やや欠け月「十三夜」
 
 
「十三夜」(じゅうさんや)とは、旧暦9月13日のことで「十三夜月」「十三日月」とも。特に、十三夜は「のちの月」として十五夜についで美しいとされ、宮中では月見の宴が催されました。
 
 
十三夜は「女名月」といって、この日は女が幅をきかすのだとか…。「小麦の月見」といって、天気がよければ小麦が豊作なのだとか…。民間でも秋の収穫を感謝する祭りなどが多く行われます。
 
 
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お月様「月待ち」 
 
 
十三夜、十五夜、十七夜、二十三夜、二十六夜などの特定の月齢の晩に月待ちを行なう、しきたりがありました。
 
 
月待ちとは、人々が沢山集い(多くは女性のみ)供物を備えて月の出るのを待ち、月を拝んで飲食を共にするという行事でした。
 
 
月待ちの「待ち」は、現在では「月の出るのを待つ」の意に解釈されていますが、もともとは「月をマツル(祭る)」の意です。
 
 
特定の月齢の中でも、「二十三夜待ち」が最も多く行われていましたが、毎月行われることは少なく、正月と11月だけ行なったり、正月、5月、9月、11月に行った地方が多かったようです。
 
 
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本「万国郵便連合記念日」
 
 
「万国郵便連合(UPU)」とは、国際連合の専門機関のひとつで、郵便業務の調整と国際郵便システムを司る国際機関のこと。1874年(明治7年)10月9日、世界22カ国の代表がスイスのベルンに集まり、万国郵便条約に調印しました。
 
 
これにより①世界のどこでも固定料金に近い形で書簡が送れる。②国際国内郵便共に同様の扱いがなされること。③国際郵便料金はそれぞれの国で徴収し使用すること。この三点が合意形成されました。
 
 
特に、切手を貼った郵便物は、どの国の切手でも国際的に通用すると決められています。
 
 
日本は明治10年2月19日に加盟しました。これにより外国郵便が安い料金で自由に送受できるようになりました。
 
 
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本「久留米高良大社例祭」
 
 
筑後国一之宮「高良大社」(こうらたいしゃ)は、今から1600年前に創建された旧国幣大社で「九州総社」とも呼ばれます。社殿は神社建築としては九州最大を誇っています。
 
 
正殿に高良玉垂命、左殿に八幡大神、右殿に住吉大神の三柱の祭神を祀る式内社で、古くは「高良玉垂宮(こうらたまたれぐう)」と呼ばれました。歴代皇室のご尊崇篤く、芸能・延命長寿・厄除けの神として信仰され親しまれています。
 
 
現在の社殿は、万治3年(1660)久留米藩第3代藩主:有馬頼利の寄進によるものです。
 
 
「高良大社例祭」は「高良山くんち」(くんち=御九日)のこと。百々手式と呼ばれる弓馬術や弓道会、獅子舞、神楽、古武道などが奉納され、表千家不白流の方々によるお茶の接待などが行われます。
 
 
おくんちの日のご馳走は、旬の魚を使った「かます寿司」です。古くから特別料理として各家庭で作られ、今に伝わります。
 
 
11日の観月会では、箏曲、琵琶、吟詠、舞囃子、久遠太鼓、獅子舞、柳川日吉太鼓、雅楽などが行われ、嵯峨流生花展が開かれます。
 
 
高良大社◇福岡県久留米市御井町1
 
◇JR久大本線「久留米大学前駅」タクシー10分
 
 
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本「大津天孫神社例祭」
 
 
「天孫神社」(てんそんじんじゃ)は、延暦年間に創祀と伝えられ、古伝によると大同3年に平城天皇が近江に行幸の際に行在所として禊祓されたとあります。
 
 
また、建久年間に近江守護佐々木定綱が社殿造営、新田が奉納され、元亀年間には栗太郡青地の城主青地伊予守より所領が寄進され、豊臣秀吉が大津城築城の際にその余材をもって修復されたと記録されています。
 
 
近江の国には大変に神徳の厚い社があり、それを昔の人々は一宮~四宮と称しました。一宮が「建部大社」、二宮が「日吉大社」、三宮が「多賀大社」、そして四宮が「天孫神社」です。
 
 
御祭神は「彦火々出見命」(ひこほほでのみこと)、「大名牟遅命」(おおむなちのみこと)、「国常立命」(くにとこたちのみこと)、「帯中津日子命」(たらしなかつひこのみこと)で、大津の守護神として崇敬されています。
 
 
例大祭は「大津祭」と称され、五穀豊穣に感謝の意を込め、氏子中で賑々しく行われます。
 
 
大津祭曳山祭礼は、江戸時代の初め鍛冶屋町に住む塩売治兵衛という者が、天孫神社の祭礼に「狸面」を被って踊ったことに始まったと伝わります。後に、町内で竹の屋台を作り、木綿の幕を張り、鉦、太鼓の囃子で治兵衛が狸面を着け采を振って踊り、氏子町内を練り歩いていましたが、治兵衛が老年で踊れなくなったので、糸カラクリで腹鼓を打つ狸を作って町内を廻りました。
 
 
寛永12年(1635)からは、屋台に地車をつけて「曳山」とし、子供達が引いて廻ります。寛永15年からは「三輪の曳山」を作り、やがて元禄、安永年間に現在の曳山が整えられました。
 
 
狸山をはじめ源氏山、石橋山など13基の曳山が豪華絢爛な見送り幕に飾られ、独特のからくりが巧妙に操られ、人々を楽しませてくれます。からくりの題材は中国の故事や能、狂言から取り入れられたものです。京都の祇園祭に匹敵するほどの祭といわれます。
 
 
天孫神社◇滋賀県大津市京町3-3-36
 
◇JR琵琶湖線「大津駅」徒歩3分◇「大津IC」2分
 

 
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≪今日の読み物≫
 
 
ベル二十四節気「寒露」かんろ
 
 
10月9日0時19分「寒露」です。旧暦9月、戌(いぬ)の月の正節で、秋分後の15日目にあたります。天文学的には太陽が黄経195度の点を通過するときをいいます。
 
 
寒露とは、野草に宿る冷たい露のこと。この頃になると秋も一段と深まり、朝晩は寒気を感じ始めます。
 
 
山野には晩秋の色どりが濃くなり、はぜ★の木の紅葉が美しい頃。雁などの冬鳥が渡って来て、菊が咲き始め、コオロギが鳴きやみます。
 
 
五穀の収穫も最盛期に入り、農家では再び繁忙を極めます。
 
 
 
◆「櫨」(はぜ)は、うるし科うるし属。6月頃に円錐状の黄緑色の小花を咲かせます。雄株には灰色の小果が実り、これから蝋(ろう)が取れる。山漆(やまうるし)によく似ている。カブレるので注意。
 
 
天正の頃に中国から種子で伝わり、蝋燭の原料として筑前で栽培されました。その後九州一円に広まりました。櫨の紅葉は、赤色がモミジより鮮やかで美しい。
 
 
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「七十二侯」
 
◆初候「鴻雁来」(こうがんきたる):雁が飛来し始める。
 
◇雁が飛来し始める時節。鴻雁=秋に飛来する渡り鳥のがん。鴻鴈とも。「鴻」はがんの大型で「雁」はがんの小型のものをいいます。また、鴻雁は大きながんを指すとも。
 
 
◆次候「菊花開」(きくかひらく):菊の花が咲く。
 
◇菊の花が咲き始める時節。
 
 
◆末候「蟋蟀在戸」(しつそくこにあり):蟋蟀が戸の辺りで鳴く。
 
◇蟋蟀(きりぎりす)が戸にあって鳴く時節。蟋蟀(しっしゅう)=きりぎりす。促織(しつそつ)とも。こおろぎ、いどとの異名とも。
 
 
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黄色い花「10月の花」
 
 
「菊」きく科きく属 学名:クリサンセマム
ギリシャ語のchrysos(黄金色)+ anthemon(花)が語源。
 
 
開花時期は10月20日~12月20日頃。平安時代に中国から渡来しました。その後、改良が重ねられ多くの品種が出来上がりました。
 
 
「きく」は「菊を音読み」したもので、菊の字は「散らばった米を一箇所に集める」の意。菊の花弁を米に見立てたもの。「菊」は究極・最終を意味し、1年の終わりに咲くことからそう名付けられました。
 
 
菊花展で見かける大輪の菊は「厚物」(あつもの=大輪もの)、「管物」(くだもの=細い花びらのもの)に分けられます。
 
 
中国では「菊」は不老長寿の薬効があると信じられ、陰暦9月9日「重陽の節句」には菊酒を酌み交わし、長寿を願いました。これが日本に伝わり「重陽の宴」が催されるようになりました。後に菊は「皇室の紋章」となり、日本の国花になりました。
 
  
花言葉は「思慮深い」「真実、元気」「いつも愉快」「私はあなたを愛する」など。
 
 
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クローバー「秋の七草」
 
 
「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびおり)かき数うれば 七種(ななくさ)の花 萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花」(山上憶良/万葉集)
 
 
★萩(はぎ)=豆科はぎ属。花は豆のような蝶形花。枝や葉は家畜の飼料や屋根ふきの材料。葉を落とした枝を束ねて箒(ほうき)に。根を煎じて眩暈やのぼせの薬にするなど人々の生活にも溶け込んでいました。
 
 
★薄(すすき)=稲科すすき属。収穫した物を悪霊から守る力があるとされます。屋根材の他に炭俵、家畜の餌などに利用されます。別名:尾花(おばな)。
 
 
★桔梗(ききょう)=ききょう科ききょう属、紫または白の美しい花。漢方では太い根を干して咳や咽喉の薬に。薬用成分のサポニンを含有し、昆虫にとっては有毒なため昆虫からの食害から自らを守っています。
 
 
昔から武士に好まれたようで、家紋に取り入れられました。「桔梗の間」「桔梗門」など。万葉集に出てくる「朝顔」は、この桔梗のことであるといわれます。
 
 
★撫子(なでしこ)=なでしこ科なでしこ属、ピンク色の可憐な花。我が子を撫でるように可愛いことから、この名前が付きました。この花は「ピンク」という色の語源になっています。
 
 
中国から平安時代に渡来した「唐撫子」(からなでしこ)に対して、在来種を「大和撫子」(やまとなでしこ)と呼び、日本女性の美称に使われます。
 
 
★葛(くず)=豆科くず属、周囲の木をツルで覆ってしまう程の生命力。大和の国(奈良県)の国栖(くず)が葛粉の産地であったことから。「葛」は漢名。ツルの部分は「葛布」の原料。
 
 
根は多量の澱粉を含んでいて、漢方薬で使われる「葛根」(かっこん:解熱作用)の原料です。葛粉、葛餅など。
 
 
★藤袴(ふじばかま)=菊科ふじばかま属。花の色は藤色で、花弁の形が袴の形をしている。桜餅のような香り。平安時代の女性は、干した藤袴の茎や葉を水につけて髪を洗いました。また、防虫剤や芳香剤、お茶などにも利用していました。
 
 
★女郎花(おみなえし)=おみなえし科おみなえし属。山野に生える黄色い清楚な花。「おみな」は「女」の意。「えし」は古語「へし(圧)」のことで、美女を圧倒する美しさから。
 
 
餅米で炊く御飯「おこわ」を「男飯」と言ったのに対し「粟(あわ)御飯」のことを「女飯」と言っていましたが、花が粟粒のように黄色く粒々していることから「女飯」を「おみなめし」「おみなえし」と言うようになったという説もあり。
 
 
「女郎花」と書くようになったのは平安時代の中頃。因みに「男郎花」という花もあります。
 
 
 
◆春の七草は、1月7日の「七種菜羹」(しちしゅさいのかん)を食べ無病を祈る風習で「食」に関するものですが、秋の七草は「花を楽しむ」ことに所以しています。
 

 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「阿寒まりも祭」
 
 
阿寒湖の「まりも」は、明治30年(1897)札幌農学校(現・北海道大学)「川上農学博士」により発見され「毬藻」と名付けられました。大正13年(1924)天然記念物に、昭和27年(1952)特別天然記念物に指定されています。
 
 
緑藻植物・シオグサ科に属すまりもは、無数の糸くず状のものが集まって出来ている集合体です。この糸状態は絡み合ったまま成長し、大きいものになると直径30cmに達するものがあります。繁殖や成長の過程は未だ多くの謎に包まれたままですが、直径6cmのもので推定年齢150歳とか。世界の植物学会でも貴重な植物とされています。
 
 
阿寒湖では、まりもが絶えないよう、まりもを護る儀式、まりもを送る儀式が執り行われます。
 
 
◇平成23年の開催は10月8・9・10です。
 
主催◇釧路市・阿寒観光協会・阿寒湖アイヌ協会 他
 
北海道釧路市阿寒湖町阿寒湖温泉2-6-20
問い合わせ TEL:0154-67-3200
 
◇JR釧路本線「摩周駅」バス1時間
◇JR根室本線「釧路駅」バス2時間
◇「釧路空港」バス1時間
 

 
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「長崎くんち」
 
 
「長崎くんち」とは、長崎市民の氏神である鎮西大社「諏訪神社」の秋の例大祭のことで、日本三大祭と称される長崎最大のイベントです。昭和54年、国の重要無形民俗文化財に指定。博多おくんち(福岡県福岡市・櫛田神社)、唐津くんち(佐賀県唐津市・唐津神社)と並んで「日本三大くんち」と呼ばれます。
 
 
「おくんち」とは「御九日・おくにち」のことで、旧暦9月9日のこと、又は例祭のことを言います。御供日、御宮日とも書き、これが訛った言い方です。
 
 
「長崎くんち」は寛永11年(1634)諏訪神社前で、丸山町と寄合両町の二人の遊女が、謡曲「小舞」を奉納したのが祭の始まりであると伝わります。キリシタン弾圧政策として幕府がこの祭を利用したため、年々盛大なものになっていきました。
 
 
初日、諏訪神社本社で遷座式が執り行われ、三基の神輿を拝殿に奉安したのち、踊町による踊りが奉納されます。踊りを奉納するのは氏子の町民で、江戸時代の長崎の市街地77ヶ町を7分割し、1ヶ町が7年に1度踊りを奉納することになっています。
 
 
踊りの当番町を「踊町」と称し、後の町の再編成などで町名や町数は変わっても7年一巡制は今日も踏襲され、毎年5~7ヶ町が踊町となって奉納踊を披露しています。色々な奉納踊りがありますが、特に蛇踊り、傘鉾、川船などが有名です。
 
 
午後になると「渡御式」(おくだりしき)が行われ、三基の神輿が二百段の石段を一気に駆け下り、大波止の御旅所に渡されます。神輿は翌々日の朝、市中を練ったあと、諏訪の長坂を一気に駆け上がり本社に「還幸」(おのぼり)します。
 
 
鎮西大社「諏訪神社」の御祭神は、諏訪大神・森崎大神・住吉大神の三社で、厄除け・縁結び・海上守護の神社として崇敬されています。
 
 
かつて戦国時代の長崎はキリスト教の領土となり、神社も寺も焼き払われてしまいました。寛永2年(1625)初代宮司・青木賢清は、諏訪・森崎・住吉の3社を西山郷丸山に再興、長崎の産土神としました。
 
 
慶安元年(1648)幕府より朱印地を得て、鎮西無比の荘厳な社殿が造営されました。安政4年(1857)不慮の火災に遭い社殿の殆んど焼失しましたが、孝明天皇の思召しにより再建がなされ、明治2年(1869)約10年の歳月をかけて、以前に勝る社殿が完成しました。
 
 
昭和59年の御鎮座360年祭、平成6年の370年祭にあわせて二度の記念造営を行い、現在の社殿が造営されました。
 
 
諏訪神社◇長崎市上西山町18番15号
 
◇路面電車「諏訪神社前」下車
◇長崎芒塚・出島ICより約10分
 
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「国際文通週間」
 
 
「国際文通週間」は、世界の人々が文通によって文化の交流に努め、世界平和に貢献しようという趣旨で、昭和32年(1957)第14回万国郵便大会議において設定されました。
 
 
期間は、万国郵便連合創設記念日である10月9日を含む1週間となっています。日本では、そのキャンペーンの一環として、昭和33年(1958)以降、毎年これにちなんだ切手を発行しています。
 
 
「文通」(ぶんつう)とは、遠く離れた知り合いや、仲間などと手紙を通じてコミュニケーションをすること。近年では、電子メールでのやり取りもこれに含めることがあります。
 
 
文通の目的は、読み書き能力の向上、友人作り、外国文化の学習など。文通相手とはプレゼントやポストカード(絵葉書)などを交換することも多く、親しくなると実際に会ったりします。また、文通相手同士がカップルとなって結婚にいたるケースも。
 
 
離れた場所への情報伝達の手段が少なかった時代には一般的な文化でしたが、電話が普及するようになって使われることが少なくなり、文字を使う伝達手段としては電子メールがその役割を果たしています。
 
 
文通は電話や電子メールに比べ効率的ではないものの、相互のペースで出来ることや、文字から人柄を伺えることなどもあり、その価値を評価する者も少なくありません。また、通信事情の悪い地域でも十分交流を図ることができます。但し、郵便を利用する以上、氏名や住所などの個人情報を扱うため、悪用される危険も。その為、最近では電子メールである程度やり取りしてから手紙へと移行するケースが多くなっているそうです。

 
 
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「天一天上」
 
「天一天上」(てんいちてんじょう)とは、癸巳~戊申の16日間をいいます。
 
 
方角神が天上に去ってしまい、悪さをしない佳日とされ、「天一天上の間は天一神の祟りがなく方角の禁忌はなくなる」というので、どの方角へ出掛けるにも良しとされました。特に縁起を担ぐ相場師に利用されたといわれています。
 
 
そのかわり、この期間中は「日遊神」が地上に降りて家の中に留まります。日遊神は不浄を嫌い、屋内の汚れた人家には祟りをするといわれていますから、清潔にしておかなければなりません。
 
  
「天一神」(てんいちじん)は方角神の一つで、「中神」(なかがみ)ともいい、地星の霊で、荒神です。天と地の間を規則正しく往復し、四方八方を巡り、人の吉凶禍福を司ります。
 
 
天一神のいる方角を犯すと祟りがあるとされ、神の滞在する方角を「塞がり」といってこの方角を犯すことを忌み、このことを「物忌み」といいます。その方角に真っ直ぐ向かうことは禁物で、どうしてもその方角に行かなければならない時は「方違え」をします。 
 
 
 
「天一神の遊行日」
 
☆乙卯から5日間=卯(東)
 
☆庚申から6日間=巽(南東)
 
☆丙寅から5日間=午(南)
 
☆辛未から6日間=坤(南西)
 
☆丁丑から5日間=酉(西)
 
☆壬午から6日間=乾(北西)
 
☆戊子から5日間=子(北)
 
☆己酉から6日間=艮(北東)
 
 
 
この期間、この方角に、天一神が天上から降りてきて下界八方を巡って過ごしますから、この方角を忌み、この方角に向かっての出産、争い事、殺生、弓を射ることなどを忌み嫌うのです。

  
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本「達磨忌」
 
 
「達磨忌」は、達磨大師の命日です。達磨(だるま)といえば、お寺やお宮の縁起物として人気ですが、何度転んでも起き上がるので「縁起」としたとか。養蚕地方では、春蚕(はるご)が当たると達磨の片目を入れ、秋蚕(あきご)も良いともう片方の目を入れる風習があります。
 
 
「だるま」はサンスクリット語で「法」の意。「達摩」とも表記されます。達磨の正式名称は「菩提達磨大師・ぼだいだるまたいし」。禅宗の開祖とされ、達磨祖師・達磨大師とも。
 
 
5世紀後半から6世紀前半、南印度王国の第三王子として生まれ、中国で活躍した仏教の僧侶で、中国禅の開祖。釈迦から数えて28代目とされています。印度から中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて面壁を行いました。事績、言行を記録した語録とされる「二入四行論」は、達磨に関する最も古い語録で達磨伝説の原形であるといわれます。
 
 
面壁九年の座禅によって、手足が腐ってしまったという伝説から、玩具としてのだるまが出来上がりましたが、不屈の坐禅修行と150歳の長寿にあやかって、赤い達磨の人気は絶えません。
 
 
この日、達磨大師忌日の法要が行われます。福井永平寺では、午時に献供諷経(けんぐふぎん)修行が行われ、午後より達磨講式が勤められます。
 
 
 
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