≪今日の読み物≫
「里親デー」「里親」は正式には、児童福祉法に基づいて、保護者のいない児童や、保護者に監護させることが不適当な児童の養育を、都道府県知事に委託された者をいいます。
また、職親は、保証人がいない年少者の就職の際に、親の資格で保証人となって就労の世話をする者をいいます。
行政が要保護児童をあらかじめ認定し、行政に登録されている者に養育を委託する「里親制度」は、全国に約7500人の里親登録があり、うち約2千人の里親に、約3千人の児童が依託されています。
里親の種類には養育里親、短期里親、親族里親、専門里親などがあります。委託される児童は「里子」と呼ばれます。養育の方法などについては省令に最低基準の定めがあります。養子縁組を目的として里親を希望する場合は全く別の制度となります。
10月1~31日の期間、里親・親職の登録推進、児童依託促進、里親の養育技術の向上と相互連携の強化が図られ、里親の研修会や一日里親などの催しが開かれます。
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「福島二本松提灯祭」「二本松提灯祭」(にほんまつちょうちんまつり)は「二本松神社」の例大祭で、日本三大提灯祭りの一つに数えられています。福島県重要無形民族文化財指定寛永20年(1643)織田信長の重臣「丹羽長重公」の孫「丹羽光重公」が、二本松城主として入城の際「よい政治を行うためには、領民にまず敬神の意を高揚させること」と考え、畠山時代に白旗ヶ峯に鎮座してあったものを遷宮し、現在の栗ヶ柵に二本松神社を祀り、領民は誰でも自由に参拝できるようにしたのが始まりと伝わります。
毎年10月4~6日に開催されるこの祭りには、7台の太鼓台にそれぞれ300個余の提灯を点けて、囃子に合わせて町内を曳き回します。
「二本松神社」は、藩主として入部した丹羽光重公の敬神愛民の精神から、丹羽家の守護神である「八幡宮」を左に、領民の守護神「熊野宮」を右に、2柱を祀る御両社として遷宮されました。
二度の大火で消失した後、文化3年(1806)再建された「二本松地方の総鎮守」。祭りは、境内で神様から「火をいただく儀式」から始まります。拝殿の明かりを全て消し、神輿に御霊代を移し、拝殿前の篝火へ火を移します。太鼓台の提灯に灯す火を、御神火走者が松明に頂戴します。
◇平成23年の開催は10月4・5・6日です。
◇問い合わせ
二本松提灯祭実行委員会・二本松観光協会
二本松市産業部観光課 TEL0243-55-5122
二本松神社◇二本松市本町1-61
◇JR「二本松駅」徒歩10分
≪ 今日の暦 ≫
10月3日(月)
辛卯 かのと・う
三碧木気 さんぺき・もっき
先負 せんまけ
一粒万倍日
いちりゅうまんばいび
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≪今日の凶殺方位≫
日破殺 酉【西】五黄
暗剣殺 震【東】一白
五黄殺 兌【西】五黄
定位対冲 乾【北西】四緑
※凶殺方位は、どなたさまにとっても悪い方位となりますのでお出掛けの際には十分ご注意下さい。
また、この方位に向かっての約束事などは良い結果に至りませんので避けて無難です。
起こりうる現象は?
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≪あなたの今日の運勢は?≫
◎◎攻めも守りも好調
◎ 攻めて順調
○ 守って無難
△ 謙虚な姿勢で穏やかに
▲ おとなしく明日に期待
▲▲休養第一早めの就寝を
一白水星○
集中力に欠ける今日は自然の流れに任せて無難。
二黒土星◎
迷い起これば二度目を選択して◎。噂話にご注意を。
三碧木星◎
足下を確かめ次の手を考えよ。心の触れ合いを大切に。
四緑木星△
大きな事を言えば、時間超過で纏まらず顰蹙を買う。
五黄土星○
宴席への誘いあれば参加を。場を不快にせぬよう注意。
六白金星○
身内や仲間からの援助あり。急く気持と衝動を抑えて○。
七赤金星△
強欲のあまり口達者になって人が離れそう。慎重に。
八白土星▲▲
喧嘩を吹っ掛ければ困難に陥る。裏切りもあり。注意。
九紫火星○
不用意な発言に注意。周囲の助けあり感謝を伝えて○。
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≪今日の読み物≫
事の吉凶を問わず、結果には必ず原因があります
祐気採りをして正しい方向に努力し、良い原因を作っておくことは、将来の良い結果の発現に繋がる最良の方法と確信しています。自然の中で生かされていることを知り、将来の過ごし方を計画されてみてはいかがでしょうか。
「運が悪い」と思う人はまず祐気採りをお勧めします。祐気採りをするとトラブルが自然と消えたり、今までの努力の成果が報われたり、大自然が自分の味方をしてくれるようになります。
「運が良い」と思う人は祐気採りを楽しく実行しています。ぜひ祐気を取りにお出掛け下さい。自分では気がつかなくても、祐気取りによって確実に運気が上がっていきます。
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素敵な一日をお過ごし下さいませ
(癶▽癶)ノ☆彡
≪今日の読み物≫
「方位について」現在では「方位」のことを知っていようといまいと、日常生活にはさほど不便はありません。知らない土地に出掛ける場合でも、行き先がわかっていれば交通機関が目的地まで連れて行ってくれますし、車にはカーナビゲーションという便利なものがあるのですから、方位の認識など不要ではないかと思われる方もいらっしゃるでしょう。
「方位」を認識する為には「自分の位置」を認識する必要があります。そして、自分の位置と対象物の間に距離が生まれ、そこに意味が与えられます。
当然のことながら、太陽は東から昇り、西に沈みます。この自然現象から、東西の方位は早くから認識されていたことがわかります。
奈良の平城京や京都の平安京の「四神相応」はよく知られていますが、鎌倉や江戸を見ても、古代の都城にみられた思想が後々まで意識されていたことがわかります。「東京」の「東」は、旧来の首都「京都」に対しての「東」です。明治には、京都を「西京」ということが多くありましたが、今では使われません。
因みに、中仙道の「妻籠宿」(つまごじゅく=長野県)には、明治14年(1881)に建てられた大きな石の道標があり「西京へ五十四里、東京へ七十八里半」とあるそう。
しかし「どうして地図は北が上なの?」でしょう。地球の球面はもともと上も下も、始めも終わりもなく、地図の向きをどうしようと自由なはずです。
「江戸図は西が上」に向けて描かれていますが、その理由は、東の東京湾を手前に据え、西方の富士山を上に仰げば、江戸城は前面に位置して図柄が安定するから…とか。
地図製作の為の測量には、磁石を用いて方位を測る事が基本でしたので、磁石の針が示す「子」(北)が上になったのでしょう。
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≪今日の読み物≫
「都民の日」10月1日は「都民の日」です。明治31年10月1日「東京市」が誕生し、市役所が開設されました。この「東京市自治記念日」が「都民の日」に改まったもの。
「都民の日」とは「東京都民がこぞつて一日の慰楽をともにすることにより、その自治意識を昂揚し、東京都の発展と都民の福祉増進を図る」ことを目的とし、昭和27年(1952)10月1日から施行されています。
東京都では「都民の日」を記念し、施設の無料公開や記念行事が行われます。浜離宮恩賜庭園、旧芝離宮恩賜庭園、小石川後楽園、六義園、神代植物公園、葛西臨海水族園などの無料公開。記念行事では、浄水場の施設見学会など。
この日、都内の公立学校はお休みになります。
◇入場料、観覧料無料◇浜離宮恩賜庭園、小石川後楽園、六義園、旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧岩崎邸庭園、向島百花園、旧古河庭園、殿ヶ谷戸庭園、恩賜上野動物園、多摩動物公園、神代植物公園、葛西臨海水族園、井の頭自然文化園、夢の島熱帯植物館、東京港野鳥公園、東京みなと館、東京都庭園美術館(入園料のみ)、東京都江戸東京博物館(常設展のみ)、東京都江戸東京たてもの園、東京都写真美術館(収蔵展のみ)、東京都現代美術館(常設展のみ)。
◇施設使用料無料◇利島勤労福祉会館(ボウリング)、京浜島勤労者厚生会館(テニス・卓球・バドミントン)、八王子労政会館体育室(1時間のみ)。
◇記念行事◇消防ヘリコプター搭乗撮影会、池袋防災館まつり、親子消防官撮影会、ちびっこアニメ上映会、都民の日「防災クイズ」、ちびっこ消防官撮影会、水道施設見学会、水道事業の歴史に関するビデオ上映、小河内ダムに関するビデオ上映、記念品の配布など。
問い合わせ先
◇生活文化スポーツ局文化振興部文化事業課
◇電話03-5388-3141
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「衣更え」「衣更え」(ころもがえ)とは、季候に合わせて衣服をかえる習慣のこと。また、そのために衣服の収納場所を変更することをもいいます。「衣替え」「衣更」「更衣」とも。
狭義には、学生や企業の制服(夏服・冬服)を変更することを指し、日本では6月と10月、南西諸島では5月と11月に衣替えが行われることが多いです。また、多くの場合、移行期間が設けられます。
平安時代以降、まず宮中で定着しました。旧暦4月1日と10月1日を「更衣の日」とし、旧暦4月1日には「冬装束から夏装束に」、10月1日には「夏装束から冬装束」に替えました。当時は四季に応じた衣装がなく、下着などで調節していました。
江戸時代になると、4月1日から「袷小袖」(あわせこそで)、5月1日から「一重帷子麻布」(ひとえかたびらあさぬの)、9月9日から「綿入小袖」(わたいれこそで)などと幕府が定めていました。
こうして4月1日になると綿入れを脱ぎ、袷に替え、人々は身も心も軽くなったとか…。「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む珍しい姓は、このことからきています。
新潟県や長野県の一部では、6月1日を「衣脱ぎ朔日」(きぬぎついたち)といって、新たに夏服を着て神詣でをする日としていました。また、岩手県では「剥け節句」と呼んで、蛇が皮を脱ぐ日だとしました。そしてこの日は「鬼の骨」と呼ばれる「干し餅」を食べて歯固めをしました。また、蛇が皮を脱ぐので桑畑に行ってはならないとされました。
現在でも10月1日になると、中学校や高等学校などでは冬服に衣替をしているところも多い。戦前は軍人や警察官も学生と一緒に衣替えをしました。
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「法の日」「法の日」は、法を尊重し、法によって基本的権利を擁護し、法によって社会秩序を確立する精神を高めることを目的として制定されました。
国民の基本的人権を確保し、社会秩序を確立させるのは「法」です。国民等しく法を尊重しなければならないとの趣旨で、昭和34年(1959)裁判所(裁判官)、検察庁(検察官)、弁護士会(弁護士)の法曹三者会議により10月1日を「法の日」制定の提唱が決議され、翌昭和35年(1960)6月24日の閣議了解で、「国民主権のもとに、国をあげて法を尊重し、法によって基本的権利を擁護し、法によって社会秩序を確立する精神を高揚するため「法の日」を創設する」と、定められました。
昭和3年(1928)10月1日「陪審法」施行。昭和4年(1929)10月1日「司法記念日」と定められ、昭和22年(1947)10月1日は最高裁判所発足後、最高裁判所で初めて法廷が開廷された日でもあります。
また、10月1~7日までの1週間を「法の日週間」として、さまざまな記念行事が行なわれます。
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「共同募金」「共同募金」(きょうどうぼきん)は、昭和22年(1947)4月、少年の町(Girls
and Boys Town)のカトリック聖職者エドワード・ジョゼフ・フラナガン神父のすすめで、長崎・佐賀・福岡で実施されたのが始まり。
敗戦によって激増した生活困窮者及び民間の福祉施設の資金的困窮を救おう、という趣旨で始められたものです。
昭和26年(1951)社会福祉事業法が制定され、共同募金が法制化されました。現在は「社会福祉法」により進められています。募金者に「赤い羽根」を渡すのは、アメリカの共同募金にならったもの。
共同募金は、事前に地域内の社会福祉施設や社会福祉団体、ボランティア団体等から活動の為の資金ニーズを取り纏め、使い道の計画を立ててから募金を行う計画募金です。
一定額以上寄附した個人や団体に対し、共同募金会から感謝状や感謝楯が贈呈されます。また、厚生労働大臣から感謝状が贈られます。
「赤い羽根共同募金」は、全国一斉に行われます。期間は10月1日~12月31日まで。12月中は
歳末助けあい募金もあわせて行われます。
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「北海道一般鳥獣狩猟解禁」11月15日、本州・四国・九州一般鳥獣狩猟が解禁になりますが、北海道では一足早く10月1日に解禁になります。
狩猟とは、鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律(鳥獣保護法)により定められた猟具(網、わな、装薬銃、空気銃)を使用して、狩猟期間中に狩猟の対象となっている鳥獣(鳥類29種、獣類20種)を捕獲することです。
狩猟を行うには鳥獣保護法に基づく試験に合格し狩猟免許を取得するとともに、狩猟を行う都道府県で狩猟者登録をする必要があります。
また、狩猟は狩猟者個人の趣味としての楽しみだけでなく、鳥獣の捕獲を通じて農林水産業被害を予防するという役割も担っています。
狩猟期間は11月15日から翌年2月15日までで、期間中は鳥獣保護区や休猟区等禁止区域を除く区域において、ニホンジカ・マガモなどの狩猟鳥獣を対象とした狩猟が行われます。
狩猟者は十分に注意して安全に猟を行っていますが、事故を防ぐため、住民の方々も山林内では見通しの良い道を利用し、鳥獣と見間違われないように目立つ服装など自分の存在を知らせるよう心掛ける必要があります。
狩猟者が比較的多く出猟する解禁日には、地方事務所職員・鳥獣保護員による安全指導パトロールを実施し狩猟者へ事故や違反の防止等安全狩猟を呼びかけるとともに、一般住民の方々へ周知及び注意の喚起を行っています。
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「京都北野天満宮瑞饋祭」「北野天満宮」(きたのてんまんぐう)は、平安中期に多治比文子らによって北野の右近馬場に「菅原道真公」の御霊をお祀りしたのが始まりとされます。
道真公は「和魂漢才」(わこんかんさい)の精神を以って学問に勤しまれ、幼少の頃より文才を表し、朝廷の官吏として活躍されました。
「和魂」とは、我が国固有の精神のことで、「漢才」とは漢字によって得た知識や才能のこと。日本古来の精神を失わずに、教養として漢学を学ぶべき、という考え方のことです。
永延元年(987)一条天皇の令により、初めて勅祭が執り行われ「北野天満宮天神」の神号を得ました。
寛弘元年(1004)の一条天皇の行幸を初めてとし代々皇室の御崇敬を受け、江戸時代には寺子屋の精神的中心として菅公の御分霊がお祀りされるなど、「天神様」として親しまれ、学問の神様としての信仰は、現在に至るまで受け継がれています。
「瑞饋祭」(ずいきさい)は、京都の秋祭りの先陣を切って10月1日から4日間に亘って行われます。名称の由来は、祭礼期間中御旅所に奉安される「ずいき御輿」から。その歴史は古く、室町時代に遡り、明治時代になって神幸祭が取り入れられました。
「ずいき神輿」とは、野菜、乾物等で趣向をこらした絢欄華美な神輿のことで、期間中は御旅所に奉られます。かつて北野祭(例祭)にお供えとして奉られた野菜を一基の大型神輿として作り飾りつけ、屋根はずいき芋(里芋の茎)で葺かれ、神輿の各部に隙間なく穀物や蔬菜・湯葉・麩などの乾物類で覆われます。
神幸祭は10月1日に西ノ京御輿岡の御旅所へ。10月4日還幸祭にあわせて氏子区域を練り歩きます。還幸祭は特別の意味を持ち、単に「巡行を終えた天神様が本社に御帰りになる」というだけでなく、「大宰府で御隠れになった菅原道真公の御霊が神様として初めて北野の地においでになる」という御鎮座の由来を回顧し再現するという意味もあります。
還幸祭が行われる4日には、親類縁者を招いて御馳走を作り、晴れ着をきて、行列に供奉したり、沿道から御輿を拝んだりします。年に一度、御鎮座の往時に思いを致し、御神霊を「お迎えする」ことで天神様を改めて意識し、感謝する心を育んでいます。
北野天満宮◇京都市上京区馬喰町
◇JR「京都駅」バス、地下鉄「二条駅」バス
◇名神高速道路「南IC・東IC」車約30分
≪今日の読み物≫
「曹洞宗両祖忌」曹洞宗の開祖「道元」(どうげん)は、鎌倉時代の禅僧。日本に歯磨洗面、食事の際の作法や掃除の習慣を広めたことで知られます。
4歳にして漢詩を、7歳の時には「春秋左氏伝」を、9歳で「倶舎論」を読んだという稀に見る才能を現した道元でしたが、8歳の時に母を亡くします。世の無常を感じた道元は、次第に仏教に惹かれ、13歳で比叡山延暦寺の良顕(母方の叔父)を訪ね、翌年に出家し仏門に入ります。このとき「仏法房道元」と改名。
ところが、比叡山での修行中に大きな疑問を抱き、比叡山を降ります。真の仏法を学ぶため、貞応2年(1223)、宋に渡って諸山を巡り、曹洞宗天童山の如浄禅師のもとに参じ入門します。ここで修行中「只管打坐」(しかんたざ=ただ一心に座る)を極め、印可を受けます。
帰国後、建仁寺で「普勧坐禅儀」を著します。後に、京都深草の安養院にて「正法眼蔵」の第一巻となる「弁道話」を著し、これは開宗宣言とも言われます。
天福元年(1233)深草に興聖寺を建立。道元34歳。只管打坐の仏法を実践する道場には、人々が次第に集まり、僧団も拡大していきました。
比叡山の迫害を受け続けた道元は、寛元元年(1243)波多野義重の招きで、越前志比庄に移転します。寛元2年(1244)修行道場「大佛寺」を開きます。翌々年「永平寺」に改められました。
建長5年(1253)病床で「正法眼蔵」最後の巻「八大人覚」を著し、弟子の孤雲懐奘(こうんえじょう)に永平寺を譲り、療養のため京へ向かいます。
同年8月28日、俗弟子の屋敷・京都高辻西洞院で死去。享年54歳。死因は瘍とされています。
「永平寺」は、本尊を釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏とする曹洞宗大本山で、山号を吉祥山と称す出家参禅の道場で、永平とは「永久和平」の意。
室町時代「曹洞宗第1道場」の勅額を得て、日本の禅修行の場として歴史を刻んできました。33万平方mの広大な敷地には、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司、修行の中心となる「七堂伽藍」など、70余棟の建物は、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲まれ、静かに佇んでいます。約150名の雲水たちは、荘厳な雰囲気の中で、道元が定めた厳しい作法により禅の修行を営んでいます。
大本山「總持寺」を開かれた太祖常済大師「瑩山禅師は、正中2年(1325)8月15日に、石川県羽咋市の永光寺にて、58歳で示寂されました。
両祖大師の示寂された両日を、近代に入って太陽暦に換算したところ、不思議なことに、いずれも9月29日となりました。この日「両祖大師のご命日」として、「両祖忌」と定めました。
曹洞宗のお寺では、この日、道元禅師と瑩山禅師の両祖の御遺徳を偲び、報恩感謝の法要を営みます。
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★「少欲知足」(しょうよくちそく)=足るを知る。
貧しいことが善でもありません。豊かなことが悪でもありません。貧富にかかわらず貪欲の心が起こるとき、人は美しい心を失います。仏心とは足ることを知る心のことです。(道元禅師のメッセージより)
★「無価大宝」(むげたいほう)
人の価値は、地位や財産や職業に関係ありません。知識や能力だけで人を評価すると、過ちを招きます。知識を生かす心と行いこそ大切。人の価値は心と行いから生ずるのです。
永平寺◇福井県吉田郡永平寺志比5-15
◇えちぜん鉄道「永平寺口駅」~バス「永平寺門前」
◇北陸自動車道「福井北IC」~国道416号約5km