿を願いました。
 
 
江戸時代には、五節句の中で最も公的な行事となり、武家では、菊の花を酒に漬して飲み祝いました。皇室の紋章ともなっている菊のルーツは、薬用として中国から伝わったものでもあるようです。
 
 
旧暦の9月9日は、現在では10月にあたります。ちょうど田畑の収穫も行われる頃で、農山村や庶民の間では「栗の節句」とも呼ばれて「栗ご飯」などで節句を祝いました。
 
 
盛んに行われていた「重陽の節句」が現代に引き継がれていないのは、菊が盛んに咲く時期ではなくなってしまったことが原因なのかも知れません。
 
 
■五節句とは、年中行事を行う中で重要とされた日(節目)のこと
 
★正月7日=人日(じんじつ)
★3月3日=上巳(じょうし)
★5月5日=端午(たんご)
★7月7日=七夕(しちせき)
★9月9日=重陽(ちょうよう)
 
をいいます。
 
 
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本「救急の日」
 
 
「救急の日」は、昭和57年(1982)に救急医療及び救急業務に対する国民の正しい理解と認識を深め、かつ、救急医療関係者の意識の高揚を図ることを目的とし「救急医療週間」とともに定められました。
 
 
9月9日の9(きゅう)9(きゅう)の語呂合わせで毎年9月9日を「救急の日」とし、この日を含む1週間を「救急医療週間」として、全国各地において応急手当の講習会を中心とした救急に関するさまざまな行事が実施されています。
 
 
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本「多賀大社九月古例祭」
 
 
「多賀大社」(たがたいしゃ)は式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。古くから「お多賀さん」として親しまれています。「お多賀杓子」と称したお守り(杓子)を授ける慣わしがあります。
 
 
明応3年(1494)「神宮寺」として不動院を建立。中・近世には「伊勢」「熊野」とともに庶民の参詣で賑わいました。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡も。
 
 
「神宮寺」(じんぐうじ)とは、日本において神仏習合思想に基づいて神社を実質的に運営していた仏教寺院のこと。明治までは「神仏混合」と言って大方の神社境内にはお寺がありました。
 
 
「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大御神が、伊邪那岐命、伊邪那美命両神の御子であることを指します。古くより延命長寿・縁結びの神として全国的な信仰を集め、豊臣秀吉(羽柴秀吉)が厚く崇敬されました。
 
 
御祭神は「伊邪那岐大神」(いざなぎのおおかみ)、「伊邪那美大神」(いざなみのおおかみ)。
 
 
明治4年(1871)県社兼郷社、明治18年(1885)官幣中社に、大正3年(1914)官幣大社に昇格。昭和22年「多賀神社」から「多賀大社」に改称しました。
 
 
「九月古例祭」(くがつこれいさい)は、秋の古例まつりで、豊作感謝のお祭りが行なわれます。
 
 
多賀大社◇滋賀県犬上郡多賀町多賀604
 
◇近江鉄道「多賀大社前駅」徒歩12分
◇JR琵琶湖線「彦根駅」バス10分
◇名神高速「彦根IC」~
 
 
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ベル「世界占いの日」
 
 
「世界占いの日」は、日本占術協会により平成11年(1999)に制定されました。

 
この日が「重陽の節句」であること、ノストラダムスの終末の予言の日は1999年9月9日とされていること、この日の数字を全部合計すると46になり、4と6を足すと10になり、完全を意味する数であること、明治4年9月9日に時間の数え方を西洋式に改めたこと、この日が「救急の日」で、占いは運命の救急であるとのこと…などから。
 
 
占いとは、様々な方法で人の心の内や運勢や未来などの直接観察することのできないものについて判断することや、その方法のことをいいます。占いを鑑定する人を占い師または占い鑑定師、易者などと呼びます。
 
 
 
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